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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
彼女の知らないエピローグ
44/53

6の(3)

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 十四歳の時、クロードは国立学院中等部に編入学を果たす。

 両親の薦めであった。

 魔法を使えることを両親に話していないこともあり、普通科の制服を身に纏う。

 成長期であることを考え、少し緩い制服は、青色チェックのネクタイとズボンに、灰色のジャケットと白いシャツという組み合わせだ。


 自室でざっと身だしなみを整えたクロードは、部屋を出る前に、決まって水晶玉に向かう。

 ほんの数秒だけ魔法を使って、水晶玉にユキを映す。

 時差があるために、ユキの国は夜だった。けれど、まだ彼女が起きている時間。

 少女は、あれから随分料理の腕が上がった。市販品を用いたとしても、煮込み料理が作れるようになったのだ。

 すっかり冷めた料理を前に、彼女は寂しそうに母の帰りを待つ。

 ――いつの日か、彼女の願いが報われる時は来るのだろうか。

 でも、その願いにクロードは含まれない。そも、彼女はクロードの存在すら知らない。ユキの瞳にクロードが映ることはないのだ。

 そしてクロードは、世界越しに彼女の幸せを願うしかできない。彼女の笑みは自分に向けられることはないと知りながら。

 鈍い痛みが胸を襲う。

 それでも、ユキの幸せを祈る。

「……いってきます、ユキ」

 囁いて、魔法を解除した。




***   ***   ***




 学校生活は、それなりに楽しかった。

 一人の時は、両親や祖父の事を思い出さないよう、ユキに縋ることが多いのだが、学校へ行っている時は元いた世界のことを考える余裕などない。

 勉強は嫌いではない。

 中等部の基本的な知識は、家庭教師から学んでいたし、学校行事は人生初めてで、楽しくないといったら嘘になる。

 クラスメイトとの関係も良好に築けたと思う。

 ――ただ、クロードは深入りさせない程度の壁をつくっていたけれど。


 授業が終わると、クロードは友人の誘いをやんわりと断って真っ直ぐ帰宅する。

 家で出迎えてくれるのは、銀髪を一つに束ねた義母と、緩やかに波打つ銀髪を持つ義妹 ロシェット。義父は仕事で王宮にいるため、今はいない。

「おかえり」

 にこやかに出迎えた義母と対象的に、ロシェットはパタパタと慌しく駆け寄り、クロードの足に抱きつく。ついで、クロードを見上げて「おかえり」と舌足らずに告げた。

 まだ三歳の幼女の表情は薄いが、彼女は行動で好意を示すことをクロードは知っている。ゆえに、笑みながら「ただいま」とロシェットの頭を撫でた。

 穏やかで快活な義父、優しくてしっかりとした義母、表情は薄くても甘えたがりのかわいい義妹。

 理想的とも言える生活。二年共に生活してきて、彼らは確かに大切な存在になった。

 けれど。

 ――かつての、放浪生活をしていた頃の毎日は楽しくて、輝いていた。

 今も、幸せである筈なのに――どうしても、足りないものがある。

 本当の家族の代わりは、誰にも務まらないのだ。ユキの代わりも。

 夕飯までは、部屋で宿題をする時間と決めている。

 従って、義母はロシェットを抱きとめ、「お兄ちゃんは忙しいから、こっちね」とリビングへ導く。

 ロシェットから解放されたクロードは部屋へ直行し、朝と同じように水晶玉に向かった。

「ただいま、ユキ」

 まだ、夕日が沈みきっていない時間帯。他方、ユキの世界はまだ眠っている時間。

 この時だけユキは、懸念や不安などないように健やかな面持ちで眠る。そんな彼女を見るのが好きだった。

