3話目
恋人を演じる為に一緒にいようという話だったわけだが、具体的には何をすればいいのかアンリエッタにはさっぱりわからない。男性と付き合った事もなければ、そもそも好きな男性が居た事もないのだ。
そんな事を考えながら、クレールの手を借りて馬車を下りる。二度目のコスト家訪問。また例の部屋へ通されるのかと思いきや、クレールは玄関を素通りして庭の方へと回った。
「今日は天気も良いし、外でお茶にしよう」
「お茶だけですか」
「菓子も用意させよう」
「そういう事では……」
イマイチ噛み合わない会話をしながら、二人は無駄にだだっ広い庭へと足を踏み入れた。中央付近にぽつんと置かれている椅子とテーブルに近付く。
「座りたまえ」
椅子を引かれ、アンリエッタはおっかなびっくり腰を下ろす。他人に椅子を引いてもらうのは初めての事だ。
タイミング良くメイドが紅茶とお菓子を運んできて、テーブルの上に並べる。
「おお、チョコレート」
「お好きかな?」
「とても」
「それは良かった」
嬉しそうに笑うクレールの顔を見ていると、何だかお菓子でご機嫌取りをされた気になり少し恥ずかしい。アンリエッタはかーっと熱くなった頬を押さえて視線を逸らした。
「他にはどういうものが好きなんだ?」
「な、何ですか……食べ物で手なずける気ですか」
今までの事を思い返すと素直に受け取れず、捻くれた解釈をしてしまう。ついつい可愛くない言葉で返した事を、アンリエッタは後悔した。
クレールは不快になった様子も無く、笑ってアンリエッタの言葉を否定する。
「そんなつもりはない。純粋に君の事が知りたいだけだよ」
貴族は何を考えているかわからない。どうせ身分の低い者を見下しているに違いない。油断するな、常に警戒しておかなければ。そうアンリエッタは思っていたはずなのに。
「……それは、すみません」
すんなりと謝罪の言葉が口をついて出た。
「気にしていないよ。……フルーツは好き?」
「あ、ええと……葡萄が好きです」
「そうか! 奇遇だな、私も葡萄が好きなんだ」
はしゃぐクレールの表情はどう見ても本物で、それがアンリエッタには不思議だった。
「好きな物が同じだと、嬉しいんですか?」
その問いにクレールは目を丸くする。
「普通はそうではないのか? 恋人なら」
(あ、ああ……そうだ、私はこの人と恋人のまね事を……)
さっきまで馬車の中で考えていた事なのに、すっかり忘れていた自分にアンリエッタは動揺する。自分が何の為にここにいるのか。クレールの恋人を演じる為であり、決してアンリエッタ自身が招かれているわけではない。
クレールに必要なのは「恋人役」であって、アンリエッタではないのだ。
(じゃあ好きなもの云々も演技をする上での質問か。なんだ、色々考えたのが馬鹿みたい)
馬車の中でクレールの意外な一面を見てから、素のやり取りをしているような気分になっていた。そんなわけがないのに。
もう恋人ごっこは始まっているのだ。
「ところでアン嬢。働いていると言ったけど、どんな事をしているんだい?」
「え。……午前中は仕立て屋で繕いの仕事をしています。夜は酒場で料理を作ったり出したり」
「酒場?」
興味を引かれたのか、椅子から背を離しテーブルの上に身を乗り出す。
「割と大きな酒場です。クレールさんにはあまり縁のない場所かもしれませんが」
「酒場という事は……酒を飲むんだろうな」
「それはそうですね」
何が言いたいのかわからないのでとりあえず質問された事に答えるだけにしておく。
なにやら難しい顔をしてクレールは考え事をしていたようだが、それがなんだったのかはアンリエッタには教えられなかった。ただ紅茶を飲んでお菓子を食べて、目についた物の話をしたりして、その日のコスト家訪問は終了した。