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ラベンダーへの願い事

作者: 水刀 田口

こんにちは。水刀田口と申します。今回はmustとして以前既刊したものを小説家になろうに載せていくという形で、新作ではありませんが2016年のトップバッターを務めさせて頂くことになりました。拙いですが読んで頂き楽しんで頂ければと思います。

 もうどのくらい経ったのだろう。

 この病室に来た時はまだ明るかったはずだ。

 しかし今はもう、ほんの少し眩しい光がブラインドの隙間から差し込んでいるだけだ。

 四人部屋の広い病室には音が消えてしまったかのように一人の青年が眠っている。

 そんな青年に彼女はずっと寄り添い、今日何度と繰り返したかわからない問いをする。

俊生(としき)君、まだ覚えてる? あの日のこと」

 彼の名前は俊生といった。

 何度尋ねても、決して返事は返ってこない。

 彼女は俊生の手をさらにギュッと握る。

「私は一回も忘れたことない」

 彼女は顔を歪めながら続ける。

「あなたは一体何を見てんの?

 私のことは覚えてる?

 まだ、死なへんよなぁ?

 あなただけ先に消えるなんてずるい。

 死ぬときは一緒って決めたやんか。

 ねぇ、お願い。死なへん()うて。

 いつもの声で話して……」

 こらえきれなかった涙がついにあふれ出し、いよいよ声にならない。

 どれだけ懇願しても俊生からの返事を聞くことはできなかった。


       *

「なんで俺がジュクなんか行かんとあかんの?」

 少年は荒々しい声で言った。

「あんたはもう少しおかんの言うことを聞いたらどうなん? 一回行ってみるだけならええのちゃう」

「ジュク行ったら友達と遊べん。絶対嫌や」

「つべこべ言わんとついてくる」

 結局、少年は母親の言うことに逆らえないまま、ジュクに連れていかれた。

 少年は名前を俊生といった。俊生は小学六年生の男の子だ。俊生は勉強もスポーツもよく出来る方だった。そのため、周りの大人たちはすぐに俊生のことを「すごいすごい」といつも持ち上げるのだった。そんな俊生は常に出来る子としての振る舞いを、大人から求められていると感じるようになった。もし俊生が出来る子としての振る舞いをしなかったら、今までの自分の像が崩れ去ってしまうような気がし、それが俊生には怖く感じられた。

 だから、大人に求められるままの自分を演じなければならなかった。そんな思いを抱きながら日々送らなければならない生活が、俊生は大嫌いだった。

 しかし、最近になって一つだけわかったことがある。

 それは、「ことの始めだけ大人に従っておけば、後々口を出されなくなる」ということだ。

 大人は子どもに、大人がやらせたいことを押し付けて満足する。その満足が継続している間は、多少正しい振る舞いをしていなくてもあまり怒られないということである。

 学校の俳句コンクールで賞をもらった時のこと。母親は、

「俊生には俳句の才能があるかもしれへん」

 と言っていた。母親は俳句に関する習い事をやってみればとしつこく言ってきた。しぶしぶ一度見学したものの絶対に嫌だと言い張って断った。

 しかし、母親は次から次へと「これならどない?」と多くの習い事を勧めるのであった。あまりにもしつこい母親に観念して、勧められた習い事の中にあった習字教室に入ると言った。すると母親は大喜びで俊生を習字教室に入会させたのであった。

 しかし、俊生が習字教室に入ってからは、賞を取ったことを母親に伝えても、

「そうなん? おめでとう」

 とそっけない反応だけで、まるで無関心だったのである。

 この一面を知った俊生はやりたくてやっているわけではないのにとふてくされた。

 しかし、母親が無関心であるから習い事をさぼったところで全くばれない。俊生はこれに味をしめるようになり、母親を上手く操れたような気がした。


 そんな習い事の一つであるジュクに行かされるきっかけになったのは担任の先生の一言だった。

「俊生君は勉強もスポーツもようできますし、ジュクにでも行ってレベルの高い中学への進学を考えんのもええんやないでしょうか?」

 母親はこういう言葉にとにかく弱い。母親は俊生がまだ行くとも言ってないジュクのことをたくさん調べ始め、何度もいくつかのジュクを紹介したのである。

 俊生はごねながらも習字の習い事の時のことを思い出していた。

 一度ジュクに入ってしまえばまた、母親は何も言わなくなるだろうとジュクに行くことを決めたのであった。


 しかし、ジュクという場所は俊生の考えていた以上に苦痛を感じるような場所であった。

 宿題はたくさん出る、どれだけ必死にやっても自分より頭がいいやつが次から次へと現れる。

 今まで周りの大人たちからちやほやされながら、何でも出来るように見えていた環境が次から次へと壊されていく。今までの優越感にも似た気持ちは、次第に周りの大人に求められてきた出来る子としての像を守るための焦りに変化していった。

