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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
彼女の知らないエピローグ
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7の(1)-2

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 そして、すべてが一変する。


 季節が冬へと移り変わった月、空からはしんしんと雪が舞う。

 部屋は暖房によって暖かく、冬の長期休み只中のクロードは、勉強を終えると、ユキの姿を眺めるのが日課になっていた。

 窓の外を見やれば、ロシェットが雪だるまを作って遊んでいる。義両親も共に雪玉を転がし、笑った。

 視線を戻して、再びユキを眺める。

 彼女の国の時刻は深夜のようで、街の明かりは消え、星が邪魔されることなく空に瞬く。時差は半日ほどだろう。

 いつもこの時間、健やかに眠る彼女の寝顔を見るのが好きだった。

 けれど、不思議と今日の彼女の寝顔はなぜか険しい。悪夢でもみているのだろうか。

 疑問が過ぎったクロードだったが、違和感に気づく。

(……水晶玉が、曇っている?)

 そう思ったのは仕方のないこと。

 いつもは確かに鮮明にユキを映す水晶玉が、なにかに遮られるように少しばかり霞んでいたのだ。煙水晶と言われれば信じてしまいそうなほどに。

 ユキに映像を接近させることで、曇りを薄くする。

 やがて、少女は目を覚ました。夢と現実の狭間でぼぅっとしていた彼女は、徐々に顔を顰めていく。

 起き上がり、辺りを見回し咳をした。

 水晶玉越しで眺めていたクロードだったが、さすがに少女の様子がおかしいと察する。

 初めは水晶玉や魔法の調子がおかしいのかとも思ったが、違うらしい。

 そうして異変のもとを知ろうと、ユキの家を水晶玉で巡るために魔法をかけた。

 ともすれば、すぐに違和感の正体へと辿り着く。

(……火事だ!)

 水晶玉が映す一面の煙、そしてその中で一際存在感を放つ炎。長い間直視すれば、残像が目に焼きつくくらいに燃え盛る。

 瞠目した。

「ユキ、早く逃げてっ」

 声が届かないことなど百も承知であるのに、水晶玉を鷲掴み、叫ぶ。

 とめどない焦燥感。このままユキを失ってしまったらどうしよう、という恐怖。

 火事の火元を捜せば、かつてユキも使用していた寝室だと発覚する。もうそこは火の手がまわってしまい、助からないだろうことは明らかだ。

 煙の幕越しに寝室で横たわるユキの母と、恋人だろう男は火に囲まれながら目を覚ます様子はない。むしろ、意識がない。

 おそらく、煙を吸ってしまったのだろう。

(ユキだけでも……っ)

