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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
彼女の知らないエピローグ
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6の(1)

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 瞼越しに、光を感じた。

 浮上した意識の中、最初に認識したのは臭い。呼吸の度に、薬品らしき独特な鼻を通る臭いがした。

 頭が少しずつ鮮明になると共に、クロードはゆっくりと目を開ける。

 身体は地面に落ちる泥になったかのように重く、手や足を動かすことが酷く辛い。よって、状況を知ろうとしたクロードは、ぼんやりと真正面を眺めた後、首をゆっくりと左右に振るに留める。

 背中と頭の感覚には覚えがあった。動物園ほど上質なものではないだろうが、村での生活で用いていたものよりも質のよい寝台に寝かされているのだろう。

「*******?」

 視界に捉えた、三人ほどの大人。その内一人が、なにかをクロードに語りかけた。

 しかし、生憎クロードにはわからない言語である。

 大人達は皆、それぞれの装いの上に同じ白い衣を着ていた。――後に、白衣と呼ばれるものだと、クロードは知ることとなる。

 クロードは状況を知ろうと、視界から得られる情報からまだ鈍くしか働かない頭で思考する。

 部屋は、大きくない。クロードの捕らわれていた檻より、一回り大きいくらいだ。白い壁、天井にはクロードが初めて見る太陽や蝋燭ではない白光の照明器具、クロードが横たわる真白の寝具一式。

 ――動物園ではないらしい。

「*****?」

 また、大人がなにかを言う。なんとなく疑問形のように聞こえるが、定かではない。

 クロードは、自身に集中する視線を痛く感じながら、寝台を取り囲む大人に視線を一周させた。

 人種は、およそクロードのいた国と変わらないように見える。ともすれば、クロードの母とも近い。

(……ここは、異世界、だろうか)

 霞みがかった頭で、そんな事を考える。

 茶色の豊かな髪を一つに束ねた女、白髪の老人、淡い色味の髪を後ろに撫でつけた男。

 その、髪を後ろに撫でつけた男が、穏やかに目を細めて紫の瞳を欠けさせた。

「************。****? ……****、*************」

 男はそう口にすると、すまなそうに眉尻を下げて、クロードの亜麻色の髪を撫でる。

 クロードには、なにもわからなかった。言葉も彼らの正体も意図も。

 ――自分は、殺されるのだろうか。

 そんな疑問もないではなかったけれど、クロードを取り囲む彼らの瞳は、少なくともマルグリットらとは異なって見える。

 ――信用したわけではない。信頼したわけではない。

 でも、少し、疲れてしまった。

 別に、無理に生きたいわけでは――そこまで考えたクロードの脳裏に、一人の少女が過ぎる。

(……駄目だ。ユキが、いる)

 彼女が幸せに笑む姿を、一目見たかった。

 衝動のようにだるい身体を動かし、水晶玉を探す。それが、ユキとクロードを繋げる唯一なのだ。

 そうして枕元にそれはあった。

 心からの安堵に表情を緩める。

(ユキ……)

 いまだ枷がついたかのような手をなんとか伸ばして、水晶玉に触れた。視界に映る自分の手首は、白い布で巻かれている。痣の残る、枷の嵌められていた場所。

 手当てされていたことに気づいていたが、感謝より前に想うのは一つだけ。

(ユキ……逢いたい……)