 その焦りはますます俊生を追い込む。

 俊生にとってジュクという場所が今はとにかく辛かった。

 また、追い打ちをかけたのは母親の態度が今まで以上に厳しく、習い事の一つであるのにも関わらず、無関心ではなかったことだった。

「宿題はやったん?」「この前の学校のテスト、ジュクに行ってんのになんで満点取られへんの?」いつになく厳しい言葉ばかりが俊生に向けられるようになっていった。

 今までにこんなに苦しいことは一度もなかった。

 今の俊生にとっては、ジュクはおろか家さえもとても苦しい場所になった。

 家での母親との関係が日に日に悪くなっていく。喧嘩が始まることもしばしばだった。

 俊生は些細なことでさえすぐにイライラするようになっていた。

 家でのこのような態度が俊生の少しの落ち着きを得る唯一の手段であった。

 そんなストレスのはけ口はついに学校にまで及んだ。

 学校でも何でも出来るようなキャラクターであったが、ジュクに行き始めてからというと、今までのような面影は全くなかった。

 俊生は友達に今まで言ったことがなかったような、きつい言葉を浴びせるようになっていた。

 自分の事だけでもういっぱい、いっぱいだった。

 しかし、そんな追い詰められた俊生の心に一つ光が宿る出来事が起こった。


 それは学校で最も仲が良かった友人の境介(きょうすけ)に図書室で勉強を教えている時のことである。

「なんでおまえはいつもそんな簡単な問題も出来(でけ)へんの?」

 境介は答えた。

「こんな問題ようけやらん。先生教えてへんで、こんな解き方?」

「学校の先生が言うたんとちゃう? あぁ、これちゃうわ。ジュクで教わったところや」

 ジュクへの劣等感があったせいか、嫌味な言い方になっていたのかもしれなかった。

 ムッとした顔をして境介が言葉を返す。

「俊生はジュクに通って何でも出来るかもしれへんけどなぁ、いくら勉強好きでもお金のあらへん家ではジュクなんか行けん。だからこんな難しい問題、簡単になんか解けんわ」

 今まで張っていた糸がプツンと切れた。

 勉強が好きだと平然と言える境介にイラッとした。

 家では色々なものを親から押し付けられた。それでも母親はほめるどころか厳しい言葉しか向けない。

 学校では少しずつ人間関係の歯車が狂い出している。ジュクに行けば、次々自分よりも頭のいい奴ばかり現れる。今まで周りの大人たちから求められる、出来る子としての自分が壊れていく得体のしれない恐怖。

