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大神官がクロードに水晶玉を渡した日、クロードと大神官の間に明確な亀裂が生じた。
しかし、それでも大神官は部下に任せることはせず、今もなおクロードに食事を届ける。殺意を向けられているにも拘わらず、だ。
国の内部を詳細に知らないクロードとて、本来ならば食事を届けるなんてことは、もっと端役の仕事だとわかる。
クロードにとって、大神官はいまだに理解できない人物だった。
今日も大神官はクロードに食事を届け、雑談をし、去っていった。なんら変わる事のない日常。
――そこまでは、その筈であった。
だが、今日は大神官がいなくなってからしばし後に、なにやらわらわらと複数の騎士によって卓や菓子、それに茶が動物園内に運びこまれた。もちろん、クロードのいる檻の向こうに、であるが。
雑用であろう物運びなど、本来騎士の管轄外の職務だろうが、ここは動物園。限られた者しか出入り出来ない。騎士とて、皆が皆この場の存在を知ることが許されているわけではない。つまり、茶会の場を整える騎士も、ある程度の地位にいる者なのだ。
その騎士らを顎で使うことのできる人物。それは、限られている。
香ばしい甘い匂いと、花のような茶の芳香がクロードの鼻腔に届く。
甘い菓子と茶を好む、騎士らよりも上の立場の者――想像すれば、クロードのことを”珍獣”と呼んだ高慢な少女を思い出す。
途端、クロードは眉宇を顰めた。
彼は、王家の姫だという高貴な少女の顔も、声も、態度も性格も、そのすべてが嫌いだったから。容姿は美しいが、内面は歪んだ娘。その歪みに魅力を感じる者もいるかもしれないが、歪みゆえに監禁されているクロードからすれば、嫌忌するべきものであった。
自分の心を守るように水晶玉を抱き、膝を抱える。枷のために魔法は使えないが、両親の形見が傍にあるだけで、少しの慰めとなる。
そうして、ギィ、という重苦しい音が室内に響く。扉が開く音だ。
クロードが音の方へと視線をやれば、恭しく礼をとる番人二人の姿。
ついで、開かれたそこから現れた、華美なドレスの少女 マルグリット。彼女を先頭にして、初めて見る二人の少女が足を踏み入れた。
この日も、マルグリットは赤のドレスを着ており、そのドレスは以前よりも胸元が開き、レースがあしらわれた、贅沢なつくりをしている。そんな彼女を慮るかのように、後ろを歩く少女二人はささやかながらに装飾されたドレスを身に纏う。
癖のない黒茶の髪を結い上げ、派手さはないものの洗練された緑のドレスの娘と、猫毛のふわふわとした白金の髪を半分だけ結い、髪飾りや服の装飾に花をあしらった淡黄のドレスの娘。どちらも、外見はマルグリットと同じくらいの年齢に見え、クロードよりも少し年上に見える。
見るからに貴族の令嬢だとわかる二人は、動物園に囚われた”珍獣”を、一人一人観察していく。
濁った、心を失った目をした珍獣達。その中で唯一、クロードだけがまだ生きていた。
ゆえに、二人の令嬢はクロードの檻まで来ると、クスクス意味有り気に笑う。
「地下牢の罪人どもに宛がわれる筈だったのだが、美しいゆえ、こちらで引き受けた」
令嬢らに説明するように、マルグリットは繊細な色形の手で菓子を摘み言う。
クロードはただただ、水晶玉を抱きかかえながら彼女らを睨み上げた。
けれど、クロードの視線をものともせず、檻の前で腰を屈めて少年を見つめる緑のドレスの少女は微笑む。
クロードの身体をなぞるかのごとく、檻に滑らす指の動きに、クロードは背筋が寒くなった。
――彼女らは、クロードの理解を超えている。
マルグリットも、緑のドレスの娘も、花の髪飾りをつけた娘も、皆、同じ目の色を宿してクロードを見るのだ。
――怖い。そして、気持ちが悪い。
引き攣るクロードを他所に、娘らは会話を弾ませる。
