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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
彼女の知らないエピローグ
48/53

7の(2)-2

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 義父が向かったのは、リビングであった。

 ソファに腰を下ろした義父は、普段の柔らかな表情を排して見据える。紫の瞳は陰をつくり、重たい空気を放つ。

 前屈みに両手を組み、口元を隠しているため、義父の表情から意図を読むことは難しい。

「座りなさい」

 重厚な声でテーブルを挟んだ向かい席を勧めてきたため、クロードはその意に従った。

 クロードは義父を真っ直ぐに見つめたまま、口を開くことをしない。――彼の言いたいことを、大体察していたからだ。

 ――魔法を見られた。それも、この世界の魔法とはまったく異なる魔法を。この世界には存在しない召喚魔法。

 でも、自分から墓穴を掘る真似をするつもりはない。

 張り詰めた空気のまま沈黙が続いていたが、それを破ったのはやはり義父だった。

「……クロード。あの子を召喚したのは、お前だな」

 見極めようとする瞳。

 クロードは相対するように、目を細めた。けれど、言葉は発さない。

 そんな頑なな少年に、僅かに眉間の皺を刻んだ義父は、言葉をつぐ。

「雪に、魔法陣が残っていた。それに、あの子はこの世界の言葉を話せる。――お前や……”迷い人”は、この世界の言語が話せない筈だ」

「……この世界に、異世界人を召喚する魔法があるのですか?」

 白々しく答えたクロードに焦れたのか、義父は声を荒げた。

「この国に存在しない。異世界渡りについて解明されていないが……無理ではないだろう。”迷い人”の存在があるならば、故意による異世界渡りもまた不可能ではない。――お前は、お前のしたことは、拉致とかわらない。わかっているのか!?」

 ユキは、誰の目から見ても状況を理解できてはいなかった。そして、雪に残った魔法陣と魔力の残骸。それらを目にすれば、魔法の心得がある者ならば、魔法陣を描いたクロードが召喚魔法を行ったという結論に至ることなど容易である。

 そして、クロードは義父の言うこともまた、理解していた。

 ユキは望んでこの世界にやって来たわけではない。偶然でもない。すべては、クロードの願いゆえ。

 ユキから、彼女の世界を奪ったのだ。

 ――わかっている。そんなことは。わかっている……けれど。

 心がすぅっと冷えていく。過ぎる怒りは、絶対零度。

 唇から漏れた声もまた、ひどく冷ややかになった。

「――貴方は、何も知らないでしょう?」

 ユキのことも。クロードのことも。義父は、なにも知らない。

 知らないのに。知らないくせに。どうして、クロードとユキのことに介入しようとするのか。

 その考えが、クロードの傲慢であり、自分本位であることは百も承知であった。

 けれども。クロードは思うのだ。

 ならば、義父はユキが死ねばよかったというのかと。クロードが発狂すればよかったのかと。

 ――どうして、生まれた世界が違うだけなのに、邂逅すら望んではいけないのか。

 訝るように義父はクロードに視線をやる。ずっと、その視線が逸らされることはなかった。そしてクロードは、それに片頬で笑ってみせることで返答にする。

「あの娘に実父はいません。僕の知る限り、彼女はずっと母親と二人暮らしでした。けれど、その実母も、彼女に辛くあたっていた」

 すぐにでも脳裏に蘇る、ユキがまだ彼女の世界にいた頃の記憶。

 変貌したユキの母は、いつだって彼女を侮蔑と嫌悪の目で見ていた。それでも、いつだってユキは母からの愛情を求めて、尽くした。健気で、儚げで。小さな願いにも思えるのに、ユキの願いが叶うことは最後までなかった。

 あの、一人ぼっちになってしまった世界に、ユキを置き去りにしたくはなかった。死なせたくはなかった。

 ――自分ならば、彼女の求めるものを差し出せるのに、といつも思っていた。

「ユキを召喚した時、彼女の家は火事でした。彼女は一度逃げ、しかし実母が逃げ遅れたことに気づき、家に戻ろうとした。燃え盛る炎の中に。だから、僕は彼女を召喚した。死なせるわけには、ならなかったから」

