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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
彼女の知らないエピローグ
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7の(3)

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 それからは、幸せだった。


 満たされる毎日の中で、凄惨な過去の記憶は埋もれていく。

 これまで自室で過ごすことの多かったクロードだが、ユキを召喚してからはリビングで寛ぐことが格段に増えた。

 ユキも、リビングで過ごすことが多いから、自ずと二人は時間を共有することが増す。

 クロードが国立学院高等部に進学した頃、ユキは笑顔を見せはじめた。それは少し申し訳なさそうだったり、どこか罪悪感のようなものを滲ませていたけれど、クロードにはそれでも嬉しい。

 きっと、彼女の中で、まだ元の世界のことは過去になっていないのだろう。クロードとて、完全に過去とは言いがたいのだから当たり前だ。

 それでも、祈ってしまう。いつか、彼女の”当たり前”がこの世界で生きることになって、クロードと過ごす日々になって、彼女の笑みを曇らせる材料がすべて消化されていけばよいのに、と。

 ユキは切なく泣きそうに微笑みながら、言った。

「――こんなに幸せでいいのかって、たまに、心配になるの」

 彼女は、幸せに怯えるように、一線を引き続ける。その気持ちに、クロードは共感するところがあるから、彼女の望むがまま一線を踏み越えることはしなかった。

 一度手に入れた幸せは、手放すことにひどく苦痛が伴う。

 クロードは思う。手に入れた、心が震えるほどの、今の幸福を手放さねばならないことになったなら、自分は耐えられるだろうか。きっと、間違いなく、発狂するかもしれない。なにを犠牲にしても、取り戻そうとするだろう。

 ――狂うほどに求めた存在。

 彼女は知らないけれど、クロードの心の支えであり続けた。

 不安そうに相好を崩すユキの頭を、クロードは撫でる。

 本当は、抱きしめて、そのぬくもりを感じたかったが、彼女が望む”家族”であろうと思う。――今は。

 少しずつ、少しずつ。一番近くで、彼女の心を侵食していけばよい。強引にことを進めれば、彼女は引いてしまうだろうから。


 そうして、心の痛みが胃の痛みとなってあらわれるユキを見て、普通科から魔術科への編入を決めた。




***   ***   ***




 ユキは、この世界の知識を持ちえていない。

 召喚の折り、言語に関する魔法までは対応できたが、さすがに知識を共有する魔法をクロードは知らなかった。そも、存在するのだろうか。

 ゆえに、毎晩クロードはユキの家庭教師を勤める。自ら喜んで引き受けたのだが。

 日中ではなく毎晩、というのは、クロードが学校に通っているためだ。

 ユキの呑み込みは悪くない。乾いたスポンジが水を吸収するように、教えたことはすんなりと学んでいった。

 褒めれば、嬉しさを滲ませ目を細める。三日月型になる目が、彼女の感情をなにより物語る。

 ――手に、入れてしまった。

 けれど、恋人同士ではない。家族として。

 クロードは、ユキのすべてになりたかった。

 彼女を見つけた時は、ただの現実逃避。その後は、妹のように。そして、いつしか初恋に変わった。

 思春期に、それは顕著となる。学校の異性に動悸や幸福感、顔の紅潮は生じないのに、ユキの一挙一動にクロードは左右され、心が乱されるのだ。

 その時既に、クロードは異性が苦手だった。記憶の中の、マルグリットや彼女を取り巻く令嬢らと同じ瞳をした少女は、とくに嫌悪感が湧く。”あれら”と同じだと感じるだけで、吐き気さえ催しそうだった。

