今日も彼は情けない
「おい、ジオ。おい、いい加減起きねーか」
「ん、んぅ」
体を揺すられ目を覚ましたジオは、上から降ってきた野太い声の持ち主が自分の顔を覗き込んでいるのを見て苦笑した。
彼はハンスと言ってジオとは顔馴染みの戦士だ。
幼少の頃からもう何度も彼の形の良い禿げ頭を見てきた。
「目を覚まして一番に見るのがおっさんの顔ってところがなんとも僕らしい。お伽噺の英雄なんかとは正反対だ。おかげで目が覚めたよ」
「はん、それだけ喋れるんなら大丈夫だな。お前さんほぼ無傷で気絶してたんだぞ。俺が撤退のときに連れ帰らなきゃ今頃お前は魔物の晩飯だ」
「無傷?」
自分には確かに魔物に貫かれた記憶がある。
もう目を覚ますことはないのだろうなと薄れていく意識の中でぼんやりと思ったことも。
「おいおい、どうした? そんな夢でも見てるような間抜けな面して。まだ寝ぼけてんじゃないのか?」
笑いながらハンスは体を起こしたジオの肩を二、三度叩いた。
夢?
いや、あの傷みは、あの感覚は確かに本物だった気がする。
「僕は、確かに……」
「まぁ、何にせよお前にはまだ前線はきついってことだ。次からは着いてくるなんていうんじゃねーぞ」
そう言ってハンスは立ち去っていく。
改めて周りを見渡すと、そこは見慣れた16階層の風景だった。
他の生き残った戦士も何人か見かける。
いつも彼らが帰ってくるときより少ないことからハンスにかなり時間をくわせてしまったのかもしれない。
「おっさん」
「ん?」
呼び掛けるとハンスは足を止めた。
「ありがとう」
「あー、そう言えばだ。一つ不思議なことがあった」
背を向けたまま振り返らず、光を当てたら輝きそうな後頭部を片手で掻きながらハンスは続ける。
「お前の近くにいた奴らは全滅してたんだわ。ジオ、お前相当な運の持ち主だぞ。俺が初参加のお前のこと気にかけてねーと、きっと撤退のときに生きてるってことに気づかなかった」
感謝しろよーとハンスは笑いながら立ち去っていった。
「奇跡ってことかな」
ジオは小さく呟いた。
ちょうどその瞬間、雄叫びが少し離れたところで上がった。
「ま、魔物でも来たのか!?」
身構えてから雄叫びが上がった方向に行こうかどうか迷う。
行って、討伐を手伝うのがここに住むものの義務である。
しかし、帰ってきたばかりで今はとても疲れているのだ。自分が行かなくたって誰かがやってくれるだろう。
正直、行きたくない。
「また因子持ちだっ!!」
誰かが叫んだその一言で行こうと思った。
因子持ちと呼ばれる人がいる、一般に魔物因子と呼ばれる魔物の力の一部を身に宿した人達だ。
彼らは身体的特徴に魔物の要素が出るものも多い。故にこの狭いダンジョンに押し込まれざるを得なかった人間社会にも居場所は少ない。
地上を知っている世代の人間にとって魔物は恐怖と絶望の対象であり、それを次の世代からも引き継いできた。
因子持ちとは、差別の対象だ。
人間よりも強力な力を有している者も多いが、因子持ち自体の数が少なくされるがままだ。
ジオが行こうと思ったのには因子持ちは強力であり、一人でも多くで押さえ込んだ方がいいからだ。
自分の住む階層がこれ以上危険な場所になるのは避けたい。
◇◆◇
「ぼくたちは悪くない!!」
狼の耳と尾を生やした少年が吼える。
彼が多くの戦士達に嬲られるのをジオはただ見ていた。
彼が何をしたのか、この場で何があったのかもしろうとせず。
戦士達の加勢に来たのだが、問題の因子持ちはまだ幼く、ジオの出番はなかった。
「生きることすら悪いっていうのか!?」
殴られ、蹴られ、折られ、それでも少年は叫ぶ。
「なんで!? どうして!? どう、して……ろうひて!?」
叫び声は戦士には届かない。
ジオも内心では少年に同情しながらも動こうとはしなかった。
ただただ様子を眺めていると誰かが後ろからジオの肩にぶつかった。
フードを深くかぶったその人物はどうやら人混みを掻き分けて少年のもとに行こうとしているらしい。
その人物がジオの前へと進んだとき、話がややこしくなると思ってジオはその人物の腕を掴んだ。
「やめときなって」
掴まれた人物が振り替える。
フードの奥の顔を見てジオは息を呑んだ。
宝石のように綺麗な赤い瞳は強い炎のような意思をもっており、透き通るような白い肌は怒りで頬を桃色に染めている。
釣り上がった形の良い眉もまた、彼女の意思と気の強さを表していた。
一言で言えば、とても可憐だった。
小さな口を開き彼女は一言。
「放せ」
それにジオは少し顔をしかめる。
ジオとしては彼女のためでもある行動だったのだ。
「放せ」
彼女は再度口にする。
「君が行ったってどうしようもないだろ」
「どうしようもない? なら、このままほっといてどうにかなるの?」
「それは、ならないかもしれないけど。もしかしたら、殺されはしないかもしれない」
「どうだか」
「奇跡が起こるかもしれないじゃないか」
少女は既にジオの方に顔も向けておらず、彼女の視線は因子持ちの少年の方を向いていた。
そして、少年から命が失われるのを見ると、唇を強く噛み締めて背を向ける。
「今のここに奇跡なんてないよ」
そう言い残して踵を返していった。
かける言葉も見つからなかったジオは少年の方を一瞥してから、彼らしくないことに少女の後を追う。
どうしても気になったのだ。彼女が去り際に見せた表情が。
「待ってくれ」
少女はジオが追っていることに気づいているようだが、止まらない。それどころか、走り出した。
結果としてジオは人気のない場所まで多少の距離を疲れた体に鞭を打って全力で走ることになった。
「待って、くれって」
少女が止まったところで、息を切らしながらジオは膝に手をついて体を休ませる。
「あなただって同じくせに」
振り向いた少女がフードをはらう。
絹のように滑らかな小麦色の髪が風になびく。
それをジオは綺麗だと思った。
「何のことだ?」
「何でもない。それより、驚かないのね」
少女は顔をしかめて言う。
彼女の耳は尖っていたのだ。そしてそれは因子持ちであるという証拠でもある。
「き、気づいてはいたよ。なんとなくだけど」
若干、少女の鋭い視線に気圧されながらジオは答えた。
「あなたは私たちの仲間を殺したわ」
「僕が殺したわけじゃない。それに君だってその気になれば僕を振り払って助けにいけたじゃないか」
「あのときあなたがしつこく私を掴んで声をかけたせいで注目されてたのよ? 気づかなかったの?」
「えっ」
少女の責める言葉に戸惑い、ジオは黙りこむ。
「ねぇ」
「な、何かな?」
「あなた私を追ってきて何がしたかったの?」
「それは……」
「ねぇ」
少女の追及は止まらない。
「分からない。でも、僕はただ……」
「ただ?」
ジオは覚悟を決めて思ったことを口にした。
「君を綺麗だと思ったんだ」
二人の間に沈黙が流れる。
「そう。でも、それは私の質問に対する答えになってない」
少女の表情に変化はなく、依然としてジオを睨み付けたままだ。
「もういいわ。あなたを放っておいてもどうせ何も変わりはしない」
「う、うん」
頷くジオに対し、少女は皮肉気に唇をつり上げた。
「ただ、一つ教えてあげる。あなた、もう今まで通りではいられないわよ」