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私的哲学

絵と文

作者: 羅知火 夜鷹

これはあくまでもわたしの考えです。意見を押し付けるつもりはありません。

しかし、もしもこれを読んで、あなたが何かを思ったのであれば。

その意見を聞かせていただけると嬉しいです。

わたしは文字書きだ、とよく言われる。


事実、それを認めている。


文字を書くのは好きだし、文字を組み上げて、文章を作るのが好きだ。


だから、小説を書く。


だから、こうしてこのサイトにも作品を掲載させてもらっている。




けれど、同様に、わたしは絵も好きだ。


だから絵を描くこともある。


お世辞にも上手とはいえないし、イラスト投稿サイトに投稿したところで、評価も全

くされない。


観覧もされない、そんな底辺に位置するような画力だ。




まぁ、底辺であることは文章のほうも同じなのだが。






絵と文章。


それはどちらも表現の部類だ。


しかし、どちらが好まれるか、と聞かれたら、それは確実に絵だろう。




人は一目で見て、即座に理解できるものを好む傾向がある。


誰だってそうだ、一目で理解できるのであれば、把握できるのであれば、そちらを選

ぶだろう。






だからこそ、絵描きと文字書きが同じジャンルの、まったく同じ内容をあげたとす

る。


その場合、圧倒的に好まれるのは絵だ。


一見文字の羅列にしか見えない文章よりも、眼を通せば一度でそれを理解できる絵の

ほうが、好まれる。








わたしは、それが悔しい。






わたしはどちらも未熟で、半人前で、人に早々好まれもしない、底辺で偏屈な文字書

きであり、絵描きだ。


どちらも未熟とは言えど、わたしは絵よりも文章のほうが長くやってきている。


そちらのほうが表現が出来る、と未熟なりに自信がある。




故に、絵で伝えられないことを、文字に託して、文章にして伝えようとする。


ただそれだけだというのに、見向きもされないことが多い。




それが、悔しくてたまらないのだ。






わたしの文字書きとしての実力が足らないから、人はわたしの作品に眼を向けてはく

れないのだろうか。


それとも、単純にわたしに対して興味がないから、眼を向ける必要もない底辺の存在

だから、眼を向けてはくれないのだろうか。






そんな卑屈なことを述べて、今回の私的哲学を締めようと思う。










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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは。初めまして。 叶エイジャと申します。 羅知火 夜鷹様と似たようなことを思い(ついでに書こうとして検索して、「絵と文」を拝見するに至りました)、感想を書かせていただきます。 私も…
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