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ロスト・ピルグリム  作者: 片栗粉
9/12

断罪の洞穴

悔恨の渓谷を歩く咎人が目指す場所であり、最期の地。

この中から出られたものはおらず、たとえ出られたとしても恐怖で正気を失い、生きた屍にしかならぬであろう。

半ば飛び込む形で逃げ込んだ洞穴は、真っ暗で何も見えなかったが、それ以上の事態がゼノを襲っていた。


「うわああああ!」


叫び声が、暗闇の中に反響していた。それと共に何かが転がり落ちるような音と、固い何かがぶつかり擦れ合う音が響く。


洞穴の中は歩くのも困難なほどの傾斜になっていて、それは下へ下へと伸びている。まるで地の底まで続くようであった。


ゼノは洞穴の中を滑落しながらも、盾と剣だけはしっかりと握りしめ、時折身体に当たっては砕ける鍾乳石の衝撃に耐えながら滑り落ちる。


そして、長い長い暗闇のスライダーは唐突に終わりを迎えた。


「なっ!」


驚きに目を見開いた時には、既にゼノの体は宙に浮いていた。一瞬だけ、金緑の星が空一面に輝いているのが見えた。


――綺麗だ。


そのままゼノの体は、重力に従って下へ落ちてゆく。仰向けのまま落ちるゼノは心の片隅で、この美しい光景を焼き付けて死ぬのも悪くない。そう思った。


だが、現実と言うのは残酷だ。次の瞬間、ゼノのその重たい身体は派手な水柱を作り出していた。


斬りつけるように冷たい水が鎧兜の隙間から入り込み、思い切りもがくが、その拍子に足が水底を捉えて、我に返る。


さほど水位が高くないことに気づき勢いよく体を起こした。


「げほっ!げほ!どこだ……ここは……?」


ようやく息が整い、周りを見渡す。そこは、気の遠くなるような時間をかけて自然が作り出した、巨大な地底湖だった。

天然のドームには、ヒカリゴケの一種であろうか、金緑色の光の天蓋が天井一面を覆っていて、まるで天を流れる川のようだ。


「……寒い。」


思い出したかのようにぶるりと身を震わせる。かなり気温が低い。白い息が兜から漏れる。濡れた体は容赦なく体温を奪い、ゼノはガチガチと歯を鳴らした。


「まずは水の中から出なければ。」


剣と盾がある事を確認すると、胸まである水を掻き分けて進む。光は天井のヒカリゴケだけで、水の中は一切見えない。

この黒い湖面の中から何かが襲ってきそうな気がして、ゼノは白い息を吐きながら闇雲に進み続けた。


しばらく進めば、思いのほか直ぐに岸辺にたどり着いた。ゼノは冷たい水から這い出ると、転がり込むように陸地に倒れる。岩と湿った苔の感触がゼノを安心させた。


兜をむしり取り、仰向けのまま暫し息を荒げる。


金緑色の星空が、ゼノの視界いっぱいに広がった。



――ねえ、一つだけ黄金色に輝いているあの星はなにかな?