 泣きそうに顔を歪ませ、頭を撫でる優しく温かい手のぬくもりを感じながら、クロードは再び目を閉じた。




***   ***   ***




 命数十二の世界に、名前はない。

 それはクロードやユキの世界でも同じこと。

 クロードが異世界を渡ってからしばらく、白い部屋の寝台で過ごすこととなった。

 手厚い看護に驚きつつ、本心で警戒心を解くことはない。クロードの世界では、異世界渡りをした者を油断させてから捕らえていたからだ。

 それでも、いつまで経ってもクロードが牢に放り込まれることはなかった。

 水晶玉でユキを見たいと思う。

 だが、無闇に魔法を見せるのは危ういと判じる。

 毎度クロードのもとを大神官が訪れていたように、少年のもとへやってくる白い衣を着た、髪を後ろに撫でつけた男。

 彼は目元を和ませ、いつだってクロードに語りかける。そして、それをクロードが理解できることはない。

 男の雰囲気は、父を思い出させた。博識で、穏やかだった父。包み込むような優しさを持っていた。

 ――もう、父に二度と逢えないけれど。

 欠けた心で壁を感じながら、クロードは男を見つめる。




 そんなクロードは、あれよあれよという間に、紫の瞳の、淡い色味の髪を後ろに撫でつけた男に引き取られた。

 男は旧貴族であるらしく、生活するには少し広い邸を有しており、豊かな生活が待っていた。放浪生活に慣れていたクロードにとって、まったく新しい日々である。

 新しい家族は、男――義父と彼の妻である義母、それに義母とよく似た義妹の三人。皆、輝かんばかりの笑顔で出迎えてくれた。

 そうしてクロードは、言語をまずは身につけるため、家庭教師をつけられ、徹底的に教え込まれることとなった。

 教師の話、両親の話から、この世界について知ってゆく。

 いわく、この世界は、クロードの世界よりも文明が進んでいるようだ。水晶玉で覗いた、ユキの世界と少しだけ近い、とも思う。魔法の存在は認知されているらしく、魔術師もいる。斯くいう義父も、国に属する魔術師だそうだ。

 クロードの世界同様、魔法は人類皆が使えるわけではない。そこで、魔法を供給する組織があり、移動するための乗り物や照明に魔法が用いられることで、魔法の使えない人々も便利な生活をしている。

 魔法についての詳しくは、クロードはまだ知らない。

 少年は、自分が魔法を使えることすら胸に秘める。いずれ、言語を習得したら魔法について調べよう、そう心に決めて。


 ――未来のような世界。

 水晶玉でユキの世界を覗いた時に見たものと似た機器の数々、食べ物。

 優しい両親、可愛い幼い妹。

 驚くほどに、満たされた環境だった。

 それなのに。心には、空白が空く。ぽっかりと空いた空洞がある。

 与えられた一人部屋。

 揃えられた家具は、本棚と机と寝台だけ。他を、クロード自身が望まなかった。

 机に置かれた水晶玉は、柔らかい布に包まれる。それをそっと開ければ、乾いた古く黒い血と、まだ新しい血のついた水晶玉が現れる。

 クロードは顔を顰めた。

 ――胸が、痛い。張り裂けそうに、もどかしい痛み。

 一人でいると、どうしても思い出してしまうのだ。処刑された両親のこと、大神官のことを。

 叫びたいほどのやるせなさ。悲しさと怒りといった負の感情一式の綯い混ぜになった気持ちを、どこにやればよいのかもわからない。

(……最後まで、僕は大神官を”祖父”とは呼ばなかった)

 後悔、しているのだろうか。

 けれど。大神官は、クロードの両親を捕らえた。

 けれど。大神官は、クロードを救い、きっと……間違いなく死んだ。

 自分で自分の心がわからなかった。

 現実こそが、あまりに残酷で。クロードにとって、耐えがたい苦痛を与える。

 そんな、狂いそうな時。ユキだけがクロードを救ってくれた。

 こっそりと、ユキを水晶玉に映す。

 クロードの今いる国とユキの国とでは、時差があるらしい。クロードのいる世界が夜の時、ユキの世界は日中だった。

 九歳の少女は、変わらない。母に振り向いてほしくて、いつも尽くす。見返りは、ささやかなもの。だが、そんなユキのささやかな願いは叶わない。

「……逢いたいなぁ」

 ――逢えたら、大切にするのに。宝物のように。

 ――決して一人にはさせないのに。

 それが、クロードにとって唯一の願いであり、望みだった。



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