 クロードは水晶玉を一撫でし、宿題に取り掛かる。

 それが、彼にとっての今の日常であるから。




***   ***   ***




 食卓には、出来たての料理が並ぶ。

 魚の塩窯焼きは、表面を割ると香草の香りが湯気とともに広がる。他、野菜を煮込んだシチューとパン、それに季節の葉物野菜のサラダが並ぶ。

 義母は料理が文句なしにうまい。

 ゆえに義父は義母の作る料理を食べ過ぎてしまうらしく、最近少しだけお腹を気にしていた。

「おにーちゃん、おいしそーね」

 ロシェットがあどけなく笑う。それにクロードは頷いて返した。

「ロシェットは本当にクロードが大好きね」

 義母がおっとりと目を細めると、義父は口を歪めて不満を漏らす。

「……ロシェットが最近構ってくれない」

 義父に申し訳なく思いながら、クロードは苦笑した。

 義両親は、クロードの両親とはまるで違うのに、つくりだす空気はよく似ている。温かく見守るような、そんな家庭。

 実父は、繊細な容姿で穏やかな人だった。義父は、逞しい体つきをした、少しだけ子どものようで、けれど包容力のある人だ。

 実母は、華奢で、明るくよく笑う人。義母は、健康的な体型のしっかり者。

 比べれば切りが無い。どちらも優しいのだから、クロードは自身が恵まれていると理解している。

 だけど――そんな幸せこそが、最期までクロードの幸せを願ってくれた人達への罪悪感に変わる。


「そういえば」と、シチューを口にしながら父は言う。

「クロード、お前は正式にうちの子として戸籍に入れたからな」

 クロードは顔を上げた。

 ――今更、だ。

 目を瞬く少年に、義父は苦く笑む。

「どの機会で伝えるか、迷っていたんだ。嫌がる子もいると聞く。……本当は、お前に確認してからの方がよかったかもしれないのだが」

 躊躇いがちの義父。

 クロードは首を横に振った。

「いいえ、ありがとうございます。嬉しいです」

 浮かべたのは、心からの微笑。

 ――嬉しかった。それは本心。

 ずっと気がかりだったのだ。クロードの元いた世界は、命数二十六。今いる世界と繋がりがなければ、クロードは自身が二十六歳になった年、いつあの世界に召喚されてもおかしくはない。

 そも、召喚の術は大神官ほどの魔力を持つ者がいなければ成立は難しい。だが、魔法の才にこだわるあの国が、貪欲にもクロードの血筋を求め、多くの魔術師や神官の命を犠牲にしてなお召喚する可能性も拭えない。

 だからこそ、血のつながりはなくとも、正式な親子という繋がりはクロードにとってありがたかった。一つだけ、この世界と自分を繋ぐ鎖ができたのだ。

 安堵した義両親の表情。空気を読んでか、基本表情の薄い義妹も顔をほころばせる。

 そうして、なんとはなしに義父が口にした言葉に、クロードは目を瞠る。

「クロードは、魔法の才能があるのかもしれないな」

「……え?」

 クロードは口元が引き攣らないようにすることで精一杯だった。

 魔法のことは、これまで秘密にしてきた。それなのに、どうしてそんなことを言ったのか。

 動揺を困惑に見せ、首を傾げる。

「どうしてそう思ったんですか?」

 問えば、義父は他愛ないことのように答えた。

「異世界を渡った者は、総じてこの世界の言語が通じないのが特徴なんだ。だから、お前が異世界の人間だとすぐにわかった。異世界からこの世界に来た者を”迷い人”と呼ぶのだが、魔法が使えたり、その才能がある者はそのほとんどが魔術省に現れる。魔法が共鳴するか、魔法の引力によるものだと考えられている。お前が現れたのも、魔術省の中庭だったんだよ」

「そう、なんですか」

 クロードは本心の動揺を隠すため、人好きのする笑みを浮かべる。

「……そうですね、僕の世界にも、魔法は存在していました。でも、この世界同様皆が皆使えるわけではなく、才のある者が神官として国に仕えていました。庶民からすれば、彼らは遠い存在でしたが」

