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ロスト・ピルグリム  作者: 片栗粉
7/12

悔恨の道

ここに連なる山々には木も草も生えてはいない。険しいその道は、何人も立ち入ることを拒むかのように、荒々しい風が常に吹いている。

かつては断罪される咎人達の刑場への道であったため、悔恨の道と名が付いた。今や通る者はおらず、死んだ咎人の嘆きが渓谷に風と共に響いている。

巨大なモボスの門を抜けて暫くすると、険しい渓谷に出た。


進むべき道は細く、細かな石やひび割れが目立ちあまりいい状態ではない。ともすれば奈落の底に落ちてしまいそうなほどであった。


「人ひとり通れるかどうかだな……。」


恐々と道の端から下を覗く。底すら見えぬ暗闇が、こちらへ来いと手招いているようにも見える。なるべく下を見ないようにして、ゼノは歩き出した。

渓底から吹きあがってくる強い強風は、岩肌に手をついていないとよろめいてしまいそうになる程だ。


「風が強いな……。」


担いでいる盾に風を受けないように体勢に気を付けながら歩き続ける。

太陽すら出ていない灰色の空は、時間の経過が全く分からない。


いい加減渓谷を出てもいいのではないだろうかと思ってきたが、一向に抜けられる気配はない。

ため息をついてまた歩き出す。


――おぉう。おぉう。


「……ん?」


今、微かに何かが鳴いているような声が聞こえた。低く、悲哀に満ち、慟哭しているかのような声が不気味に響く。


風の音だろう。そう結論付けようとしたが、今度はもっと近くで声が聞こえた。


深い渓谷の向こうを見れば、大きな蝙蝠の群れが不気味な羽根をはためかせている。だが、何かがおかしい。


「なんだあれは……。」


徐々に近づいてくる蝙蝠の大群をよくよく見れば、薄い皮膜の翼を生やした人のようなモノがひしめくように飛んでいて、それを見たゼノは呆然と呟いた。


干乾びた亡者の様な細い手足、灰色の肌、ぽっかりと空いた眼窩には虚ろな闇ばかりで何もない。その口から放たれる慟哭の如き声は聞く者をぞっとさせるほどであった。


その群れは、まっすぐゼノへ向かってくるではないか。


「っ!どこかに隠れる場所は……」


慌てて周りを見るが、そばには切り立つ断崖と底すら見えない渓谷しかない。

ゼノは意を決して走り出した。渓底からの強風がその体を押し上げるように吹き付ける。ハアハアと息が上がり、心臓が爆発しそうなほどに鼓動を激しく打つ。


それでも、原始的な恐怖というものに支配されようとしている身体は、足を緩めることはなく狭い道を駆け抜ける。


「はあ!はあ!くそっ!」


走っても走っても横穴一つ見つからず、ゼノは忌々しそうに舌打ちした。

羽音はすぐ近くに迫っている。



――おおぉぉおおお。


亡者の叫びと言うのはこういうものなのだろうか。全身が総毛立つような不気味な声がすぐ近くで聞こえた。ゼノは純粋な恐怖から剣を抜き、視線をそちらへ向けた。


蝙蝠の化け物は、ゼノのすぐ横をふらふらと飛んでいた。

ぽっかりと開いた眼窩には何も映してはいないが、明らかにゼノの方を向いている。枯れ木のような腕が、ゼノに向かって伸びてきた。その手は何かに縋っているようにも見えるし、奈落の底に引きずり込もうとしているようにも見えた。


「寄るな!化け物!」


走りながら滅茶苦茶に剣を振り回す。子供が棒切れを振り回しているかのようであるが、ゼノにしてみれば文字通り必死であった。


その刃が運よく化け物の腕を薙いだ。枯れ木と同じくらいに細い腕は鋼の刃の前に簡単に断ち切られ、薄い被膜を張った羽根はいともたやすく斬り裂かれた。


ぞっとするような悲鳴を上げて化け物は奈落の底へ落ちていった。


「弱い…いや、脆い、のか……?」


走りながら化け物の方を見る。汗が目に入りひりひりと痛みを訴えるがそんなことはどうでもよかった。

攻撃力はさほどでもない。しかし、あの圧倒的な数は一人で倒し切るのは不可能だ。


「ここは突破するしかないか……!」


腹を決め、盾で体を覆うように掲げてゼノは細い道を一気に駆け抜ける。


――おおぅおおおぉおう。


耳元であの声が響く。脇を見れば、灰色の細い指がしっかと盾を掴んでいる。化け物の顔がすぐ近くに現れ、にい、と笑った気がした。ぞっとしてゼノは盾でそれを振り払う。


灰黒の群れが、ゼノのすぐ後ろに迫っていた。


剣で薙ぎ払い、盾で振り落としながら、ゼノは走り続ける。もういっそのこと、兜と鎧を脱ぎ捨ててしまいたかった。

その重さと激しい動きに腕が、脚が、心臓が、悲鳴を上げている。


もうだめだ。そう思った時だった。


――あの洞穴に走れ!


