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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
彼女の知らないエピローグ
35/53

5の(1)

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 朝なのか、夜なのか――いつしかクロードにとって、そんなことはどうでもよいことになっていた。

 寝台を背もたれにして、縮こまるように膝を抱えて床に座る。腹と大腿の間に、水晶玉を守るかのごとく抱えて。

 無意識に、考え事をする際、床を左右十個の爪で引っ掻くようになった。

 硬い石でできた床が抉れることはない。

 けれどクロードの手は、それまでも村の生活で決してきれいとは言えないものだったが、今では手の色自体は日焼けの浅黒さはすっかりなくなったものの、血の滲む深爪が目立つ。

 見た目こそ痛々しいが、クロードにとってみれば痛いという感覚は既に麻痺しているらしく、気にする素振りは一切なかった。

 今の彼は、ただ日々をぼぅっと生きる。ともすれば、近寄りがたい程に白皙の美貌を有する少年は、まるで心のない人形のようだ。

 ――この世のものなど、彼には見えていないのではないか。

 少年を目にした者は、誰もがそう思わずにはいられない。

 目は、他の檻に囚われた者らのように死んだ目をしているわけではなく、しかし生命に輝くこともない。それは硝子玉によく似ている。

 時折、しぱしぱと瞬く瞼の動きで、彼が体温のある人間であり、生きているのがわかる。

 少年は、身支度も、食事ですら機械的に行っていた。

 傍目からは自失状態のクロードであるが、その実、彼は彼でぐるぐると思考の渦潮を彷徨っていたのだ。


「生きろ」と、大神官あのおとこは言う。両親が、そう願ったと。

 確かに、クロードは水晶玉に刻まれた父の魔法から、遺言を受け取った。そしてそれは、両親がクロードの未来が幸せであることを祈るものだった。だから、大神官の言葉は、嘘というわけではないのだろう。

 クロードは、両親を恨んでなどいない。こうして囚われることになったのは、国からすれば大罪を犯したという両親ゆえのことかもしれないが、クロードはどうしても両親が悪いことをしたと思えなかった。

 今でも愛おしくて、恋しくてたまらない。たくさんの思い出は、今や手の届かない羨望の的と化した。

 ――父も母も、悪いことなど、していない。

 今の境遇は、両親が理由であったとしても、マルグリットや大神官らの――この国と世界のせいなのだ。この国が、権力者が、世界が歪んでいなければ、あるいはこうなることはなかったかもしれない。

 不意に過ぎる、両親のもとへ行きたいという願い。

 でも。

(――生きたい。生きて、復讐してやりたい)

 気がつけばそんな思いが、胸に去来するようになった。

 この醜く歪んだ世界。

 ――壊れてしまえばいいのに。

(魔法が封じられていなければ、壊してやるのに)

 ――父から教わった、破壊の魔法で。

 ギリギリと爪で床を引っ掻きながら、心中で独り言ちた。

 父は、クロードに”優しい魔法”だけ使って生きてほしい、と願っていたのに。クロードの心は、父の願いに反することばかり考えてしまう。

 その申し訳なさと、それでも溢れかえる憎悪。

 苦しくて悔しくて、そんな渦巻く感情のやり場がどこにもない。じっとしていられないから、でも檻からは出られないから、床を引っ掻き続けた。

 擦り切れて爪のなくなった皮膚から、血が溢れ、床に赤い指の痕をつくる。

 考えれば考える程に、憎しみが湧き上がる。

 だが、今のクロードに復讐をする力はない。

 その歪みに、更なる負の感情を掻き立てられ、行き場を失ったもどかしいほどの遣る瀬無さにたまらなくなる。

 そうして、自覚のない自衛が、心と身体の繋がりを遮断するようになった。


 そんなクロードにも拘わらず、マルグリットや彼女の取り巻きである令嬢らは、にたにたと卑下と色欲に彩られた笑みでもって少年を眺める。

 かつては身の毛がよだつほどの嫌悪が湧いたのに、現在では壊れかけ、凍りついた心は反応すら示さない。


『――私は、託されたのだ。……お前を救ってくれ、と』


 大神官の言葉を、何度も頭で反芻させた。

 幾度そうしても、クロードにはその言葉の意味がわからない。”生かしてくれ”という言葉ならば、今のクロードの状態とてその通りだ。しかし、”救ってくれ”は、まるでクロードがこうなることを両親が予期していたかのようではないか。

 クロードは睫毛を伏せる。

 思えば、両親はある程度察していたのではないかと、繋がることが幾つかあった。

 村や街で生きるには必要のない、過ぎた教育を施され。”使わないで生きて欲しい”と願いながら、国を破壊するほどの魔法を教え。禁忌とされる異世界人を召喚する魔法を授けたのだ。その理由が、クロードがいつか囚われたとして、逃げ出すためのすべとしてならば、納得できる。むしろ、他の理由が見つからない。

 それはつまり、クロードにどんなことがあったとしても、諦めずに逃げ切り、生きてほしいと願ったということではないだろうか。

 種馬にされる未来への恐怖、恨みと憎しみ、そして孤独。

 絶望が横たわる中で生きるのは、あまりに辛かった。

(どうして、父さんと母さんはぼくを残して逝ったの)