 ほぅ、と両眉を上げた義父。義母は「あら」と言いながら、口元を汚してシチューを食べるロシェットの口を布で拭っている。

「じゃあ、クロードも神官だったのかい?」

 その言葉に、クロードは頭を振った。

「いいえ」

 ――嘘は吐いていない。意図して、元いた国の魔法については語らないけれども。




***   ***   ***




 忙しい時というのは、悪いものではない。時間に追われ、辛いことを忘れていられるから。

 ゆえに、クロードはこの世界へ渡った初期からしばらく、比較的平穏に過ごすことができた。言葉を憶え、この世界の理を憶える毎日。

 クロードにとっては、その平穏こそがどこか非現実的だった。

 しかし、その平穏が当たり前になった頃、クロードは過去に襲われるようになる。



 深い、深い森の中。

 実両親が、切なく微笑む。

「君を愛しているよ、クロード。幸せをありがとう」

「あなたを産めて、私はとても幸せよ。ありがとう、クロード」

 そして、「ごめんね、クロード」とも。

 繋がれた温かい手が離れていく。手に残った両親のぬくもりが、いつまでも手に残って感じられる。

 ――夢だと、知っていた。

 知っていたけれど、声を張り上げて両親へと手を伸ばす。

「父さん!! 母さん!!」

 最期までクロードの幸せを祈ってくれた。クロードが生きることを願ってくれた。クロードが異世界へ渡るため、自らの命を捧げてくれた。

 両親がクロードを想うのと同じくらい、クロードも二人が大切だった。そのことを、彼らに伝えることができなかった。

 とてつもない悔い。

 涙が溢れて止まらない。嗚咽で呼吸もままならない。

 ――夢なのに。

 クロードの思う通りにはならない。二人はいつの間にか消えてしまうのだ。

 そうして場所は変わり、今度は動物園の檻の中に自分はいた。

 目の前には、大神官である祖父。

 彼は慈しむようにクロードを見つめる。

「幸せにおなり、クロード」

 光の中で、祖父は微笑む。どこまでも優しく。

「十二歳の誕生日、おめでとう。――お前の未来に、幸多からんことを」

 自身の首に当てた刃物を、引く。刹那、噴き出る鮮血。

 クロードは言葉を発することがなにもできなかった。

 胸に過ぎるのは、なんなのか。

(……後、悔?)

 一度も彼を”祖父”と呼ぶことはなかった。

 彼は、クロードの両親を捕らえた。けれど、クロードを、命を引き換えにして救った。

 今ある平穏は、両親と祖父の命の対価、代償。

 クロードは泣き崩れるように蹲る。

 胸が痛い。痛くてたまらない。心が血を流している。この世界へ来た時は、麻痺していたけれど。本当は、ずっと血を流し続けていた。化膿して、じゅくじゅくと痛む。

 ――薬がほしい。

 クロードにとっての薬。

 求めるように手を伸ばした瞬間。


 クロードは暗闇の中にいた。

 目を覚ましたのだ。

 汗にまみれ、寝衣が肌に張り付いて気持ちが悪い。

 流れる汗を、手の甲で拭いながら、上体を起こした。

 今いるのは、自室の寝台の上。クロードの世界でも、実母の世界でもないそこ。

 汗に混じって流れるのは、涙。

「……助けて」

 呻くように、呟く。

 何気なく窓から外を見やれば、空には満月が輝いていた。

 ――満月は、嫌いだ。

 クロードにとって満月は、動物園の象徴。そして、祖父の死の象徴。

「――助けて」

 薬を求めるように、手の伸ばしたのは水晶玉。

 魔法をすぐにかけ、愛おしい少女を映す。

「ユキ」

 映し出された少女の国は、日中だった。

 ユキは、見つけた数年前よりも少しだけ大人に近づいた。学校から帰り、今日も母のために料理を作る。

 彼女の表情は、少しだけ夢見るように口元を緩めて。

「ユキ」

 健気な少女。ずっとクロードは彼女を見守ってきた。

 ――逢いたい。逢いたくてたまらない。

 クロードは水晶玉を抱きしめ、身体を丸める。


 もう、すぐそこまで、クロードが今いる世界とユキの命数が重なる日が近づいていた。



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