――あれは女神テミスの瞳よ。どんな嘘もたちまち見抜いてしまう、真実の瞳なんですって。


――へえ。君は物知りだね。僕が嘘をついてもテミスの瞳の下では無駄ってことか。


――当り前じゃない。女神テミスは正義を司る女神だもの。嘘なんかついたらばちが当たるわ。


「真実の瞳は、全てを見通す……か。」


寝ころんだまま、ゼノはぽつりと呟いた。束の間、全身を支配していた寒さと疲労を忘れて地底の星空に見入る。


そして、頭の中に語り掛けてくる少女の言葉だけが、異常な地で孤独に潰されそうになっていたゼノが正気でいられる唯一の拠り所になっていた。


「……さあ、参るか。」


疲れ切った身体をようやく起こして、孤独な巡礼者は周りを見る。到底上には行けそうになかった。


「どこかに横穴でもあるだろうか。できれば松明か何かあれば……」


言いかけてはたと気づく。そうだ、ランタンはどうしたであろうか。水の中に入ったから流石に消えてしまっただろう。


そう思いながら、腰の脇に提げていた古ぼけたランタンを見た。


「なんと……。」


驚きがゼノの口から洩れた。ランタンは消えるどころか青白い光を前よりも強く放ちながら、ゆらゆらと人魂の如く燃えているではないか。


もはや気味が悪いなどと言っていられない。片手に掲げれば、足元を辛うじて照らすことが出来た。真っ暗な洞穴を何もなしにあるくよりは余程いい。


「贅沢は言ってられんな。」


ため息をついて歩き出す。一刻も早くここから出て身体を温めたかった。


鎧の軋む音と、硬い足音が洞窟内に響く。ランタンのぼんやりとした青い光が足元を辛うじて照らすが、もう少し頼りがいのある明かりがほしいものであった。


「寒いな……体の芯まで凍り付きそうだ……。」


かちかちと奥歯を鳴らして石壁を照らす。ぬらりとした輝きが、ゼノを照り返すのみで、穴のようなものは見当たらない。


鋼の鎧は酷く冷たく、体温を奪いやすい。濡れた体でいると冗談抜きで命にかかわる。


「火、火が欲しい……。」


うわごとのようにそれを繰り返して、地底湖の周りをぐるぐると歩く。寒さは人の思考を鈍らせ、徐々に死の恐怖へ追いやる。


今のゼノは、狭い箱に閉じ込められた鼠の姿そのものであった。


しかし、ゼノは壁についた手を見て、何かに気付いたようだ。しきりに壁に耳を当て、手甲をつけた拳でノックするように壁を叩く。


「ここだけ、音が違うぞ。」


一縷の希望を見出し、鞘をつけたままの剣で壁を思い切り叩く、突く。すると硬い岩壁が少しずつ崩れていくではないか。どうやらこの壁だけ脆い岩の層になっているようだ。


発狂する前に気付けたことは幸運であったといえるかもしれない。その先がどのような場所であろうかはわからぬが、ここで凍死する確率が下がっただけでも僥倖だろう。


それだけしか知らない人形のように、ゼノは剣を壁に突き立て続ける。息を荒げ、凍り付きそうな腕を無理やり動かして。


大きな壁の一部が剥がれ落ち、穴が開いた。向こう側からわずかに空気の流れを感じ、この先が安全で、暖かい場所であることを祈り、今度は盾を構えて思い切り体当たりする。


「もう少しだ!」


何度も何度も体当たりを繰り返し、パラパラと剥がれていた壁に大きな亀裂が走り、鈍い音を立てて崩れ去った。ゼノは寒さで体勢を立て直すことができずにそのまま壁の中へ突っ込んだ。


