腹が減っては・・・
重い瞼をなんとかこじ開け、ぼんやりと宙を眺める。
切り妻式っていうのかな?
丸太を入り組ませた低めの天井に、うすぼんやりと、オレンジ色の明かりが灯る。
しばらくそうしてぼーっとしていると、
だんだん目が冴えてきて、頭の中が再起動したみたいに、
情報が流れてくる。
リチェルカーレ・クリフ
これがこの身体の、宿主の名前だ。
あの本を手にする前にも名前だけはわかってはいたが、
同時に、俺は彼が何者なのかを全然わかっていなかった。
山奥の丸太小屋に祖父とわびしく住んでいる華奢な美少年
その程度の認識でしかなかった。
でも「いま」ならわかる。
彼が何者で、そして俺自身がどうして彼に成り代わっているのかを。
話を遡ろう。
俺が、彼の部屋でみつけた本は、ただの本ではなかった。
「あちら」の世界で言うところのグリモワール、「魔道書」と呼ばれるものだった。正当な主がその本を開くとき、あるいは何らかの条件を満たした状態で本を手繰ると、「魔法」が発動する。あちらの世界では、中世ならともかく、現代においては架空世界の事柄と片付けがちだけれど、「こちら」の世界においては、ごく一般的に用いられるものでもあるようだ。ただし、それを発動できる者、あるいはそれを精錬できるものは限られているため、庶民が易々と手に入れられるものではない。リチェルカーレ・クリフは、その限られた人間だったのだ。
齢14歳。生まれも育ちもこのサン・グラニテ山脈のホッチ村で間違いなかったが、それはあくまでも「リチェ」という単体の意識のみのこと。あの本を開いたとき、俺の中には、リチェだけではない、たくさんの人の意識が流れ込んできた。それこそが、リチェルカーレを辺境の巫子、稀代の預言者と言わしめた理由。
・・・・彼は「魂の記憶保持者」なのだ。
魂の存在については諸説あるだろうが、いわゆる「輪廻転生」。
一つの魂が、一つの生を終えるとその記憶を消去し、新しい生を紡ぐ。前世を覚えていると話す人をたまにTVで見たが、彼はそんなものではない。前世どころか、数代先の記憶さえあるのだ。あのグリモワールが発動したおかげで、おれは強制的にその世界を垣間見た。彼が、彼の前の彼が、どのように生まれ、生き、死んでいったのかを。
例えるなら、複数の伝記ものの映画を繋ぎ合わせて一気に再生されたような感覚。その中でおれは常に傍観者だった。
魂を引き継いだものたちは、いずれも「魂の記憶保持者」だったが、時代によってその扱いは異なる。迫害され無為に殺されたもの、記憶の保持に耐えられず精神的に病んで若くして命を絶ったもの。逆に、その時代の賢者と呼ばれ民に平伏されたもの、リチェもどちらかというと、後者だろう・・・。彼は、さらに「預言者」でもあったのだから。過去の記憶だけでなく、未来さえ見通す力、それがリチェルカーレという少年の力だった。
ふぅ、とため息をつくと、腰をかけていたベッドがキシリとわずかに音を立てた。
気を失った俺は、そのままベッドに寄りかかっていたらしい。どれくらいそうしていたのかはわからないが、窓から見える光の感じから、そう時は経っていないように感じた。しかし、頭の中は過剰な情報摂取で混乱し疲弊していた。
ああ・・・腹が減った・・・・
人間の身体とは現金なものだ、いろいろ懸案事項はあれど、それより今は、この空腹を満たしたい欲求でいっぱいになる。
だいたい、ここ数日底が透き通ってみえるくらい薄い粥のようなものと、牛ではなさそうな、なにかの動物の乳、それにやや酸味の強い姫リンゴのような果物を少々。育ちざかりの身体には全く足りてない量の食べ物しか口にしていない。
さっきまで眩いばかりの閃光を放っていた本は、いまは何の反応もなく、ただの無地の本となり、リチェルカーレの細腕に重くのしかかる。本をベッドの上に置くと、勢いをつけて立ち上がった。
・・・・・・・あんまり考えていてもしょうがないな。それよりメシの確保が大事だ!
目指すは扉の向こうのキッチン。
まずは食糧確保に勤しもう。