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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
彼女の知らないエピローグ
40/53

5の(4)

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 今年の年末から年始にかけての月は、満月らしい。

 天辺の、異常に大きな満月が眩しくて、クロードは見上げて目を細めた。

 クロードにとって、満月は動物園の象徴だった。それまで、流浪生活をしていた頃は意識して見上げたことがなかった。が、動物園に囚われてから、水晶玉を覗くために光を求めて月を意識するようになった。

(もうすぐで、約二年、か)

 この動物園に囚われてのおおよその年月。

 クロード一家が捕らわれたのは、クロードが十歳の頃。クロードが十歳になって魔法を教えてもらったのも、十歳となった春――クロードが生まれた日のことであった。

 あれから二年。その歳月は、あまりに壮絶だった。

 クロードにとっての誕生日は、母が祝った自身が生まれた日である。しかし、一般にこの国では、年齢を重ねるのは一年の始まりとされる春の初日。ゆえに、クロードは二つの誕生日を有す。

 とはいっても、年始とクロードの誕生日は三日ほどしか違わないけれども。

 ――もう、生まれた日に祝ってもらえる日は来ないのだろうと、思い至れば寂しく感じた。

 ちなみに、今日が年末年始だと知っている理由は、今朝、マルグリットがそう話していたからだ。

 クロードには、日にちの感覚がほとんどない。日中の太陽の光から、季節をなんとなく認識するくらいのもの。


 今日も朝からクロードの檻へとやってきたマルグリットは、口角を下げた。


『年末となる今夜から五日間ほど、年初めを祝う舞踏会が城で催される。昼夜問わずだぞ……酔狂なものだ。国中の貴族が皆集い、属国から賓客も来るからな……逃げることは許されぬ。会はまる五日かかるゆえ、今夜から五日後まで、私はここに来られぬ……』


 面倒くさそうに溜息を吐く紅唇。憂いを帯びた表情は、以前に増して色気を醸したてた。


 そんな朝の一場面を思い出し、クロードは気持ちを緩める。

 ――ということは、マルグリットだけではなく、それなりの地位にいる大神官もここには来られないだろう。

 つまり、自分とユキだけのひと時が過ごせるということ。

 年始の日の三日後は、母の母国ではクロードの誕生日に当たる。クロードが十二歳になる日である。

 いまやこの世にいない父母とクロードにとってのみ、特別な日。

 嬉しくない筈がない。煩わしい大神官もマルグリットもいない誕生日。さらに、邪魔をされることなくユキだけをずっと眺めていられるのだ。

 ――大神官の、クロードには理解できない矛盾した行動についても、悩まされずに済む。心穏やかに、過ごすことができる。

 ほっと息を吐き出した。物事を複雑に考えれば考えるほど、クロードには不可解なことがあまりにも多い。過去、クロードは自身が気づかぬ間に大神官を信用し、裏切られた。

 ならば、なにも考えず、関心を示さなければ、思い煩うこともない。

 ただ、ユキを見守る、それだけでいい。

 いつか、逃げてみせる。でも、それは今ではない。クロードには大神官に勝る力はないし、種馬として扱われた頃合いならば、相手が油断を見せることも、篭絡することもできるかもしれない。

 全ては、その時。

 ――そう、思っていた。

 そう思っていたから、その日・・・ものんびり水晶玉でユキを眺めていたのだ。



 それは、突然だった。



 気がつけば、瞬く間に時は過ぎ、年始から三日経っていた。

 日付は既に、クロードの誕生日を迎え、さらに十数時間が経過している。

 いつも大神官が夕食を届けにくる時間帯。時間は、大体月の方向で把握している。

 番人のいる扉から、話し声がした。

 それは毎日毎度のことで、大神官が現れると、番人達は上司へと敬意をもって一言二言交わす。

 いつも・・・と、同じだった。

 だが、それがおかしいとクロードは思う。

 少年は訝るように眉宇を顰め、水晶玉から視線を上げる。

(年一度の大規模な舞踏会を抜けて、誰かがぼくの所に来る……?)

 ――どうして?

