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「――サラの母国ではないな」
降ってきた声に、クロードが反応を示すことはない。
少年はひたすらに、水晶玉の少女に没頭しているのだ。傍から見れば、その姿は少女に傾倒しているように見えることだろう。
現れた大神官は食事を寝台の端に置くと、湯浴みの桶と着替え、湯の入った水瓶を持った神官にそれらを置いて去るよう命じた。
そうして、クロードの魔法がかかる水晶玉を覗く。
クロードは嫌がる素振りを見せなかった。……いや、大神官の存在自体を無視しているのかもしれないし、人がいることにも気づいていないだけかもしれない。
それでも、大神官は気にした風ではなかった。
クロードの隣に腰を下ろす。ついで、無意識に微笑むクロードを嬉しそうに見下ろし、世界について話し始める。
「この魔法が使えるということは、ルシオは命数と世界について教えたのだろうな。……クロード、お前はこの娘に会いたいと思うか?」
その言葉に、クロードは視線だけで大神官を見た。どうやら多少の興味は引かれたらしい。
表情は一掃され無表情であるから、クロードの答えが是か否かはわからない。大神官には、クロードがなぜ少女に執着するのか、それがどのような執着なのかまでは知り得ていないのだ。
大神官は視線を少女に落とす。
特別秀でたところのない、人種の違う少女。容姿だけならば、マルグリットの方が美しい顔立ちをしている。
水晶玉を見る限り、異世界の少女の国では、彼女の持つ黒瞳と黒髪はなんら珍しいわけでもないようだ。ともすれば、クロードは珍しさから彼女だけを観察するわけではないのだろう。
では、なぜか。彼女は他の者となにが違うのか。
大神官が思ったのは、彼女の雰囲気だった。
幼い子どもにしては、少し哀愁が漂う。自分が守らなければ、彼女は儚くなってしまう――そんな庇護欲を掻き立てられる危うさがある。
大神官は少女を見つめながら、言葉を続けた。
「世界は、命数の近い――というと語弊があるが、正三百六十五面体で構成された世界の位置関係が近ければ近いほど、文化や環境が似ている。多少違いはあるが、共通点も多い。例えば、昔の聖女であった娘は、命数三十の世界から来た。彼女自身は魔法を使えなかったが、世界には魔法があったそうだ。……この娘の世界はどうだ? 共通点はあったか?」
問いかけに、クロードは三回程ゆっくりと目を瞬いた後、再び視線を水晶玉に戻した。
大神官の声に、少しは耳を傾けてくれたのかもしれない。そんな満足感が、大神官の胸に広がり、目を細めた。
「……クロード、この娘が条件を満たしていれば、彼女が二十六歳になった年、この世界にやってくる可能性は全くないわけではない」
今度は、素早い動きでクロードの顔が大神官へと向けられる。
好奇心と期待の眼差し。ルシオと同じ、灰色の瞳。
大神官は少しだけ悲しそうに笑んだ。
「今まで、異世界から召喚された神子には共通点があった。――家族がいない、もしくは肉親と疎遠だということだ。異世界渡りの条件は、その世界とその人の関係が薄くなることだと考えられている。だから、この水晶玉の娘に身寄りがいなければ、彼女が異世界渡りをする可能性は多少なりともある」
ほんの僅かに目を見開いたクロード。けれど、喜んでいるわけではないらしい。
水晶玉を見る限り、少女には家族がいるから――だろうか。
クロードの落胆が、彼女の家族の存在に対してなのか、彼女の家族の死を願わねば少女に逢えないことに対してなのかはわからなかった。
――落ち込ませてしまった。
大神官の目には、睫毛を伏せる少年が映る。
――それでも。
少年に、少女の異世界渡りの条件を話したのは、わずかにでも生きる希望を抱いてほしかったから。
そして。一番の理由は。
少年に、知っておいてほしかった。
