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そして、すべてが一変する。
季節が冬へと移り変わった月、空からはしんしんと雪が舞う。
部屋は暖房によって暖かく、冬の長期休み只中のクロードは、勉強を終えると、ユキの姿を眺めるのが日課になっていた。
窓の外を見やれば、ロシェットが雪だるまを作って遊んでいる。義両親も共に雪玉を転がし、笑った。
視線を戻して、再びユキを眺める。
彼女の国の時刻は深夜のようで、街の明かりは消え、星が邪魔されることなく空に瞬く。時差は半日ほどだろう。
いつもこの時間、健やかに眠る彼女の寝顔を見るのが好きだった。
けれど、不思議と今日の彼女の寝顔はなぜか険しい。悪夢でもみているのだろうか。
疑問が過ぎったクロードだったが、違和感に気づく。
(……水晶玉が、曇っている?)
そう思ったのは仕方のないこと。
いつもは確かに鮮明にユキを映す水晶玉が、なにかに遮られるように少しばかり霞んでいたのだ。煙水晶と言われれば信じてしまいそうなほどに。
ユキに映像を接近させることで、曇りを薄くする。
やがて、少女は目を覚ました。夢と現実の狭間でぼぅっとしていた彼女は、徐々に顔を顰めていく。
起き上がり、辺りを見回し咳をした。
水晶玉越しで眺めていたクロードだったが、さすがに少女の様子がおかしいと察する。
初めは水晶玉や魔法の調子がおかしいのかとも思ったが、違うらしい。
そうして異変のもとを知ろうと、ユキの家を水晶玉で巡るために魔法をかけた。
ともすれば、すぐに違和感の正体へと辿り着く。
(……火事だ!)
水晶玉が映す一面の煙、そしてその中で一際存在感を放つ炎。長い間直視すれば、残像が目に焼きつくくらいに燃え盛る。
瞠目した。
「ユキ、早く逃げてっ」
声が届かないことなど百も承知であるのに、水晶玉を鷲掴み、叫ぶ。
とめどない焦燥感。このままユキを失ってしまったらどうしよう、という恐怖。
火事の火元を捜せば、かつてユキも使用していた寝室だと発覚する。もうそこは火の手がまわってしまい、助からないだろうことは明らかだ。
煙の幕越しに寝室で横たわるユキの母と、恋人だろう男は火に囲まれながら目を覚ます様子はない。むしろ、意識がない。
おそらく、煙を吸ってしまったのだろう。
(ユキだけでも……っ)
水晶玉の映像をユキに戻せば、彼女は服の袖で口元を覆い、寝室へと繋がる階段を見上げていた。
焦るのはクロードだ。自分の血の巡りが速くなっていると自覚する。
「ユキ、逃げて、早く、逃げろ!!」
もどかしさに顔を歪める。緊張と動揺で、口の中が渇く。
――どうして彼女と、自分のいる世界は隔たれているのか。どうして自分の声は彼女に届かないのか。どうして自分は彼女を助けられないのか。
今考えても仕方のないことばかり、頭の中で渦を巻いた。
寝室から溢れた火に、火事だと気づいたらしいユキは、玄関に向かって走る。
それに誰よりも安堵したのは、クロードに他ならない。
「ユキ……」
よかった、という吐息は空気にとけた。
家から無事に出て、道路まで飛び出した少女。腰を曲げ、膝に両手をつきながら、肩で何度も呼吸を繰り返す。
そして再び、炎に包まれる我が家を見上げたユキのぼぅっと眺める様は、あまりにも憐れで。
それでも。クロードはユキが助かればそれでよかった。
彼女の母はもう助からない。クロードが様子を見た時から、また少し時間は経過し、ますます炎は激しくなっていくばかりなのだ。
――ユキが無事ならば、それだけで。
そのクロードの想いを、ユキが知る事はない。
彼女は、クロードの想いを裏切るように、家の外に母がいないことを確認するように探していた。
そんなユキを見つめながら――クロードの胸に、仄暗い願いがもたげる。
――ユキの母は、助からないだろう。