 不意に思い出す、動物園の記憶。

 クロードの中で、実母や義母、ロシェット、そしてユキだけが清い存在に思えた。恋愛感情を抱いたのは、ユキにだけ。

 確かに、ユキへの感情の中には依存も含まれているだろうが、情欲や恋心、庇護欲も入り混じったものだ。それは、苦しいほどに。

 二人きりの部屋。

 広い邸だから、ロシェット・クロード・ユキのそれぞれに部屋が与えられている。

 今いるユキの部屋は、彼女らしい、飾り気がないながらも洗練された家具と、可愛らしいカーテンや寝具によって落ち着く中にも控えめな華やかさがあった。

 机に向かって本の文字に視線を走らせるユキ。その隣に並びながら、クロードは今の自分の状況をある種の拷問だと思う。

 個室に異性と二人きりであるのに、ユキは勉強に夢中だ。生徒としては、それが望ましいが、独り心揺さぶられるクロードにとっては、それが少し恨めしい。

 少女の伏せられた睫毛、悩む表情すら、憂いを帯びているようで、手を伸ばしたくなる。

 クロードは苦笑を零す。

 ――いっそ、閉じ込めて、愛でていられたらと思う自分は、ひどく元の世界の上流階級に毒されているらしい。

 思えば、マルグリットはその瞳に、色情と縋る色を見せ、クロードを捕らえていた。今、その気持ちが皮肉にもなんとなくわかる。

 ――自分もあそこまで堕ちてしまわぬよう、踏ん張らねばならないけれど。

「クロードさん、この部分がわかりません」

 まだ、敬語を使うユキ。

 ――いつか、もっと気が置けない関係になりたい。

 でも、今はまだ、仕方がないこと。少しずつ、時間が解決してくれるだろう。

 クロードは目元を和ませ、彼女の疑問に答えた。




***   ***   ***





 ――ひとつだけ、懸念がある。


 自室に戻ったクロードは、今では使うことの少なくなった水晶玉を、机の中央に置く。

 転がらないよう布を敷いて置かれた水晶玉。乾いてこびりついた血は、もうあまり残っていない。

 指を滑らせるようにして撫でる。

 顔に滲むのは、憂い。

 少しだけ過去になった、両親と祖父の死。記憶に捕らわれたままでは、生きるのも難しいから、欠片だけでも風化させることで両親や祖父の命を犠牲に生きる自分を正当化させた。

 ――大切な人の命と引き換えに、自由になった身。

 胸が痛んだとしても、”生きて欲しい”という彼らの願いを反故にすることはできない。

 色々な感情が渦巻く中で、悔いはいつだってあった。

 愛していた両親を祖父に奪われ、その祖父によって今を生かされていることも、葛藤の最中で少しずつ受け入れつつある。

 ――もう、悔いるのはたくさんだ。

 クロードは、ユキを召喚してから久々に、異世界を覗く魔法を水晶玉にかける。

 ユキの、縁の切れた血縁者を捜すためである。

 本来ならば、世界を渡る際に、ユキの枷になり得た人。けれど彼は、ユキとの繋がりが切れているから、そうなりはしなかった人。

 それでも捜すことを決めたのは、危惧しているからだ。

 ユキが、どこかの世界に呼ばれることを。

 クロードに依存していたマルグリットが、彼女とクロードを引き離しかねないと、ずっと気がかりだった。

 一度、クロードは元の世界を水晶玉に映そうとしたことがある。国やマルグリットの動きを把握しようと思ったのだ。それで少しでも安心することができると、期待して。

 ところが、結果はクロードの期待を裏切るものだった。

 水晶玉は、なにも映しはしなかった。クロードのいた国とは違う国を映すことはできたのに、彼の国だけはなにかに妨害されるように映像が切れる。それはつまり、監視されることを予期し、魔法によって遮っているということ。

 ともすれば、様子を窺うことすらできなかったクロードは、最悪を考えて動くことしかできない。

 ユキの父親を捜す手がかりは、血と戸籍だけ。それでも、なにもないより幾分いい。


 それからクロードは、ユキの血縁者を捜すため、水晶玉を覗くようになる。




***   ***   ***




 季節が巡る。

 やがてユキは、国立学院高等部に入学した。クロードより遅れて三年後のことだ。

「クロードさんに、憧れてたの」

 そうはにかんで制服姿を見せたユキの頭を、クロードは打ち震える感情を秘めて、優しく撫でた。



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