 貴族や宮廷社会のことを、クロードは知らない。しかし、国の大規模な行事よりもクロードの檻へ、もしくは動物園へ来ることを優先することなどあってはならない。それくらい、クロードとて想像するに容易い。

 不思議に思っていると、扉の方からドサリ、という音がした。二人分のそれは、静かな動物園に響く。

 咄嗟にクロードはそちらへと顔を向け、直後、目を極限まで開いた。

「な……っ」

 喉に声が詰まった。あまりに、驚きすぎて。

 扉付近には、倒れる番人二人。神官と騎士が一人ずつ。呻く様子はなく、ただ倒れているために、眠っているのか死んでいるのかもわからない。

 そして、二人をそうしたであろう大神官は、なんの躊躇もなくクロードの檻へと歩む。

 ――異常事態だ。

 どうして大神官が仲間であり、部下である二人の意識を奪ったのか。

 ぐるぐると考えているうちに、クロードの視界に影が差す。

 目の前に大神官が立っていることに気づき、思考に耽っていたクロードは仰ぐ。

 視線の先で、大神官は穏やかに微笑した。

 彼の手に、食事はない。あるのは――見覚えのある、一冊の本。

(どこで、見たんだろう)

 薄汚れた、材質の悪い紙で作られた本。それは、王宮で使用される高級そうな見た目の本ではない。――確かに、どこかで見た。

 違和感。クロードは無意識に喉を上下させる。なにがどうしてどうなっているのか。状況が判断できず、妙な不安に駆られる。

 そうして、呆然とするクロードを他所に、大神官は手を振りかざした。

 殴られる、とクロードが咄嗟に身を竦めたが、大神官が暴力を振るうことはなかった。

 バサリ、と衣が靡き、くうを切る。その手が勢いよく振り下ろされた瞬間。

 大神官の背後に、檻の内と外を隔てるかのような、結界が張られる。それはあたかも、淡く白い紗幕が張られたように見えた。

 結界の内にいるのは、大神官とクロードだけ。そこにいるだけで、この結界がどれほど強力強固なものであるのかがわかる。

 身が震えるほどに魔力を使った結界だ。見た目こそ薄布のように柔なのに、触ればどんな鉱物よりも堅硬なことだろう。これが、帝国の”大神官”の力。

 クロードはぽかん、と大神官を見上げるしかできない。これまでの大神官の行動どころか、今の行動すら理解できない。彼は、なにをしようとしているというのか。

 すると、大神官は膝を折り、クロードの手足の枷に触れた。

(……え)

 瞬く間に、カランと音をたて、床に転がる四つの枷。

 枷の重みがなくなり、身体が空中に浮いているかのごとく軽く感じた。

 嬉しい、けれど。呆気にとられたままのクロードは、小首を傾げるしか反応できない。

 そんな、囚われる前の彼のような年相応の行動に、大神官は相好を崩した。

 皺の刻まれた手が、クロードの頬を撫でる。大神官とクロードの視線が、絡む。

 彼は、囁いた。

「お前の父は――私の息子は、いつか来るこの日のため、禁忌として封じられた”異世界渡り”の術を、研究していた。これに、見覚えはないか?」

 大神官は片手に持っていた本を、クロードの目線まで持ってくる。

 クロードは目を瞬き、数拍後、瞠目した。

「それ……まさか……!」

 正解、というように、大神官は唇に弧を描く。

 クロードが思い出したのは、村で、夜な夜な没頭するように机に向かっていた父の姿。母とクロードが寝静まった時間、一人で蜜蝋の光を頼りになにかを綴っていた。見せた事のない、険しい表情で。

 その時に記していた本が、これ、だったかもしれない。

「お前の父は、研究途中のこれを、私に託した。――お前を救ってくれ、と」

 クロードの唇が戦慄く。

 最期の最期まで、クロードの生と、クロードの幸せを願ってくれた両親。それはただの願いではなく、形として残されていた。

 クロードの目から、涙が流れる。声が、鈍く痛む喉によって出せない。

 大神官は懐に隠し持っていた短剣を取り出すと、自らの手に当て、切った。赤い血が、数滴床に落ちる。それを厭わず、大神官は自身の血で魔法陣を床に描き始めた。

「なに、を」

 震える声で、クロードは問う。

 大神官は手を止めずに答えた。

「……以前、教えたな。異世界渡りの条件の一つは、その世界とその人の関係が薄くなることだと。お前の両親は、お前を利用される前に、異世界へとお前を渡そうとしていた。ゆえに、死を選んだ」