確かに、男の声でそう聞こえた。ぐねぐねとした山道の遥か先を見れば、ぽっかりと黒い穴が開いている。大きさはさほど大きくない。身をかがめて入るのがやっとであろうか。

悲鳴を上げる身体を無理やり動かし、ゼノは洞穴目指して走り続ける。


いきなり、鋭い痛みが右腕を貫いた。右腕に取りついた化け物が、肘の内側、鋼の板金に覆われていない場所にその歯を突き立てたのだ。


灰色の口から見えた黄色い乱杭歯は人間の物とよく似ていた。鎧の下に着こんでいる分厚い革の筒袖は貫通こそしなかったが、その顎の力は人の比ではない。


「離れろ!」


生理的なおぞましさを感じ、思い切り振り払う。だが、化け物はひらりと離れ、ゼノから付かず離れずの場所を飛び回る。


化け物共はまるでゼノが弱るのを楽しんでいるかのように、取りついては離れを繰り返していた。


更に呼吸が荒くなり、脚が縺れそうになる。


洞穴まで、あと少し。


ゼノは更に脚を動かす。たとえ心臓が破裂しようとも、あの化け物共に生きたまま貪り食われるのはごめんだった。


――おおおぉおおおお!


それは化け物の声だったか、ゼノ自身の声だったか。


洞穴まであと数歩まで来た時、がくんとゼノの身体が前に傾いだ。


「うわ!」


走るのに無我夢中で気づかなかったのだろうが、その足には化け物がしがみ付いていた。バランスを崩したゼノは、数歩たたらを踏んだ後、そのまま洞穴に吸い込まれていった。


半ば飛び込む形で逃げ込んだ洞穴は、真っ暗で何も見えなかったが、それ以上の事態がゼノを襲っていた。


「うわああああ!」


叫び声が、暗闇の中に反響していた。それと共に何かが転がり落ちるような音と、固い何かがぶつかり擦れ合う音が響く。


洞穴の中は歩くのも困難なほどの傾斜になっていて、それは下へ下へと伸びている。まるで地の底まで続くようであった。


ゼノは洞穴の中を滑落しながらも、盾と剣だけはしっかりと握りしめ、時折身体に当たっては砕ける鍾乳石の衝撃に耐えながら滑り落ちる。


そして、長い長い暗闇のスライダーは唐突に終わりを迎えた。


「なっ!」


驚きに目を見開いた時には、既にゼノの体は宙に浮いていた。一瞬だけ、金緑の星が空一面に輝いているのが見えた。


――綺麗だ。


そのままゼノの体は、重力に従って下へ落ちてゆく。仰向けのまま落ちるゼノは心の片隅で、この美しい光景を焼き付けて死ぬのも悪くない。そう思った。


だが、現実と言うのは残酷だ。次の瞬間、ゼノのその重たい身体は派手な水柱を作り出していた。


斬りつけるように冷たい水が鎧兜の隙間から入り込み、思い切りもがくが、その拍子に足が水底を捉えて、我に返る。


さほど水位が高くないことに気づき勢いよく体を起こした。


「げほっ!げほ!どこだ……ここは……?」


ようやく息が整い、周りを見渡す。そこは、気の遠くなるような時間をかけて自然が作り出した、巨大な地底湖だった。

天然のドームには、ヒカリゴケの一種であろうか、金緑色の光の天蓋が天井一面を覆っていて、まるで天を流れる川のようだ。


「……寒い。」


思い出したかのようにぶるりと身を震わせる。かなり気温が低い。白い息が兜から漏れる。濡れた体は容赦なく体温を奪い、ゼノはガチガチと歯を鳴らした。


「まずは水の中から出なければ。」


剣と盾がある事を確認すると、胸まである水を掻き分けて進む。光は天井のヒカリゴケだけで、水の中は一切見えない。

この黒い湖面の中から何かが襲ってきそうな気がして、ゼノは白い息を吐きながら闇雲に進み続けた。


しばらく進めば、思いのほか直ぐに岸辺にたどり着いた。ゼノは冷たい水から這い出ると、転がり込むように陸地に倒れる。岩と湿った苔の感触がゼノを安心させた。


兜をむしり取り、仰向けのまま暫し息を荒げる。


金緑色の星空が、ゼノの視界いっぱいに広がった。



――ねえ、一つだけ黄金色に輝いているあの星はなにかな?


――あれは女神テミスの瞳よ。どんな嘘もたちまち見抜いてしまう、真実の瞳なんですって。


――へえ。君は物知りだね。僕が嘘をついてもテミスの瞳の下では無駄ってことか。


――当り前じゃない。女神テミスは正義を司る女神だもの。嘘なんかついたらばちが当たるわ。


「真実の瞳は、全てを見通す……か。」


寝ころんだまま、ゼノはぽつりと呟いた。束の間、全身を支配していた寒さと疲労を忘れて地底の星空に見入る。


そして、頭の中に語り掛けてくる少女の言葉だけが、異常な地で孤独に潰されそうになっていたゼノが正気でいられる唯一の拠り所になっていた。


「……さあ、参るか。」


疲れ切った身体をようやく起こして、孤独な巡礼者は周りを見る。到底上には行けそうになかった。


「どこかに横穴でもあるだろうか。できれば松明か何かあれば……」


言いかけてはたと気づく。そうだ、ランタンはどうしたであろうか。水の中に入ったから流石に消えてしまっただろう。


そう思いながら、腰の脇に提げていた古ぼけたランタンを見た。


「なんと……。」


驚きがゼノの口から洩れた。ランタンは消えるどころか青白い光を前よりも強く放ちながら、ゆらゆらと人魂の如く燃えているではないか。


もはや気味が悪いなどと言っていられない。片手に掲げれば、足元を辛うじて照らすことが出来た。真っ暗な洞穴を何もなしにあるくよりは余程いい。


「贅沢は言ってられんな。」


ため息をついて歩き出す。一刻も早くここから出て身体を温めたかった。


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