それは、”少女が異世界を渡るための条件”ではない。
――なぜ、処刑されることを知っていたクロードの両親が、あまりにも潔く大神官らに捕らわれたのかを、である。
*** *** ***
昼過ぎ、大神官が去るのを見計らったかのようにマルグリットが動物園に現れる。
彼女は日課の如く動物園にやって来るが、今日は取り巻きを連れず、ただ独り。
貴族の頂点である王家の姫らしく、彼女の佇まいや所作は洗練されて美しい。彼女自身、身に纏う鮮やかな色のドレスも引き立て役にしてしまう華やかな面差しをしているし、豊かな金の髪は年頃の娘が焦がれるほどに艶やかだ。
高貴で、華やかな美貌の姫。ともすれば、縁談は引く手数多だろう。
しかし彼女は、クロードのもとへと独りで現れる度に、縋るような瞳を少年に向けた。
淑女らしくなく、床に膝をついて檻を握る。
彼女はどうやら檻を開けられないようで、時折クロードを求めて檻の隙間から手を伸ばした。
そして、その手に触れることを、クロードはしない。
彼女の存在など目の端に映すこともせず、ひたすらに水晶玉に見入っている。
それでも、マルグリットは寂しそうに唇を震わせるだけで、少年から水晶玉を取り上げようと命じることはなかった。
「……お前が水晶玉の娘に執心だとしても、その娘と結ばれることはない」
釘を刺すように、囁くマルグリットは歪んだ笑みを浮かべる。嘲笑なのか、憐れんでの笑みなのか、見極めることはできない。もしかしたら、その両方の感情を宿した笑みなのかもしれない。
そも、彼女は嘘偽りを口にしたわけではない。水晶玉の少女と結ばれることはない、というのは事実なのだ。
この世界は、異世界人を見つけ次第処刑するし、種馬として檻に囚われたクロードがおいそれと面会できる筈もない。
けれど――皮肉を込めなかったわけでもない。
マルグリットにとって、クロードは自分よりも可哀相な存在でなければならなかった。
王家九番目の姫。帝国の皇女という身分は、多くの臣下を信頼や忠誠ではなく、権力によって傅かせることができる。しかも、彼女は国に重宝される魔術師でもあるのだ。
だが、実際はどうだろう。
確かに、多くの者は跪く。その伏された顔、もしくは胸中で嘲笑い、企みながら。
マルグリットはそれらの反応を察していた。己を求めるのは、地位・権力か、魔術師の血か、美貌を求めての者ばかりだと。
そうして、冷笑するように生きてきた。
取り巻きの娘らとて、彼女らになんらかの意図や得があるからこそつき従っているに過ぎない。例えば、動物園へ赴いた貴族の娘らは、享楽のためだろう。
――九番目の皇女。
いずれ嫁ぐことが、生まれた時から決まっていた。王宮の片隅で、両親とほぼ顔を合わせることなく乳母に育てられた。
九番目なのだ。仕方のない話かもしれない。そも、名前だけでも、両親は憶えてくれているだろうか。
両親に愛された記憶など、ほとんどない。王家には、十を超える皇子皇女がいる。それこそなにか特別な才がない限り、名ばかりの王族として在るしかなく、目を引く要素すらありはしない。そして”特別”になり得そうな魔術の才は、王族であれば皆素養を有しているために、国に重宝されたとして、両親の”特別”になれるわけではない。
――王族としての義務。それが、魔術師の血の継承。
マルグリットとて、これまで蔑ろにされてきたが、魔術師の血を残すことを受け入れていた。受け入れていた、けれど。
降って湧いた縁談。
相手は、親子ほどに年齢の離れた、白髪交じりの中年の男。腹の出た、見るからに怠惰な性格だとわかる体型の――叔父。
叔父の変質的な趣向には、気づいていた。幼いマルグリットを見る目つきから、気づきたくなくとも気づかされた。少女から女へと成長する頃からは、特にまとわりつく粘着質な視線でこちらを見てくるようになった。にたにたと嗤って。
