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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
彼女の知らないエピローグ
39/53

5の(3)

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 月日は流れる。

 動物園の中では、いつでも温暖な気候が保たれているため、季節を把握することは難しかった。太陽の日差しの強弱だけが、動物園の住人にとって季節の物差しになりうるのだ。

 紗幕越しの光から、恐らく今は冬の終わり頃だろうと察する。そう思い至れば、天気の悪い日は紗幕が開けられているわけだが、雪の日もあったと思い出す。

 そんなことも曖昧にしか憶えていないほどに、クロードの精神は別の世界へ行きかけている。

 水晶玉の少女は、あれから料理の腕が少しだけ上がった。もう穀物を炊くのに失敗しないし、刃物の使い方も怪我をしない程度にまで上達した。

 それでも――彼女の母親が、ユキに目を向けることは二度とないけれど。

 憐れな少女。誰かが守らなければ、雪のように融けていなくなってしまいそう。

 もしそうなったら、クロードこそが生きていけない。

「ユキ……」

 手の届かない少女の名を呼んで、クロードは痛みを堪えるように笑んだ。



 その間も、クロードの日常は変わらない。

 マルグリットが檻の向こう側にいて、クロードを一心に見つめている。

 クロードが少女の名を知ってから、おおよそ半年。この半年間で、マルグリットの身体は随分大人びたまろさが際立ってきた。

 形の良い少し大きな胸、くびれた腰、程よく出た臀部。男ならば一度は相手を願いたくなるだろう体つきである。

 だが、その成長を、誰よりもマルグリット本人が嫌がった。彼女はどこか、大人の身体に成長することを拒んでいる節があった。

 そんなマルグリットは、どんどん心をクロードに侵食されていくかの如く、少年に陶酔した様子を見せる。まるでクロードが水晶玉の少女を眺める眼差しに似ているが、クロードの瞳に宿るのが愛おしさと庇護であるのに対し、マルグリットは瞳に色欲と独占欲を宿していた。

 熱の籠められた恍然とした眼差しは、クロードに嫌悪感を抱かせるのに十分だ。彼はぞくりと背筋を震わせると、眼差しの主へと視線を一切やらずに顔を顰める。

 その小さな反応が、マルグリットには嬉しかった。

「クロード……私のクロード。私の肌に触れて良いのは、お前だけだ。私には、お前だけなのだ。そして、お前は私だけのもの」

 洗脳するように、いつも彼女はこの言葉を口にした。

 マルグリットのクロードへの執着は、いつしか異常なものへと変化していたのだ。




***   ***   ***




 偏執狂とも言えるマルグリットの様子を危惧していたのは、大神官である。

 彼はマルグリットが去った後、クロードの檻にやってくると溜息を吐いた。

「……彼女も、憐れな娘なのだ」

 それから、水晶玉を見つめるクロードに、今日も大神官は独りでに話す。

「マルグリット殿は、皇弟殿下に嫁ぐ予定であった。……彼女の叔父上にだ。彼女の美貌が、皇弟殿下の目にとまったがために。それも、今では破談になったが」

 そうして、大神官は睫毛を伏せた。

「……お前に、話したいことがたくさんある」

 その言葉を皮切りに、様々な情報をクロードに与えた。

 大神官によれば、皇帝らがクロードを種馬にするのに必死な理由は、クロードの一族にあるらしい。

 大神官、つまりクロードの祖父の家系は、大貴族であり、代々神官を輩出してきた。それこそ、初代神子の召喚から、クロードの母の召喚まですべてに立ち会ってきたのだ。

 それは、大貴族出身の魔術師であるからではない。

 クロードの一族には、複数いる始祖の一人の、強大な力を持つ魔術師の血が色濃く残っているからである。

 その血をより濃いものとするため、クロードの一族は代々近親婚を繰り返してきた。クロードの亡き祖母は、大神官の姪だったという。

 そうやって、大神官の代まで近親婚は続いてきた。

 けれど、それに逆らったのがクロードの父 ルシオ。彼は、神子を妻とし、クロードを産んだ。初めて、一族に魔術師以外の血が混ざった。

 それも、クロードが魔術師の血を受け継いだことで大問題には至らずに済んだが、そも一族は次代があまりに少ないどころか、子をつくることができる若者はルシオとクロードしか残されていなかった。

 ゆえに、本来ならば両親と共に処刑される筈だったクロードは生かされ、種馬として扱われるに至ったのだ。外聞と秩序のため、大罪を犯したルシオは公開処刑されるに至ったが。

「我が一族の力があれば、一族の者一人と、大神官補佐二人ほどで異世界召喚の術は完成する。負担はあれど、命が奪われることはない。だが、そうでない場合、並みの魔術師数十人の命が必要となるだろう。私だけの力で召喚するならば、私の命を懸けねばならない」

 どこまでも落ち着いた声音が、動物園に響く。

 この言葉を聞いて、番人である騎士と魔術師は一体どう思うのだろう。思えば、これまでの大神官の言葉を、番人らは聞いてきた筈だ。クロードの感じた大神官の行動の矛盾を、彼らが抱き、皇帝らに密告していいものである。

 だが、そんな様子はない。あれば、大神官は二度とここへは来られないだろうから。

 クロードにとって、わからないことだらけだった。

 考える事を放棄した頭で、しかし疑問だけはいつも頭の片隅に居座り続ける。

「マルグリット殿は、憐れな娘だ。――だが、私は彼女よりも、お前の方が大切なのだ」

 毎度の、穏やかな眼差しが向けられ、クロードは居心地悪そうに大神官を見やった。

 少しでも心を顕わにした少年に、大神官は優しく目を細める。

「お前の父が何の研究をしていたか――何を残していったか、知っているか?」

 クロードは眉根を寄せた。

 言われるまで、すっかり忘れていた……むしろ、心が壊れるほどに痛むから、故意に考えずにいた幸せだった頃の思い出。

 そういえば、と思った。

 クロード一家が捕らわれた村にいた頃、父は家族が寝静まった深夜、なにかに没頭していた。それが大神官の言う研究なのであれば、クロードはその研究内容を知らない。そして、”研究”と言われて、それくらいしか思いあたることはない。

 ――父が、なんの研究をしていたのか。

 訝しげに、クロードはただただ大神官を睨めつける。

 大神官は口角を上げ、鋭い眼差しに答えた。

「――あと、少しだ」

 クロードの世界は、もうじき春を迎える。春は、その世界で一年の始まりの季節。

 つまり。


 もう目前まで、クロードの、ひいてはクロードの国の国民の誕生日が迫っていた。



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