「……あの子は、何者なんだ」

 義父の視線は、いまだ鋭い。

 どう、答えたらいいだろうと思う。そうして見つけた言葉。

「僕の、生きがいです。――絶望から、救ってくれた」

「お前の世界の子か?」

 義父の疑問に、クロードは首を横に振った。

「いいえ。義父さん、僕の世界は、魔術においてこの世界よりも発達し、異世界についての知識も発展していました」

 難しい顔をした義父を前にして、苦笑する。

 苦い、苦い思い出が胸に渦巻く。泣きたいほどの悲しい過去に、歪みそうになる顔を堪えた。

「僕は、この世界に迷い込んだのではありません。――僕の世界の大神官に、魔法によって転送されたのです」

 刹那、驚きに目を見開いた義父。

 それでも、淡々と続けた。

「心配しないでください。僕に侵略の意図などありません。大神官は……僕を助けたのです。僕の世界では、魔術師が減少していて、強大な魔力を持つのは大神官とその補佐くらいのもの。しかし、転送の魔法や召喚の魔法は大神官とて命を代償とするほどに魔力を消費する魔法です。補佐の一人は亡くなりこの世にいませんでしたし、残りの補佐だけでは束になって命を懸け、成し遂げられるか否かというくらいのものです。つまり、あの世界には、そう簡単に異世界に介入する魔法を使える者はいません」

 義父は片目を眇め、「だが」と言葉を紡ぐ。

「お前は、できた」

「魔法が、こちらとあちらでは根本から違います。僕の世界では、生まれた時から魔術の才がある者は魔力を有しているのです。でも、こちらはそうではないでしょう? ……僕は彼女を召喚しました。それは、この世界の魔法と僕の世界の魔法の両方を用いたからです。僕の魔力に自然界の魔力を補うことによって、大神官ほどの力はなくとも召喚魔法を成功させることができた」

 難しい顔の義父。それはそうだろう。おそらく彼にとって、クロードの世界の魔法や知識は未知のもの。ゆえに、簡単に理解できるわけがない。

 しかも、大神官一人の、命が枯れるほどの魔力を必要とする術を、十五の少年が単独で成功させたのだ。例えば、大人が全力で走るのと、子どもが全力で走るのと、体力・距離・速度を比べれば、子どもが敵うことはない。だが、クロードはそれを成し遂げた。

 義父は、(可能だろうか)と、クロードの言葉の真偽を思考しているのだろう。

 クロードは睫毛を伏せる。クロードが義父と同じ立場ならば、もしかしたらクロード自身も、話を疑うかもしれない。

 そう思いながら、自分の身の上を零した。

「僕の祖父は大神官、父は大神官補佐……代々、国に仕える魔術師の家系でした」

「血か……」と、父は呟く。

 それに小さく肯き、クロードはぽつり、ぽつりと語り始めた。そんなに昔ではない筈なのに、遠い昔のような過去。眩い頃の記憶は、今では羨望の的でしかない。二度と、取り戻すことはできないのだから。

 家族の全てを、話した。クロードの世界の始まりのこと、始祖のこと、異世界から魔法の使えない娘を召喚し、王の妻として聖女と称えること。さらに、自身の両親の馴れ初めや大罪人として処刑されたことから、動物園に囚われていたこと、ユキをそれからずっと観察していたことも。

 最後に、大神官によってこの世界へと渡ったことを言葉にした時、顎からぽたりと雫が落ちた。

 クロードは目を丸くし、落ちた水滴を見下ろす。

 どうやら、無意識の内に涙を流していたらしい。

 何気なく指で涙を拭ったが、不意に影が差す。

 影の気配へと視線をやると同時に、気がついた瞬間には抱きしめられていた。それまで神妙に耳を傾けていた父がいつの間に席を立ったのか、クロードの隣に立ち、彼を腕に囲っていたのだ。

 目を丸くしたクロードだったが、心の箍が外れかけていたため、顔が次第に悲しげに歪んでいく。なんとか唇を噛んで我慢しようと思うものの、涙は止まるどころか、堰を切って溢れだした。

 俯く。

 義父の腕が温かくて、懇願するように言つ。

「お願いします――あの子を、ユキを、引き取ってください……」

 クロードはユキの傍にいたかった。それが自己満足でしかないことはわかっている。けれども、彼女にはもう家族はいない。彼女がこの世界に来られたことが、その証明。誰が、彼女を守ると言うのか。これまで傷ついて、頑張ってきた少女。もう、十分ではないかと、クロードは思う。

 いい加減、もう守られながら生きても、いいだろう、と。

「僕は、ユキに笑ってほしいんです。彼女に、もう、家族はいない……」

 義父は首肯した。どの道、ユキを元の世界に戻す術を義父は知らないのだから、誰かが引き取らねばならない。

「わかった」

 その言葉を受け、クロードはあからさまに安堵の色を見せた。



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