マルグリットは知っていた。彼は、女を蔑んでいる。家畜と変わらないと思っている。自らは醜い姿のくせに、権力と、魔術師という身分だけで多くの女を手篭めにし、殺してきた。男は、邪魔になったら――新しい女を見初めたら、古い女を殺すのだ。一夫一婦制ゆえに、邪魔だという理由で。
マルグリットにはわからない。理解できない。
そんな屑のような男を、皇帝は溺愛し優遇する。
それはなぜなのか。なぜ、九番目とはいえ、娘であるマルグリットの拒絶など一切無視して、弟の願いを聞き届けようとするのか。
兄弟の情とでもいうのか。ならばなぜ娘への情はないのか。
それでも。
マルグリットには、父である皇帝に逆らう術はなかった。
ゆえに、彼女は企てた。
皇帝が渋ったとしても、承諾しそうな方法。叔父との婚姻を破棄する方法。――叔父のこだわる処女を捨てる方法。
クロードは、マルグリットのすべての条件を適えた。
代々神官という、大貴族であり魔術師の血筋。彼の血筋は、神子を召喚する折り、必ずその場に立ち会ったと記録が残っている。初代神子から、最近処刑されたという神子まで、すべて。だからこそ、皇帝はその血を絶やしたくない筈なのだ。
クロードならば、マルグリットの願いを叶えることができる。
やがて皇帝も、皇族に彼の一族の血を有した者がいる方が有利と判じるようになった。生まれた子を教育で洗脳すれば利用しやすいと考えたのか、宰相らに説得され了承を示した。
そして彼女は、クロードを一目見て気にいった。神の造形のような美しさを持つ少年に対し、執着するようになった。
独占欲すら湧きあがるマルグリット。
他方で皇帝は、クロードを種馬とし、より多くの血を残させるため令嬢数人を宛がうことを命じた。それに、マルグリットは渋々頷くしかなかった。
それでも、クロードの中に、自分の存在を特別として刻み込みたい。
――美しい、自分だけのクロード。
両親の特別にはなれなかった。地位や権力、血や美貌を抜きにして、特別だと言ってくれる者はいなかった。誰もが裏の顔を持って近づいてきた。
「……クロード」
檻の、鉄格子の隙間から手を伸ばす。
水晶玉に夢中な少年。彼の瞳に映りたい。
彼にとって、自分は特別なのだ。そうでなければならない。だって。
「お前が罪人共の餌食にならなかったのは、私のおかげだ」
そして、彼は自分より憐れでなければならない。だって。
「お前は大罪人の子。だが、私が救ってやった。だから、地下牢の汚い囚人に与えられることもなく、この神秘な鳥かごでお前は庶民より良い食事をとり、清潔にでき、眠ることができる」
最初、クロードは地下牢にいる、魔術師の女囚人に与えられる予定だった。国としては、クロードの血さえ――クロードの子さえ手に入れば、相手の女は魔術師なら誰でもよかったのだ。罪人といえど、魔術師の血は惜しい。
しかし、基本地位の高い魔術師が罪人の子を残したいと考えるとは思えない。ゆえに、大罪人の子 クロードは、種馬として多くの女囚人に与えられようとしていた。
それを止めたのは、大神官だった。彼は、神官の管理・研究する動物園に監禁しようと忠言した。そして彼の言葉を押したのが、皇女マルグリットであった。彼女の賛同によって、彼女こそが少年の子を孕むことを承諾したのだ。そうして、宰相もマルグリットや大神官側にまわり、クロードの動物園入りは決定した。
つまり――。
「クロード」
名を、呼ぶ。
哀願するように。愛おしむように。
手を限界まで伸ばす。
人形になってしまった少年。負の感情を押しこめた結果、彼は心を閉ざしてしまった。
求めるものは、水晶玉の中の少女だけ。
「――お前は、私のものだ。ゆえ、私の傍にいなければならないのだ」
泣きそうに笑みながら、彼女は囁いた。
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