 責めたくはないのに。産んでくれたことに、二人が自分の両親であることに感謝しているのに。

 詰りたくなる感情が、たまらなく嫌だった。




***   ***   ***




 クロードの様子を、大神官は毎日心配するように様子を窺う。

 この日も食事を届けた彼は腰を下ろし、クロードの瘡蓋かさぶたができた手を一瞥すると、少年の首に嵌められた枷に触れた。

 そんな大神官を気にすることなく、むしろ存在すら認めていないかのように、黙々と食事をするクロード。心を凍りつかせた少年は、もはや皺の刻まれた手を振り払うこともしない。

「……このまま、お前を壊すわけにはいかぬ」

 憂いを滲ませた声音。

 その声が心を震わせることも、揺さぶることもないものの、クロードの耳は彼の言葉を捉えた。

 ゆえに、自嘲とも嘲笑ともとれる嗤いを胸中で浮かべる。

(それは、種馬として?)

 言葉には出さない。ただ、あまりにも滑稽に思う。それは、自分がなのか、大神官がなのかは自分でも判じられなかったけれど。

 大神官は、首枷に指を滑らした。

 その意図がクロードにはわからず、食事する手を止める。視線を、首に触れる大神官の手へと落とす。

 刹那――カシャン、という、小気味いい音が響いた。

 クロードは僅かに目を瞠る。

 それまで蒸れがちだった首に手をあてた。軽くなった首を、傾げてみる。

 そうして、床に転がったそれを見下ろした。

(首の枷が……外された?)

 ――どうして?

 わからず、眉宇を顰めて大神官を見上げる。

 少しだけ嬉しそうな、大神官の表情。

 ――どうして?

 クロードを捕らえたのは、大神官を含めた権力者だ。枷を嵌めたのも、彼らだ。

 捕らえておくために必要だと判断したから、嵌めた筈。

 理解できないもの、正体のわからないものには、畏怖の念を抱くことがある。クロードは今、大神官にその感情を向けた。

(なにを、考えている?)

 ――どうして。どうして、わずかに喜色を滲ませる?

 怯えにも似た困惑を見せるクロードに、大神官は微笑んだ。

「魔力を封じる枷を、一つだけ外した。その水晶で異世界を覗くくらいの、害のない魔法ならば可能だ。外部との接触、攻撃性のある魔法は使えないが、気を紛らわす程度には役立つだろう」

 大神官の言葉通り、確かにクロードは、己の魔力がわずかにでも解放できる自由を感じた。身体の中にある一杯まで魔力が詰まった器の蓋が、それまで頑なに封じられていたのに、少しだけ蓋をずらして解放できるような感覚。欲求不満にも似たもどかしい苛立ちが、少しだけ解消されるような。

 身体が楽になった気がした。

 そうして、クロードは自嘲を零す。

 ――大神官ならば、この枷を全て外すことができるのだ。鍵穴のない、枷。つまりこれは、魔法でしか嵌めることも外すこともできない代物ということ。

 嵌めたのも、大神官かもしれない。

 けれど。

 ――大神官が枷を外すことができる、それが叶ったならば、この動物園から脱出することができるかもしれない。

 大神官こそが希望とは。なんたる皮肉か。

 嗤いが、止まらない。

 そんなクロードを、案ずるように見守る大神官の視線、表情。それは、どこか悲しみを宿らせたもの。

 ――なんたる、皮肉か。

 彼が、両親からクロードを救ってほしいと託されたとして、どうしてその願いを叶えてくれると信じられるだろう。そも、クロードを捕らえたのは大神官に他ならないのに。

 結局、自分は復讐することもできず、ただ利用されるためだけに生きるのだ。

 クロードは突如として嗤いを収める。

 自分の心と向き合えば、本当の心が悲鳴をあげている……その声が聞こえた。

 ――狂いそうだった。いっそ、狂ってしまいたかった。

 少年が抱くには、年齢に合わない感情。だが、彼の環境が、彼を幼い心でいることをさせない。

 ――壊れたいのに、壊れたくない。

 その葛藤が呼吸も儘ならない程に、あまりに苦しい。



 以降、クロードは現実から逃避するように、両親との思い出を辿るようになる。

 乾いた血が少しだけついた水晶玉で、母の母国をひたすらに見つめる。

 幸せな家族を見たくなかったが、凄惨な家族も見たくはなかった。

 求めるものがなんなのかわからないまま、少年は水晶玉で次々と国を渡る。イギリス、アメリカ、スペインと覗いてみたけれど、”現実逃避”するには、クロードの国の国民とは異なる人種の人々を見たい。異なった人種が多数を占める国を眺めたい。

 ゆえに、最終的に行き着いたのは日本だった。母が行ったことのある、なにもかもが異文化の、異国らしい国。

 そして、そこでクロードは運命と邂逅する。


 ――異世界という隔たりを越えて見つけたのは、クロードよりも幾分幼い、黒髪の少女だった。



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