ガシャリと柔らかいが脆い何かが盾の下で砕けたのがわかった。慌てて周りの様子を見る。


その岩壁には先ほどとは違い、たいまつの炎が等間隔に燃えていて、曲がりくねってはいたが通路の様を呈していた。


火の存在に安堵したのも束の間、自分が下敷きにしていたものを見てぎょっとした。下には夥しい数の骨らしきものが散らばっていた。


いや、散らばっているなどと生易しいものではない。バラバラになった骨が絨毯の如く埋め尽くしているではないか。


「全て、骨だというのか……? これが……。」


細長い骨に埋もれているたくさんの丸い頭骨らしきものを薄ら寒い思いで見つめる。一体、この場所で何があったというのだろうか。


ゼノは立ち上がると、ぱきぱきと骨を踏み潰す音に顔をしかめながら、松明を手に取った。暖かい炎が顔を照らし、ようやく生を実感した。


「何もいない事を祈ろう。」


そういうと、ゼノは白い骨の絨毯を踏みしめながら、奥へ奥へと進んでいった。


「右へ進むか、真ん中か、左か……またあの時の様なのはごめんだぞ。」


ゼノの目の前には三つの分かれ道があった。いやでもあの石と棘の道の悪夢が蘇る。


「とりあえず、左から行ってみようか。」


嫌な思い出を振り払うかのように、ゼノは松明を掲げて歩き出した。


左の道は比較的広く、歩きやすかった。異形の敵も見当たらない。ほっとしながら、進み続ける。埋めつくす骨の量は変わらなかったが。


ぱきり、ぱきり。


その音だけが、洞窟内に反響している。


ぱきり、ぱきり。


いきなり何かが出てくるのではないだろうか。ゼノはそんな強迫観念にかられ始めていた。松明の明かりは、暗闇の先までは照らせない。


がさり。


暗闇の奥のほうから異音がした。全身に緊張が走った。何かが蠢いている。


がさり、がさり。


ぱちぱちと松明の炎が爆ぜた。流れる汗は炎が熱いからではない。恐怖だ。


嫌な気配が背筋を伝い、ゼノは咄嗟に壁に張り付くように飛ぶ。


何かが、すぐ横を掠めた気がした。


べしゃりと嫌な音を立ててゼノの後ろにそれは落ちた。酷い臭いだ。腐肉のほうがましかもしれない。


がさり。ぱきり。


荒くなる息を鎮めることもせず、剣を抜き、松明を掲げた。


暗闇が、のそりと動きだし、ゼノの前に姿を現した。


それは、蜘蛛といっていいものであろうか。


通路の半分を埋める巨体には、黒い毛の生えた丸い胴体に無数の足。嫌いな人間が見れば途端に卒倒してしまいそうなほどにそれは醜悪であった。


輝きのない複眼のすぐ下には、黒い牙がてらてらと光沢を放っていた。


赤い炎に照らされてなお、光を拒絶するかのように黒い体毛がぞわりと揺れた。


膠着は、一瞬だった。


蜘蛛が八本の足を踏ん張るように張り、姿勢を低くしたと思った時、勢いよく口から何かを吐き出した。


咄嗟にゼノは松明を捨て、それを盾で受ける。あの酷い腐臭を放つ液体のようなものだ。強烈な異臭が鼻をつく。


間髪入れずに、巨大な足がゼノに襲い掛かろうとしていた。


「くっ!なんて力だ!」


剣でその一撃を打ち払う。痺れが手甲を貫き、剣を取り落としそうになる。


洞窟内は狭い。小回りがきかないので一撃を食らってしまえば致命傷は免れない。


ゼノは意を決して足元の松明を蹴り上げた。火の粉が舞い、その赤い炎に蜘蛛が怯んだ。黒い体毛が火を受けて嫌な臭いを放つ。


それを見逃さず、ゼノは蜘蛛の体の下へ滑り込むようにして、下から剣を突き出した。黒い毛に包まれた柔らかい腹に剣が突き立ち、さらに押し込む。


すると、堪らず大きく体を震わせた蜘蛛は、シャアア!という断末魔の悲鳴を上げて、だらりと力尽きた。


ゼノは嫌悪感を露わにしながら自分の上から巨大な蜘蛛の死体をどかした。荒い呼吸が洞窟内に響く。


「う……この蜘蛛の体液か。酷い臭いだ。」


鎧は剣を突き立てた際に腹から流れ出た体液にまみれていた。それをみてさらに顔をしかめる。あの地底湖でこの身体を洗いたい誘惑にかられたが、ぐっとこらえた。


改めて息絶えた蜘蛛を見る。大きさはゼノと同じくらいだ。この骨の絨毯はこれが作ったのだろうか。


「まさか……な。」


まだ燃えている松明を拾い上げて、ゼノは奥を見た。


すると、先ほどとは比べ物にならないくらいの大きながさがさという音が、聞こえ始めた。


黒い何かが蠢きながらこちらへ来る。ゼノは恐怖に眼を見開く。


それは、仲間を殺され、怒り狂うかのように猛烈な勢いでこちらへ来る、黒い蜘蛛の群れであった。








「―――っ!はぁ!はぁ!」


ゼノは勢いよく身体を起こした。酷い頭痛と吐き気の波に息を吸う事も苦しい。忙しなく視線だけで周りを見る。また、あの三つの分かれ道だ。


あの後、ゼノは死んだ。なすすべなく、喰らいつくされた。強靭な蜘蛛の顎はいとも容易く鋼の鎧を噛み砕き、壮絶な痛みが全身を襲った。嫌だ。やめろと泣きわめきながら、生きたまま食われ続けた。


「うぅ。くそ!」


恐ろしい死の瞬間が蘇り、手の震えが止まらない。このまま自分で首を掻っ切ってしまえれば、どんなに楽だろうか。だが、どうせ生き返るなら無駄なことだ。


「一生出られないかもしれんな……。」



虚ろな表情でゼノはぽつりと呟く。だが、不思議なことに涙も出ない。自分自身が空っぽだからだろうか。とゼノは自嘲気味に笑った。


「次は……真ん中か……。」


鉛のように重い体を引きずり、違う道を進む。死んでも、生き返る。死ねない事がここまで辛いものなのかと、ゼノは思った。




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