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同僚に呼ばれ、水晶玉にかけた魔法を解いてから、ほんの数分出入り口で応じる。
同僚の用はこれといって大したことではなく、軽く会話をしてすぐに解放された。
再び机に戻ってきたクロードは、解除していた異世界を観察する魔法を水晶玉にかけ直す。
そして次の瞬間、驚きに目を瞠った。
水晶玉の中には、崖沿いの木々に引っかかる乗り物。乗り物自体は、崖から落ちたのか酷く歪んでいる。
ほんの少し目を離した結果がこれだ。
言葉を失っていたクロードは、息を呑んでから、乗り物の中へと映像を移す。
「……っ、これは……」
クロードの眉が顰められる。
それもその筈、乗り物の中は悲惨な状態だったのだ。
血に塗れた母は前屈みに倒れている。一番変形した部分に乗車していたため、呼吸は虫の息だった。運転席の父も、蹲るようにしていたが、唸りながら、ゆっくりと身を起こした。その姿は痛々しく、打ちつけたと見られる額から多量の血が流れている。
『……碧』
声音は、掠れていた。ゼェ、ヒュー、という呼吸音から、危険な状態であると医療魔術師であるクロードは悟る。
後部席を振り返る父が見つけた息子は、カハッと席をするも、目立った外傷はない。もしかしたら、装着されたベルトによって腹部や胸部を圧迫されている可能性もあるから油断はできないが、呼吸音は父に比べまともだった。
『みど、り……』
もう一度、父は囁く。
ようやく声に反応した少年は、父を見つめかえした。
時間の経過と共に、彼らの吐息が白くなっていく。割れた硝子から外気が入り、暖房設備も失われたためだろう。
クロードは察すると、顔を歪める。
(このままでは、まずい)
水晶玉を持ち上げ、立ち上がった。
恐らく、父もそうは持たない。なんといっても、人目のない夜、彼らは崖から落ちたのだ。救助が早々に来るとも考えられない。
しかも、季節は冬。雪が降っているとなれば、寒さで死ぬこともある。
まだ息のある父子。しかし父はきっと、もう間もなく……。
息子とて、このままでは危ない。
立ち上がりながらも、クロードには迷いがあった。
――異世界召喚は、できないことではない。ミドリの父母が生き絶えれば。
ミドリを召喚し、養子として戸籍上でこの世界と繋がりを作れば、彼がユキと異母姉弟として接触することによって彼女をこの世界に繋ぐ枷となるのだ。
しかし――少年を異世界に召喚することは、少年が両親と幸せに過ごした世界を奪うことにもなる。この召喚は、クロードの一存に過ぎない。もしかしたら、少年は両親と共に死ぬ事を望むかもしれない。
躊躇し佇んでいると、水晶玉から声がする。咳交じりの、絶え絶えのそれは、血と共に唇からこぼれる。
『みど、り……生きろ……。君のこと、を、愛しているから……生き延びて、ほしい。……そして、もし……もし、機会があったなら……。雪に……お前の異母姉に……伝えて、欲しい』
この――ユキとミドリの父の言葉を聴いた瞬間。
迷いは払拭され、クロードはミドリの召喚を決めた。
ユキの父がミドリに託した最期の言葉。それを伝えられるのは、クロードではない。ミドリ唯一人。クロードがユキの父を観察していることは、ユキには秘密だから。
ユキに、実父の最期の言葉を届けてやりたいと思った。たとえ、只の自己満足だとしても。愛情に飢える彼女に、無条件の愛もあるのだと、知ってほしい。
水晶玉の魔法を解除して、勢いのまま部屋を飛び出す。
回廊で幾人もの同僚が驚きを顕わにこちらを見つめてきたが、気にしている余裕などなかった。途中、同僚が手にしていた魔法用の杖を強引に拝借し、ひたすら駆ける。
庭園に出たクロードは、比較的柔らかい、土のむき出しになった場所に立つ。
そこは、魔術省の庭園であるため、普段は魔法の試作の際に使われる。従って、ところどころに試作の魔法陣の跡が残る。
呼吸を整え、運動によって流れる汗を手の甲で拭う。
ついで、失敗のないよう、一度土を均してから魔法陣を描いていった。
この魔法陣を描くのは、これで二度目。
一度目は、ユキを召喚した時。そして、これが最後だろう。
描き終わった陣には、今回も言語に困らない魔法を追加し、陣内に水晶玉を置く。
「クロード?」
杖を奪われた同僚が、追ってきたらしい。
だが、クロードは決意を秘めた瞳で水晶玉を見つめた。
映し出されたのは、残されたミドリ。慟哭しながら父を呼び続ける少年。
「ジョシュア」
背後に立つ、同僚の名を呼ぶ。
首を回らせれば、同僚は困惑しながら首を捻った。状況を理解できていないのは、仕方ないこと。むしろ、理解されて邪魔される方が困る。
クロードは微笑んだ。少し、困ったように。
「クロード……?」
次第に訝りの色を見せ始めた同僚に、クロードは告げた。
「不可視の魔法を張ってくれないか?」
「……なにを、するつもりだ?」
クロードの足元へと視線を落とした同僚の声は、不審を滲ませて低い。再び彼はクロードを見据えた。
クロードは睫毛を伏せる。理由を告げることはできなかった。同僚は、この世界と異なる魔法を、クロードが使えることを知らない。利用されること、邪魔されることを危惧し、義父と、他ならぬクロード自身が隠し続けたのだ。
つまりそれは、同僚を信用していないという証。それでも、クロードはこれから行う召喚魔法を義父や国に悟らせないため、不可視の魔法を頼む。突き詰めれば、同僚を共犯者に仕立て上げようとしているということ。
言い訳するならば、強大な魔力を消費する魔法を使いながら、別の魔法を行使することができないから。
だがそれも、クロードの都合と言い訳でしかない。
この状況を苦々しく思いながら、「頼む」と続けると、同僚が魔法をかけた気配がした。
クロードは眉尻を下げ、心から感謝する。
「――ありがとう、ジョシュア。このことは、秘密にしてくれ」
それに対し、「今度、驕れよ」という言葉を返され、クロードは柔らかい笑みを残して正面を向いた。
そうして、ミドリは命数十二の世界に召喚される。
現れた、頬に血のついた少年。その血は恐らく、彼の父のものだろう。
彼が顔を歪めるのは、召喚魔法による痛みか、事故の痛みか。
鉄錆の匂いを纏う少年を、その場で治癒魔法によって癒す。
うっすらと目を開いたミドリに、クロードは囁いた。
「異世界へ、ようこそ」と。
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