 水晶玉の映像をユキに戻せば、彼女は服の袖で口元を覆い、寝室へと繋がる階段を見上げていた。

 焦るのはクロードだ。自分の血の巡りが速くなっていると自覚する。

「ユキ、逃げて、早く、逃げろ!!」

 もどかしさに顔を歪める。緊張と動揺で、口の中が渇く。

 ――どうして彼女と、自分のいる世界は隔たれているのか。どうして自分の声は彼女に届かないのか。どうして自分は彼女を助けられないのか。

 今考えても仕方のないことばかり、頭の中で渦を巻いた。

 寝室から溢れた火に、火事だと気づいたらしいユキは、玄関に向かって走る。

 それに誰よりも安堵したのは、クロードに他ならない。

「ユキ……」

 よかった、という吐息は空気にとけた。

 家から無事に出て、道路まで飛び出した少女。腰を曲げ、膝に両手をつきながら、肩で何度も呼吸を繰り返す。

 そして再び、炎に包まれる我が家を見上げたユキのぼぅっと眺める様は、あまりにも憐れで。

 それでも。クロードはユキが助かればそれでよかった。

 彼女の母はもう助からない。クロードが様子を見た時から、また少し時間は経過し、ますます炎は激しくなっていくばかりなのだ。

 ――ユキが無事ならば、それだけで。

 そのクロードの想いを、ユキが知る事はない。

 彼女は、クロードの想いを裏切るように、家の外に母がいないことを確認するように探していた。

 そんなユキを見つめながら――クロードの胸に、仄暗い願いがもたげる。

 ――ユキの母は、助からないだろう。

 ――ずっと、考えていたことがある。ユキを、この世界に召喚すること。

 ――彼女に、世界との鎖となる母がいなければ、もしかしたら、と。

 ――葛藤、していた。

 風の影響であっという間に炎に包まれた家を見て、少女は身体を震わせた。

 迷いの中にいるクロードは、しばしぼんやりしてしまった。

 その最中で、ユキは一歩ずつ、燃え盛る家へと近寄る。中の様子を窺うように。

 意識を誘惑からユキの世界へと向けた時。ユキの様子に、まさか、と思う。

 ――思えば、ユキは、自分の身を削ってでも誰かに捧げる少女だ。

 どうして、気づかなかったのだろうか。

 ユキが母を簡単に見捨てられる筈がない。ならば、きっと。彼女は――。

 咄嗟に、クロードの身体が動いた。

 机にあるペンと水晶玉を手に、雪の降る外へと駆ける。

 無我夢中だった。

 庭の片隅には、雪遊びの休憩をとる家族がいたけれど、もはやそんなことはどうでもいい。己の願いのためならば。

「クロード?」

 問う、義父の声が遠くから聞こえる。

 けれど、構っていられない。

 クロードは積もった雪を掘るように、ペンで魔法陣を描く。それは、懐かしい記憶の中にあった魔法。かつて、実父が教えてくれた――異世界召喚の魔法。

 本来ならば、大神官の命と引き換えになるほどの魔力を要する。

 だが。

 父の、いつかの言葉を思い起こす。


『水晶玉は、見たものや人の念、魔術を記憶することができるんだ。だから、自分の水晶玉は人の手に渡してはならない。自分から手放してはならない。なにを考え、見て、どんな魔法を使ったのか知られてしまうかもしれないから。それに――いつかきっと、大切なものを守るために必要になるから』


 ユキの情報が少ないから、水晶玉の記憶を頼りに彼女をこの世界に召喚しようと、クロードは魔法陣に水晶玉を置く。陣には、言語に困らないよう、言語魔法も付加させた。

 ――今しか、ない。ユキの年齢と、この世界の命数が重なるのは。

 ――ユキを、彼女の世界と繋げるものは最早ない。彼女の母は、おそらくもう生きてはいないから。彼女の父は、既に疎遠。それならば。

(きっと、成功する)

 それが、異世界渡りの条件なのだ。クロードの両親や祖父も、クロードを異世界渡りさせるために、命を捧げた。

 でも、彼女を、彼女の世界から攫うことに躊躇う。

 一人ぼっちになってしまった少女。

 ――彼女に、逢いたい。逢って、笑わせたい。

 それは、クロードの願いでしかない。ユキの望みでは、ないかもしれない。

 そうこうして迷っていても、炎は勢いを増すばかり。

 そして、少女が顔を歪ませて、家へと駆けようとする一歩の踏み込みを見て、クロードは表情を消した。

「……クロード?」

 ギシ、ギシ、と歩み寄ってくる、雪を踏む足音。義父が、クロードを不審に思ったのだろう。

 でも、いまはそんなことどうでもよい。あの家に戻れば、ユキはきっと助からない。ユキさえ、生きてくれるならば。

 両手を魔法陣にかざし、目を閉ざす。

 水晶玉に映る、少女の姿。燃え盛る家へと走る少女。

「クロード、これは……っ」

 水晶玉の魔法に気づいただろう義父の、息を呑む音がした。

 クロードはそれでも、集中力を研ぎ澄ませ、自然界の魔力と自身の魔力を最大限まで引き出す。

「クロー……」

 魔法陣から、湯気のように淡い光が揺らめく。

 クロードの魔力と、自然界の魔力が調和した瞬間。

 魔法陣が眩い輝きを放った。

 目が痛くなるほどの、閃光。

 術者であるクロードも、直視できずに目を固く瞑った。


 そして。

 光が静まり、クロードが再び瞼を押し上げると。

 魔法陣の真ん中に、一人の少女が横たわる。雪の上に広がる黒い髪。煤で汚れた顔や身体。

 見間違えるはずがない。ずっと求めていたもの。

 ――水晶玉でずっと眺めていた少女は、そうして召喚されたのだ。



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