 大神官の落ち着いた声音に交じって、騒々しい複数の足音が聞こえた。その騒音は、近づいてくる。

 やがて、扉前で止まると、足音の主であろう者らが声をあげた。

「大神官殿!? なにをしておられる!」

 クロードがそちらへと振り向けば、豪奢な詰襟の服を着た、中年の男がいた。

 男の声を気にすることなく、大神官は魔法陣に血文字を入れる。

「クロード、私はルシオの意志を継いだ。――術は、完成した」

 にやりと、大神官が口角を上げる。

 彼は優雅に立ち上がり、檻の前まで駆けて来た男へと相対した。

「宰相殿、舞踏会を抜け出して良いのですか?」

「なにをっ! 動物園で異常な魔力を感じたがゆえの緊急事態です! ――その原因である貴方は、一体なにをしておいでか!!」

 激昂する、宰相と呼ばれた男。彼は淡い光の層に見える、半透明の結界を叩くも、それは壁のようでびくともしない。

「貴方はっ、ご自身がなにをしているのか、わかっておいでか!? これは反逆罪、ひいては国の意思に背く大罪なのですぞ!! 親子揃って大罪を犯すつもりかっ!!」

 一人の、絢爛なドレスを纏った娘が宰相の隣に立つ。化粧を施されたマルグリットだ。

 彼女も、結界越しに叫ぶ。結界に触れた手は、それを壊すための魔力を放ちながら。

「大神官! やめろっ! なにをするつもりだ!! ――クロードっ」

 宰相とマルグリットの後から、騎士や神官が複数現れた。それぞれが、結界を壊そうと挑んでかかる。

 しかし、大神官の魔法は欠けることも揺らぐこともしなかった。

 マルグリットは大神官を殺すかの勢いで、強度の攻撃魔法を繰り出す。手に溜めた強大な魔力の塊を、結界へと放った。

 刹那――轟音と共に、動物園を覆う硝子が一瞬でヒビ割れ、パラパラと硝子の小さな破片が降り注ぐ。

 攻撃を仕掛けたマルグリットは、けれど結界に弾かれ床に勢いよく倒れこんだ。

 結界を壊そうと奮闘する彼らの他方で、結界に守られた状態の大神官はクロードへと首を回らす。

「クロード、必要な物を手にとりなさい」

「……え?」

 わけもわからず――いや、正確には、大神官がなにをしようとしているのか、把握はしていた。彼は、クロードの父が残した、異世界渡りの魔法を完成させたと言ったのだ。つまり、その魔法を発動させようということ。

 だが、頭の中は混乱したまま。

 ただただ、大神官に言われるがまま、大切な水晶玉を手にとり、抱きしめた。

 そうして、困惑するクロードが大神官を見上げると、彼は慈しむかのような微笑みを浮かべた。

「命数が、お前を導いてくれる。その世界がどのような世界か、どんなに調べてもわからなかった。しかし、この世界と命数は十四しか違わないから、そこまで異なる世界ではないだろう」

「大、神官……?」

 ぱちくりと、クロードは目を瞬く。

「クロード、これは私の自己満足だ。お前が壊れるのならば、どこかで自由になってほしい。お前は、この国でも有数の魔力を持つ。――お前なら、どの世界へ行っても大丈夫」

 どこまでも温和な笑みと声音。

 でも、それらにクロードが心安らぐことはない。

 混乱と困惑で、どうしたらいいのかわからない。ただ水晶玉を抱きしめているしかできない。

 結界の向こうの喧騒。

 大神官は魔法陣を描き切ったのか、次に短剣を自らの首に当てた。

「――っ」

 クロードの叫び声が、音になることはなかった。動揺が、音を遮断してしまったのだ。

 莞爾かんじとして、どこまでも優しく、見守るように笑む大神官。

「幸せにおなり、クロード」

 血で描かれた魔法陣が光を発する。

 クロードは水晶玉を抱き込み、なにかを伝えようと思った。

「な……大、しんか……」

「十二歳の誕生日、おめでとう。――お前の未来に、幸多からんことを」

 瞬間。

 大神官の魔力がドッと放たれる。同時に、大神官は短剣で首を斬った。

 クロードの視界には、血飛沫をあげた、大神官――祖父の姿。

 祖父は、それでも笑み続け、ぐらりと身体が傾ぎながらもクロードを温かく見つめている。

 あまりの魔力の圧。

 視界の大神官が床に倒れると共に、クロードの身体は凄絶な、なにかの力によって引っ張られた。

 遠ざかる大神官の姿、クロードの世界。

 クロードは無我夢中で叫んだ。

「―――――っっ!!」

 なにを叫んだのか、自分でもわからない。

 ただ、視界が捉えたのは……噴き出る鮮血、大きな満月、強烈な魔力の光、祖父の微笑。


 臓器を引っ張られるような、呼吸もできない感覚が身体を襲う。血を吐きそうなほどの痛みに顔を歪め、目を瞑った。拍子に、涙が幾筋も流れた。




 そうして、意識が薄れていく中で最後に見たのは、緑色。視界はぼやけていて、はっきりとなにを見たのか認識できない。

 草や芝のような所に寝そべっている感覚と匂いがしたのは憶えている。

 それが、異世界を渡った、最初の記憶だった。



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