表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ある脇役の選択  作者: 梅雨子
彼女の知らないエピローグ
38/53

5の(2)-3

.



 クロードは、ずっと少女を見つめていた。

 昼夜問わずそうしていた結果、彼女の国の言語を少しだけ理解できるようになった。

 水晶玉の中で、昼間、動物園よりも狭い部屋には少女と同じ年頃の子ども達が集まり、一人の大人がなにかを教えている。

 それは、クロードの捕らわれた村の学び舎のよう。つまり、そこは少女にとって学び舎なのだろう。

 子ども達や師であろう大人は、彼女をこう呼ぶ。

 ――ユキ。

 それはきっと、少女の名前。

「……ゆ、き」

 口にしてみると、なんだか嬉しくて、糖蜜を食べた時のように甘く感じ、顔がとろりと蕩けた。

 もっと、もっと彼女の色々なことが知りたい。

 ゆえに、今までよりももっとたくさん言語を覚えようと必死になる。

 もともと、言語を覚えることは苦手ではない。法則さえ覚えてしまえば、あとは暗記するだけなのだ。

 そして、更に知ることができた情報は、彼女の誕生日と思われる日付。

 ユキの世界の数字と文化を、クロードは少しだけ知っていた。過去に、母が教えてくれたから。

 母は書き留めたいことがあると、よく母国の言葉を使用していた。クロードにとっては、”英語”と呼ばれる文字よりも数字の方が暗号に見え、興味が湧いたために、強請って教えてもらった。

 クロードの世界では、誕生日を生まれた日と定めることはせず、一年の始まる日に皆同時に年をとる。しかし、クロードの母は、クロードの誕生した日に必ずいつもより豪華な菓子を作ってもてなし、祝った。

 母は言った。


『私の国の……私の行った事のある国では、自分の生まれた日を誕生日として祝うのよ。私はあなたを産んでとても幸せだから。幸せをくれた日を祝いたいの。蝋燭は、歳の分だけ立てるのよ』


