伝説の獣
「スピサーガ?」
二度目の水汲みから戻ってきたクロウとともに、山小屋に入ると、
先ほど見かけた村人が、血相を変えて、じいちゃん、レオンハルトに詰め寄っていた。
じいちゃんは、対照的にさほど動じた様子もなく、木組みのゆったりとした椅子に座ると、目の前の男に「まずは落ち着け」とばかりに、温かい飲み物を差し出した。
むせこむ勢いで飲み干した男、確か、村の若頭衆の一人ボルトさん、だったかな?
若頭といっても、高齢化の進む末端集落では齢40を超えても若者扱い。ボルトさんにしたって、とうに成人した息子と、嫁いだ娘さんがいる。村の人たちにとって、リチェなんて幼児扱いじゃないの?
と、どうでもいいことをツラツラと考えていると、
「あぁ、リスラテに騎士団の様子を伺いにいった奴らから聞いたんだ。」
じいちゃんは、口をつぐんだまま、目線だけで話の先を促す。
「すっ・・スピサーガといえば、獰猛で有名な獣だ。あいつが暴れて村がいくつも滅んだ話も聞くくらい。それが、こんな、こんな近くにでるなんて!」
ボルトさんの顔色は、青を通り越して土気色になっている。
もともと争いとは無縁の、ほのぼのが売りのこの村だ。
リチェを守るために、神殿の差し向けた騎士団と対峙してやると息巻いてはいても、野生の獣を相手にするのはわけが違う。ホッチ村の周辺にだって、獣が出るには出たが、猛獣というにはいささか迫力に欠ける、むしろどっちかというと貴重なたんぱく源となるような獣ばかりだ。
スピサーガやリリオン、トゥーラなど、世界のどこかにはいる、珍しい生き物くらいの認識でしかない。
戦うすべもなければ、自衛するすべもわからない。
ボルトさんは、この村で唯一、そういった伝説級の獣と縁のあるじいちゃんを頼って、ここへやってきたという。
じいちゃんは今でこそ現役を退いて、こうして田舎暮らしを謳歌しているけれど、元をたどれば、騎獣騎士団の団長を務めた男なのだから。
「で?そいつぁ今どうしているんだ。」
じいちゃんは、落ち着きはらった様子で、空になったボルトさんのカップにお代りのお茶を注ぎ入れた。
「いや・・・なんでも駐屯中の騎士団が捕まえたとか、なんとか、いや、でもあのスピサーガだ。なんの備えもしてねぇのに、そうやすやすと捕まるもんか?りっリスラテには、俺の娘のトゥーラや孫のチェルシーたちがいる。おっ俺は怖いんだ。もし、スピサーガが暴れて、リスラテの村が、トゥーラやチェルになにかあったらって」
ボルトさんは、膝上で固く拳を握りしめて、うつむいた。
ボルトさんはずいぶん子煩悩な性質らしい。いや、でもまぁ、そりゃ心配だよな。自分の身内のそばで猛獣が暴れるなんてことになったら。
それに、リスラテから、ホッチ村までは山道を一時間程度の距離らしいし、ホッチ村にだって襲ってこないとは限らないんだから。
それにしてもスピサーガ・・・
俺、というかリチェも、さすがにスピサーガを目にしたことはないらしい。
元々希少な生き物らしいし、絵姿すらほとんど出回っていないようで、俺もリチェの蔵書の中で一文を目にしたきりな気がする。
顔や体つきは、リリオンやトゥーラに似ているが、その背には胴の何倍もある翼が生えていて、空を駆けることができ、一説には神の使いとされる神獣でもあるらしい。
実際には獰猛で、人が飼いならすなど到底無理らしいが、
リリオンは、地球で言うところのライオンに似ており、トゥーラは虎。
どちらもリチェは目にしたことはないが、持っていた図鑑のような本に、絵姿が載っていたので、想像に難くない。そしてそのリリオンやトゥーラに似た、翼のある獣。
何となく天虎を想像して、猫好き、猫マニアな俺は顔がにやけるのをうつむいて必死に耐えた。
(やばい、見てみたい!っていうか絶対モフモフしてみたいっ!!!)