 負担ばかりが増えていく勉強をしたいと言えるなんて、今の俊生には意味が分からなかった。

 そんな様々な思いが遂に爆発する。俊生は今までに発したことのないような荒々しい声で境介に言い放つ。

「もうええわ。おまえみたいなアホみたいなやつに教えることはあらへん。せいぜい一人で頑張り」

 言ったが最後。元々気が弱かった境介は突然泣き出してしまった。

 その時。

 一人の少女が颯爽と駆けて俊生のもとへやってきたのである。

「うちの(きょう)ちゃんいじめよったな」

 突然出てきた少女に俊生は少し怯んだ。

 少女はまくしたてるように続ける。

「気ぃ弱いやついじめよってみっともない」

 なぜ少女が急に現れたのかはわからない。

 たくさんの疑問符が頭の中をぐるぐると回転していた。

 それでも必死に抵抗して言葉を発する。

「境介に勉強を教えててん。こいつが物わかり悪いからあかんねん」

 少女は顔を真っ赤にしてまくしたてる。

「こんな問題すぐにわかったら苦労せえへん。小学生がすぐ見て出来る問題とちゃうやんけ。もっと丁寧に教えたれや」

 そう言った後、少女は境介に向き直り頭を撫でた。さっきとはうって変わって優しい口調になってさっきまで俊生が教えていた問題を境介に教え始めた。

「いつまで見てんねん。はよう帰りや。境介いじめるんやったら二度と近づかんといて」

 何が起こっているのかわからなかった。なぜ怒鳴られているのかもわからない。

 少しずつ落ち着きを取り戻しながら、もう一度よく考えてみる。

 なぜ怒鳴られなければならないのかという怒りがこみあげてくる。

 なぜ、見たこともない知らないやつに怒鳴られなあかんねん。

 考えれば考えるほど怒りは増していく。

 荷物を急いで持ちとにかく教室を後にした。

 「ガーン」

 と扉を強く開け放った音が廊下に一つ響き渡る。

 あの少女が頭から離れない。 

 あの少女が境介と親しそうにしていることに対するもやもや。

 彼女のことがもっと知りたい、相反する感情。

 俊生の中にわずかな光が差し込み始めた。


           *

「俊生、何考えてんの?

 私は小学校の時のこと思い出してた。

 初めて()うた時のこと。

 境ちゃんを泣かせたところを見つけた時やったな。

 初めて話したんは。

 私は隣のクラスやった、ずっと俊生のこと知ってたわ。

 俊生はなんでも出来て、人気もんやったやろ?

私なんかちっとも近づくことが出来へんと思うてた。

 ずっと俊生のことを気にしとった。

 ずっと話してみたいと思うてた。

 だから初めて話した時、怒鳴ったこと今でも後悔してんねんで。

 でもあの後、俊生も私のこと気にかけてくれて嬉しかったわ。

 あの時が恋しい。

 だからお願い。

 また話そう。

 もっと俊生のこと知りたい。

 楽しいことまだまだあるで」

 彼女の手首には小学生のころいつもしていたラベンターを模したシュシュがあった。

 少し古くなってしまい、今は鮮やかさがなくなってしまった。

 小学生の彼女は花言葉が好きだった。

 だからこのシュシュにささやかな願いを込めたのである。

 ラベンダーの花言葉は「いつまでも待っています」

 美衣は俊生といつか話せることをひそかに願ってこのラベンダーを模したシュシュを買って大切にしていた。

 彼女は花が活けてある花瓶の水を変えるために病室を出た。

 

美衣(みい)……」

 小さな彼女を呼ぶ声は、今はまだ届かなかった。


           *

 少女の名前は美衣という。

 俊生がこのことを知ったのは、美衣に怒鳴られてから二日経ってからのことだった。

 美衣は隣のクラスの子で、普段はとてもおとなしい子であった。

 美衣は紫色のシュシュを毎日つけていた。

 俊生はここ数日、美衣のことがずっと頭の中から離れなかった。

 理由ははっきりとは分からない。けれど紫色のシュシュをつけた美衣のことが頭から離れない。

 美衣のことをもっと知りたい。そんな思いが俊生の頭の中をひたすらに駆け巡った。

 このような状態では学校とジュクで集中して勉強が出来るわけがなかった。

 俊生のクラスメイトの間では、境介に怒鳴り散らした話がすでに流れており、今までのように俊生に話しかける友人は少なくなった。挙句には嫌味なやつであるとさえ思われるようになってしまった。

