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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
ある脇役の選択
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5の(1)

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 ――スコッチエッグバーガー。

 それは、まだ完全には固まっていない、オレンジ色の黄身、程よく柔らかい白身のゆで卵を、ハンバーグ生地で包み、パン粉をまぶして揚げた、ハンバーガーならぬスコッチエッグバーガー。肉汁が滴るジューシーさと、衣のカリッサクッとした歯ごたえがたまらない。ソースは、庶民的なウスターソース・マヨネーズ・ケチャップによって作られたものがかけられる。

 B級感のある商品だが、購買では大ヒット・ロングセラー商品である。昔に商品化されたと聞くが、商品名から考えるに、作ったのは地球人だったのかもしれない。


 この日、どうしてもスコッチエッグバーガーが食べたくなった。

 ゆえにユキは、手製弁当を持っていながら、購買へと向かうことにした。

 午前は中間試験直前ということもあり、試験範囲まで進んでいたから、自習とした。

 一応教室内にユキも控えていたが、今日は特に問題もない、平和な一時であった。

 だから、ご褒美がわりにほんの少しだけ早く授業を切り上げたのだ。

 購買では、生徒や教師が列を連ねる。

 ユキも交ざり、並ぶ。

 そうして、運よく数分後、授業終了のチャイムと同時に目的の商品を手に入れることができた。


 スキップをしたいけれど、堪える。教師として――大人としての威厳を保つためだ。

 それでも気分は軽やかで、鼻歌を歌いたくなるほどに。

 あまりに嬉しくて、手にしている、スコッチエッグバーガーの入った紙袋を見下ろす。味を想像すると、唾液が余分に分泌された気がした。

 そんな風に、ほくほくと相好を崩しながら、今日も保健室への道のりを歩む。

 保健室のある場所は、資料室や準備室といった、比較的人気のない教室が並ぶ。

 廊下の窓からは、裏庭が見えた。

 季節は秋。木々は茶や紅に色づき、視覚では美しい様相を呈す。一方で、体感温度としては既に肌寒さを覚える。

 一部開け放たれた窓から、冷たい風が吹き込んだ。ユキは肩下ほどの長さの黒髪を一つに纏め上げているため、首にひんやりとした寒さが通り抜けた。

 首を竦めた刹那。

 資料室から、人の声らしき音に歩を止める。

(誰か、いるのかしら……?)

 午後に講義タイプの授業はないため、この時間に資料室を使うのは、片付けくらいのものである。

 なんとなく興味をそそられ、声を辿った。


「――放してっ」

「……っ、お前は、オレのことなんてなんとも思ってないんだ!」

「そんなこと……」

「だったら何で簡単に継げって言う!? 婚約してしまったら、好きでもない女と結婚しなければいけないのにっ!」


 男女の声。

(痴情の縺れ……?)

 だとするならば、ユキは危機を察知する本能により、声のする扉からそっと遠ざかりたくなる。実際、後ずさりしていた。

(本人たちの問題だし)

 自問自答するように、独り頷く。

 しかし、ドン、という衝撃音に、目的地へと一歩前進しかけた足が止まった。

 暴力沙汰になられては困る。それに、学校の物を壊されるのもまた困る。

 逡巡し、まずは中の様子を窺おうと決めた。それで問題がなさそうならば、すぐに立ち去ればいい。

 そうは考えても、気が進まない。それは、トラブルの予感がヒシヒシとしていたからだ。伊達に今までトラブルに巻き込まれて、教頭からお叱りを受けていない。

 また、巻き込まれるのだろうか。

 苦味を帯びた拒絶が、心に過ぎる。顔は渋面をつくっているだろう。

 けれど、教師としての責務がある。知ってしまったからには、対処しなければならない。

 ユキは顔を上げた。

 教師としての矜持を胸に、少しだけ扉を開く。自分は今、泥棒なのだと心中唱え、静かに、物音を立てない様細心の注意を払った。

 十センチほどの隙間。

 覗き見た光景に、ユキは項垂れたくなった。

 室内にいるのは、一組の男女。二人共に、ユキの生徒だったのだ。

 遠目でも、誰かはすぐにわかる。

 壁際に追い詰められたリリィは、両手首を壁に縫いとめられている。彼女の手を壁に拘束するユングは、リリィとの距離を縮める。二人の身体の距離は、目測で二十センチ。

 泣くのを堪えるように、首を竦めながら潤んだ目で見上げるリリィは、怯える小動物のように愛らしかった。多くの男性が庇護欲に駆られることだろう。

「やめて……っ」

 小さく拒絶する彼女を見て、ユキは溜息を呑み込んだ。

(胃が、痛いなぁ)