 母の行った事のある国――アメリカと日本。

 その言葉を思い出し、クロードは水晶玉の向こうで菓子に蝋燭を立て、母子二人で楽しそうに祝う姿に、その日が彼女の誕生日であると察する。

 更に蝋燭の本数から、ユキが八歳であることも。

 彼女の控えめな笑顔が切なくて、いつしか心からの笑みを見たいと願っていた。

 ――初め、観察対象は誰でもよかったのに。”誰か”でなくとも、現実逃避できるのならば、異世界を巡るでもよかったのに。

 しかし、次第に、なんとなく彼女が気になって、日に一度は少女を捜すようになった。それから、彼女から目を離すと、彼女のことが気になってたらまらなくなるようになった。

 その少女から――心からの笑顔が遠ざかってしまったのは、最近のこと。

 水晶玉の中の、異世界の少女に転機が訪れたのだ。

 欠けた月の光が、動物園に降り注ぐ。

 その光だけを頼りに、クロードは少女を眺める。


 それまでも濃い化粧ではあったが、より派手になったユキの母。服装も、露出が以前より増えていた。

 少女は母が帰るまでの時間、掃除をして過ごしていたが、母の変化をきっかけに料理の練習もこっそりするようになった。

 とは言っても、クロードより幼い少女だ。しかも、彼女はクロードの世界ではそれこそ貴族の娘のように育てられてきたのか、火や刃物をあまり手にしたことはないらしい。

 野菜を切る手は、危ういほどにたどたどしかった。

 そんな少女は、卵を割る練習を始める。

 殻にヒビを入れる際、力の加減が難しく、何度も失敗を繰り返す。それから、ようやっとヒビを程よくいれることに成功するが、今度は割って中身を容器へと出すのに失敗した。

 殻の入ってしまった、黄身の崩れた生卵。

 ユキは一生懸命殻を取り除いた。

 ――見ているクロードこそが、手を貸したくなってしまう姿。

 クロードはもどかしさを覚える。

 彼女の隣に自分がいたら、と思わずにはいられなかった。

 ユキは、いつだって母の心を自分に向けてほしくて、母の助けになりたくて献身的に尽くす。けれど、その母は変わってしまった。

 ユキの母は、いつしか深夜か明け方に帰ってくるようになり、その時は男を連れ込んだ。

 その家に、少女の居場所はない。追いやられるように、ユキはいままで寝るために使用していた部屋から、寝具を別の部屋に運び、そこで眠ることを強いられた。

 それでも、彼女が母親に文句を言うことはない。


 次の日も、彼女は帰宅後に料理の練習をする。

 ある日は、白い穀物を握った物を作る。それも、水の分量を間違えたのか、うまく形にならず、しかも彼女は熱い状態で触れてしまったために、手が真っ赤になっていた。

 またある日は、刃物を扱う練習のためか、野菜を切り、手を切ってしまった。

(この枷がなくて。ぼくが異世界に行けて。ユキの隣にいられたら)

 ――どんな傷も、癒すことができるのに。

 やるせない。応援しかできない自分に、不甲斐なさすら覚えた。

 悲しくて、切なくて、痛ましいほどに愛らしい少女。

 彼女の存在に、大神官との時間も、マルグリットとの時間も忘れることができた。

 絶望を、忘れられる。負の感情が、静まる。ともすれば、両親の愛してくれた頃に、少しでも戻れる気がした。

「ユキ……」

 ――彼女を、心の底から愛しいと、思う。




***   ***   ***




 大神官は、少女だけを見つめる――少女しか目に入っていないクロードの頭を撫でる。

 指の隙間をすり抜ける亜麻色の艶やかな髪は、彼の母の髪とよく似ていた。

 クロードの灰色の瞳は、熱が宿っている。それだけで、彼が少女に心酔しているのだとわかる。

 客観的に見れば、限度を超えたそれは異常にも映る。少年には、少女の存在が全てなのだ。

 しかし、少女の存在があるからこそ、クロードはまだ完全に壊れずに済んでいるとも言える。彼女に執着し、依存する少年。喪失した感情は、いまや少女にのみ向けられる。

 それは、穏やかな眼差しで以って。

 大神官は、それで構わなかった。クロードが生を望んでさえくれるなら、それが希望でも憎悪でも、どちらでも良い。生きてくれさえすれば。――そうしたら、いつか幸せが彼に降り注ぐかもしれないから。

 少女を映す水晶玉を眺めて微笑む少年に、大神官は淡く笑んだ。

「……あと少しだ。あと少し、待っておくれ」

 クロードの心は、少女に囚われたまま。しかし、大神官は続けた。

「お前を、利用などさせんよ。――私の、唯一人の家族であり、孫なのだから」



 少年にとって、大神官の告白は衝撃的なものである筈だった。

 だが、聡い少年は、薄々察していた。大神官は、クロードにとってあまりに矛盾した行動をとってきたのだ。

 両親を捕らえ、クロードを監禁したが、彼を救おうとする。ともすれば、父が大神官の元側近 大神官補佐であるために情があるのか、はたまたクロード自身が大神官となんらかの関係があるかがすぐに思い浮かぶ。

 そこで過ぎったのが、サーシャの言葉であった。


『あんたは血筋だけはいい。大貴族で代々神官の家系の父親と聖女の母親の子だもん』


 クロードの父は、この世界は近親婚が増えたために魔術師が減ったと言った。

 それはつまり、魔術師同士は親族縁者である可能性が高いということ。

 そうした思考を脳裏に描いていたから、クロードにとって驚愕する事実ではない。

 ――ただ、そんなことはどうでもよかった。

 大神官の祈るような声。

「――どうか、お前の未来に、幸多からんことを」

 それは、優しく包み込むような、温かい声音だった。



.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