5話目
いつものように午前中の仕事を終え昼食をとった後、迎えの馬車を待つ為にアンリエッタは家の外に出た。
「お姉ちゃん、待って待って」
妹のジネットが追いかけて家から飛び出してくる。その手にはキラキラ光る物が握られていた。
「何?」
「今日もクレールさんの所へ行くんでしょ? お姉ちゃんたらいっつもオシャレひとつしないんだから」
「だ……っ、だから、クレールさんの家には繕いの仕事で行ってるだけで」
「はいはい。ほら、じっとして」
姉の主張を軽くあしらい、ジネットは腕を伸ばす。耳の辺りでもぞもぞと動く手がくすぐったくてアンリエッタは落ち着かない。
何事かをしていた指が離れ、ジネットは満足そうに笑ってポケットから小さな鏡を取り出した。
「うんうん、いい感じ。それ貸してあげるから」
鏡に映るアンリエッタの耳には、花の形の細工がかわいらしいイヤリングがつけられていた。動く度にシャラシャラ揺れ、光を受けて輝きを放つ。
「あ、来たみたいだね。いってらっしゃい!」
非常にいい笑顔でジネットは手を振り、家の中へと消えていった。きっとまだ扉の近くにいて、アンリエッタとクレールの様子をこっそり窺うつもりなのだろう。
(……余計な事を)
ふう、と息を吐いて背筋を伸ばす。ほぼ同時に馬車がアンリエッタの前に止まり、クレールがキャビンから下りてきた。
「やあアン嬢。こんにちは」
「こんにちは」
「……アン嬢」
「な、なんですか」
耳の辺りに視線が注がれるのを感じ、アンリエッタの鼓動は速くなる。似合わないと言われたらどうしよう。そんな気持ちが頭をよぎり顔を背けようとした時、ふわりと耳に掛かる髪が持ち上げられた。
「……っ」
「いつもより大人っぽく見えると思ったら」
頬に当たる手の平が熱い。だから顔が熱いのもそのせい。
「今日は花というより星のようだ」
「それは……褒め言葉なんですか?」
「勿論」
こんな風に気障で歯の浮くような台詞を言う男が、馬車に乗れば緊張で喋れなくなるばかりか目も合わせられなくなるなんて誰が想像出来るだろう。
「そうだ、せっかくだからドレスを選びに行こう」
「は? ドレスですか?」
「見合いの日に着飾った君を叔母に見せ付けるのだ。このまばゆく美しい地上の星が、私の恋人ですと」
「とりあえずその台詞は却下でお願いします」
「そうだな、この世の物に例えるのは些か無粋か。まるで天使か女神のようだと」
「いえ、だからそういう事では……もう。……ふふっ」
まったく噛み合わない会話も、いつからか楽しく思えるようになっていた。今ではクレールがどんな風に返してくるのか、楽しみにしてたりもする。
強引で突拍子も無くて我が儘で自分勝手で。それでもアンリエッタという「恋人役」を大切にしようとする彼なりの下手くそな愛情を感じる事が出来た。
知れば知る程、壁が突き崩されていく。
(本当に変な人)
もう誰も触れていないはずの頬が、熱くて仕方なかった。
とうとうやってきた見合いの日、アンリエッタはコスト家の一室で微動だにせず無表情のまま椅子に座っていた。心なしか顔色も青い。
緊張で張り裂けそうな心臓の音が頭に響く。ドレスの裾がしわくちゃになりそうなくらいぎゅっと強く握りしめ、唇を真一文字に結んだ。
ノックの音が聞こえ、少し間を置いてから扉が開かれる。腹が立つ事にいつも通り過ぎるクレールが心配そうに部屋に入ってきた。
「アン嬢、気分はどうだい?」
「最低で最悪です。逃げたいくらい」
わりと本気で弱音を吐く。もし失敗したらという不安で胸が押し潰されそうになっていた。
「……じゃあ、逃げる?」
クレールの言葉にどきりとした。やる気がないなら、役に立たないなら帰れと言われているような気がして、心が冷えた。
巻き込んだのは彼の方なのに、アンリエッタは迷惑だったはずなのに、クレールに失望される事を恐れる自分がいた。
「逃げ、ません」
言い切ったアンリエッタの横顔を、クレールは笑顔で見つめる。
「では私は叔母達を迎える準備をしてくる。ここで待っていたまえ」
笑顔のままクレールは部屋を出ていく。その背中を見送った直後、また嫌な緊張感に襲われどうにも落ち着かずアンリエッタは立ち上がった。
気分転換にと部屋を出て廊下を歩く。庭まで出て外の空気を吸ったら戻ろう、そう考えて突き進んでいくと、廊下の真ん中で立ち往生している少女を見つけた。緩やかなウェーブのかかった亜麻色の髪が揺れ、少女はアンリエッタの方へ振り向く。
頬に散ったそばかすが特徴的な少女だ。人の見た目を評価するのも失礼な話だが、屋敷で働くメイド達と比べても少し地味で大人しい印象を受ける。
(そばかす可愛い。……誰だろうこの人。ん? あれ? もしかして……)
まさかという思いが浮かぶ。確かに控えめな感じではあるが。
「セイラさん?」
それはクレールの見合い相手の名前。その名で呼ばれ、少女は躊躇いがちに小さく頷いた。