 口尻を下げながら、わざと音が鳴るように、扉を一気に大きく開ける。

「あ」

 偶然を装って発した言葉は、棒読みになってしまったかもしれない。

 驚くように、勢いよくユキへと振り返るユング。彼の瞳は、威嚇の色が帯びる。

 彼はリリィを拘束したまま、苛立ち含んだ声で言った。

「なんの用ですか?」

 冷えきった目。

 まるで”場違い”なのは、ユキだと言っているよう。

 胃が疼く気配がした。

 今日はトラブルもなかったから、うっかり脂っこい昼食を選んでしまったけれど、間違いだったな、と頭の片隅で思う。

 動揺を見せれば、舐められる。むしろ、既にユキは舐められ済み。

 だが、虚勢を張る勢いは、普通科一年の担任となった春の内に殺がれてしまっている。

 あまりにも強い眼差しに、怯みそうになる自分を叱咤した。

 二人の関係に口を挟む権利を、ユキは有していない。しかし、”学校”という聖域での性行為を注意する権限ならばある。一方的でも、合意の上でも、それは関係ない。

 手に力が入ったのか、片手に持つ紙袋からくしゃりと音を鳴る。汗がじわりと滲むのがわかった。

 大きく息を吸って答える。

「リリィさんを放しなさい。ここは学校です。事を起こして良い場所ではありません」

「いつもあんた達大人は”子どものため”って言うけどさ、本当は自分のためだろ?」

 ユキの言葉は、鋭利な声に遮られた。

 ユングはリリィの手首を解放し、ユキに相対するように身体の向きを変える。次いで、ゆっくりとユキへ歩んだ。

「学校の名誉と自分の保身のために、センセイはリリィを放すよう言った。何かあったら困るからだ。……リリィのためじゃない」

 ユングの言葉に、ユキは眉根を寄せる。

「そんなこと……」

「だったら、何であんたはいつだって生徒と関わろうとしないんだ?」

 瞬間、ユキは唾を呑んだ。

 動揺に瞳が揺れる。

 今、ユングから視線を逸らせば、ユングの言葉を肯定することになる。しかし、ユキはユングの睨めつけるような、深層心理を見極めようとする瞳から、逃れたくて堪らない。どうしようもない居心地の悪さに襲われた。

「あんたは生徒と壁を作ってた。だから、誰からも相談されたことないだろ? 心を開かないヤツに、心を開くヤツはいない。――結局、あんたは自分のことしか考えていないんだ」

 ユキの目が見開かれる。

 ――図星、だった。

 言葉を失って固まるユキの隣を、ユングが通り抜ける。すれ違ったのに、ユキは彼を引き止めることも、彼の言葉を否定することもできない。

 数拍の、無音。

 張り詰めた空気の中、声を発したのはリリィだった。

 ユングから解放されてからも、その場を離れることなく一部始終を見ていたリリィは、手首を擦りながら安堵の息を漏らす。

「……先生、ありがとうございます」

 まだわずかに震えながら、頭を下げた彼女。

 ユキは睫毛を伏せ、俯く。教師として、同性として、彼女を労わらなければならないのに。なにも、言葉がでてこない。生徒のことどころか、他人のことを、考えられない。

「……先生? あの……大丈……」

「――私のことは、大丈夫だから」

 声に感情を込める事すらできなかった。

 気遣いながら、リリィが退室する気配がした。

 どうしようもない自分に、自嘲が漏れる。

 視界が揺れ、涙が頬を伝うのがわかった。

(……胃が、痛い)

 ツキン、と脈打つように痛みが走る。

 鳩尾に片手をあてながら、彼女は蹲った。



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