――ずっと、考えていたことがある。ユキを、この世界に召喚すること。
――彼女に、世界との鎖となる母がいなければ、もしかしたら、と。
――葛藤、していた。
風の影響であっという間に炎に包まれた家を見て、少女は身体を震わせた。
迷いの中にいるクロードは、しばしぼんやりしてしまった。
その最中で、ユキは一歩ずつ、燃え盛る家へと近寄る。中の様子を窺うように。
意識を誘惑からユキの世界へと向けた時。ユキの様子に、まさか、と思う。
――思えば、ユキは、自分の身を削ってでも誰かに捧げる少女だ。
どうして、気づかなかったのだろうか。
ユキが母を簡単に見捨てられる筈がない。ならば、きっと。彼女は――。
咄嗟に、クロードの身体が動いた。
机にあるペンと水晶玉を手に、雪の降る外へと駆ける。
無我夢中だった。
庭の片隅には、雪遊びの休憩をとる家族がいたけれど、もはやそんなことはどうでもいい。己の願いのためならば。
「クロード?」
問う、義父の声が遠くから聞こえる。
けれど、構っていられない。
クロードは積もった雪を掘るように、ペンで魔法陣を描く。それは、懐かしい記憶の中にあった魔法。かつて、実父が教えてくれた――異世界召喚の魔法。
本来ならば、大神官の命と引き換えになるほどの魔力を要する。
だが。
父の、いつかの言葉を思い起こす。
『水晶玉は、見たものや人の念、魔術を記憶することができるんだ。だから、自分の水晶玉は人の手に渡してはならない。自分から手放してはならない。なにを考え、見て、どんな魔法を使ったのか知られてしまうかもしれないから。それに――いつかきっと、大切なものを守るために必要になるから』
ユキの情報が少ないから、水晶玉の記憶を頼りに彼女をこの世界に召喚しようと、クロードは魔法陣に水晶玉を置く。陣には、言語に困らないよう、言語魔法も付加させた。
――今しか、ない。ユキの年齢と、この世界の命数が重なるのは。
――ユキを、彼女の世界と繋げるものは最早ない。彼女の母は、おそらくもう生きてはいないから。彼女の父は、既に疎遠。それならば。
(きっと、成功する)
それが、異世界渡りの条件なのだ。クロードの両親や祖父も、クロードを異世界渡りさせるために、命を捧げた。
でも、彼女を、彼女の世界から攫うことに躊躇う。
一人ぼっちになってしまった少女。
――彼女に、逢いたい。逢って、笑わせたい。
それは、クロードの願いでしかない。ユキの望みでは、ないかもしれない。
そうこうして迷っていても、炎は勢いを増すばかり。
そして、少女が顔を歪ませて、家へと駆けようとする一歩の踏み込みを見て、クロードは表情を消した。
「……クロード?」
ギシ、ギシ、と歩み寄ってくる、雪を踏む足音。義父が、クロードを不審に思ったのだろう。
でも、いまはそんなことどうでもよい。あの家に戻れば、ユキはきっと助からない。ユキさえ、生きてくれるならば。
両手を魔法陣にかざし、目を閉ざす。
水晶玉に映る、少女の姿。燃え盛る家へと走る少女。
「クロード、これは……っ」
水晶玉の魔法に気づいただろう義父の、息を呑む音がした。
クロードはそれでも、集中力を研ぎ澄ませ、自然界の魔力と自身の魔力を最大限まで引き出す。
「クロー……」
魔法陣から、湯気のように淡い光が揺らめく。
クロードの魔力と、自然界の魔力が調和した瞬間。
魔法陣が眩い輝きを放った。
目が痛くなるほどの、閃光。
術者であるクロードも、直視できずに目を固く瞑った。
そして。
光が静まり、クロードが再び瞼を押し上げると。
魔法陣の真ん中に、一人の少女が横たわる。雪の上に広がる黒い髪。煤で汚れた顔や身体。
見間違えるはずがない。ずっと求めていたもの。
――水晶玉でずっと眺めていた少女は、そうして召喚されたのだ。
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