 俊生の態度も話しかけてくる友人たちが面白半分に話しかけてくるのだろうと考えているために、鋭い視線を友人に向け友人たちが慌てて逃げていくありさまだった。

 俊生は次第に孤独を感じると同時に一つの恐怖も抱えるようになっていった。

 その恐怖を感じたのは今の俊生が、美衣のことが気になって仕方がなく、もっと知りたいと感じていたからであった。

 俊生の噂は根も葉もないものに変わっている。このままでは美衣にさらに悪印象を与えてしまう。

 ただでさえ、最初に出会った時の印象が悪いのにもかかわらず、これ以上印象を悪くしてしまうことは、俊生にとって頭がどうにかなってしまいそうなことだった。

 学校でもジュクでも考えることは美衣のことばかりになる。

 そもそもなぜ、美衣のことが頭から離れず、ずっと気にしなければならないのか。俊生には初めての出来事でわからなかった。

 そんなときクラスで話題になっている話が、俊生に衝撃を走らせる。

 それはクラスメイトが話している恋愛模様についてだった。

 ずっと気になる。もっと知りたいと思う気持ち。一緒にいたいと思う気持ち。

 それは恋というものなのだと。

 盛り上がる会話の続きは全く気にならなかった。胸の鼓動が感じたこともないスピードで鳴っていく。

 頭がカァッと熱くなっていき、顔が真っ赤に染まっていく。

 俊生はうつむき、顔が真っ赤になっているのを見られないようにした。

 そして、今はじめて気づく。

 あの少女のことが

 もっと知りたい。

 なんでこう思うのかはわからない、

 でも、

 美衣に恋しているのだと。美衣が好きなのだと。


     *   

 いつものように車で母親に送ってもらい着いたジュクの前。

 とても教室に入る気分にはなれなかった。

「着いたで。はよ車からおりぃ」

 母親の声はうっすらとしか聞こえない。

 俊生はしばらく動かない。

 美衣に会いたい。

 衝動が俊生を駆り立てる。

 車から降りた俊生はジュクではない方向へと走り出していた。

「ちょ、何してんの? ジュクはそっちちゃうで」

 母親の怒鳴り声は、あれだけ張り合わなければならないといつも気にしていた声は全く気にならなかった。

      *

 俊生、あの後急に紫色の花束なんか持って私のところに来よってん。

「この前はごめん。もっと境介に分かりやすう教えてあげなあかんかった。きつく言いすぎたわ」

 私は言うてん。

「それは境介に直接言いや」

 俊生は顔をタコみたいに真っ赤にして、こないこと言う。

「この花束もらって。こないだ()うた時から美衣のことが頭から離れへん。なんでかわからんけど好きやねん」

 急にこないこと言うから面喰らった。あの時私も少し気になってたし、でもこんなこと言われるん初めてやったし。

「なんで私の名前知ってんねん?」

 俊生、絶対見栄張っとったような答えやったなぁ。

「当たり前や、学校の同級生の名前ぐらいみんな知っとる」

「そない? ほんなら境介の名字知ってるか?」

 俊生しばらく黙ってしもうてな。必死に反応したんやろうな。

「たまたまど忘れしたんや」

 それ聞いて私思いっきし笑ってもうて。必死になってるところがかわいくてしょうがなかったで。

 困ったのか俊生はこう言うたな。

「美衣の紫色のシュシュ、ホンマによう似合ってると思ったから、紫色の花束にしたんやけどどない?」

「ホンマ? それは嬉しいわ」

 俊生ホンマにほっとした顔で、

「よかった」

 って言うとった。私は話し出す。

「私な花大好きやねん。私のシュシュな、ラベンダーを模したシュシュやねんで。なんでラベンダーにしたかわかる?」

「なんなん?」

「ラベンダーの花言葉にはいつまでも待ってますって意味があんねん」

「そうなん?」

 私もここで本音切り出してんな。

「私も俊生のこと気にかけててん。だからいつか話しかけてもらえるようにってこのシュシュつけたんや」

「そうやったん?!」

 あれからいろんな所行ったね。いっぱい喧嘩もしたな。たくさんの時間俊生と一緒にすごしたな。

 眠ったままの俊生に何度目かわからない問いかけを涙目ながらにする。

「ラベンダーの花言葉、覚えてる?」

 ずっと眠っていた俊生の口がゆっくりと開いて声を絞り出した。

「いつまでもまってますやろ」

 俊生は交通事故に遭い長い間意識を失っていた。そしてようやく意識を取り戻したのである。

 美衣は顔をぐしゃぐしゃにして言う。

「ずっと、待ってたで」

 美衣は泣き崩れながら、俊生の手をギュッと握った。


最後まで読んで頂きありがとうございました。とってもどうでもよい裏話ですが。この作品を今回小説家になろうに更新する際にこの作品を読み直しをしたのですが、自分でこの作品おもろいなと自画自賛してしまいました。内容自体はこうするべきだったとか色々あったのですが、久しぶりに読書をしたせいなのかとっても面白いと感じました。2016年は水刀と自身としても積極的に小説を書いていく年にしなければならないと感じているので、今回の自分の作品を自分で面白いと思った気持ちを忘れずに頑張っていきたいと思います。

最後までお付き合いありがとうございました。

次回の更新もぜひ楽しみにしていてください!!

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