「地下牢と言いますと、罪を犯した魔術師の牢ですわね。あれに与えられる筈だったのですか……もったいない。――ああ、でも本当に、美しい」
花の髪飾りをつけた娘が、緑のドレスの娘の隣に並び、恍惚として目を細める。
夢見るようにうっとりと少年を見つめる彼女に、緑のドレスの娘も頷いた。
「いつ、計画は始まるのかしら」
その言葉に答えたのは、マルグリットだ。彼女は横目でクロードを見下ろし、紅の口唇に弧を描く。
「まだそれは子どもだからな。もう少し、成長したらだろう」
そうして、身体ごとクロードへと向け、傲岸に嗤った。
「お前が生かされた理由を、言うてなかったな。――お前は、この世界で減ってしまった魔術師を増やすための種馬として生かされたのだ。その時がきたら、励み、女を抱け。……ああ、相手は安心しろ。罪人の魔術師の予定であったが、私が引き取った。私やここにいる令嬢を含めた魔法の素養を持つ上位貴族の娘が相手だ。感謝するがよい。――その美貌を与えてくれた両親にな」
クロードは呼吸を忘れ、目を極限まで見開く。
少年は、”女を抱く”という意味をはっきり知らなかった。だが、”種馬”の意味くらいはわかる。村で生活していたのだ。村には荷馬車があったし、それゆえに馬もいたから、知る機会はいくらでもあった。
(……種、馬)
それが、クロードの生かされた理由。
両親は、殺された。この世界いわく、大罪人であったから。
クロードは生かされた。種馬にするために。
視界が暗闇に染まった気がした。その中で、目の前にいる娘三人が、汚らわしくてたまらない。
絶望の足音が聞こえる。時間の経過が、成長が――この世界に利用され、嫌悪する娘たちに宛がわれる未来へと近づくというのなら。
(――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!!)
息が詰まるほどに。死んでしまいたいほどに。狂いそうなほどに。拒絶する心が悲鳴をあげる。いっそ死んでしまいたいと、願う。
でも。
『――生きてほしいと、お前の両親は最期まで願った』
もうこの世にいない、両親に孝行できるただ一つは、クロードが生きること。両親の願いを違えることなど、できない。
クロードは泣くように顔を歪める。
サーシャの言葉が脳裏に過ぎった。
『知っても知らなくても、彼の運命は変わらないよ。……この子は、顔立ちがきれい。それがどういうことか、あんたにもわかるでしょ? それがいいか悪いかは微妙だけど』
あの言葉は、クロードの未来を知っていてのことだと。
まるでサーシャの言う通りになった。
クロードよりもよほど中央の穢れた世界を知る娘。示唆した言葉は、両親が殺されること、クロードが種馬として生かされることをわかっていたからこそ吐けたのだ。
クロードの、水晶玉を抱える手に力が篭る。ともすれば、こびりついた血が少しはがれた。
めまぐるしい感情の変化の渦中にいるクロード、他方で、マルグリットらは菓子を食べ終え、茶会を終わらせる。
彼女らの瞳に宿る色の正体――それは、情欲だ。まとわりつくねっとりとした視線、誘うような性を感じさせる微笑。このすべてを、去り際に彼女らはクロードに向けてから踵を返した。
そして、静かになった動物園で、クロードはハハッと自嘲する。
(大神官が、ぼくに生きるよう説得した理由は、種馬にするためだったのか)と。
そう考えてみた途端、妙に納得すると共に、胸が鈍く痛んだ。それはまるで、心にひびが入ったよう。
その事実に、愕然とした。気づいていなかった自分の心を、目の当たりにしたのだ。
――大神官に取り入るつもりだった。信用させてから、隙をついて逃げてやろうと、企んでいた。
けれど。今、クロードが抱いた思いは、(裏切られた)というもの。
それはつまり、クロード自身が大神官を信用しようとしていたという事実に他ならない。
あまりに自分が愚かしく感じた。
「――父さん、母さん……っ」
か細い声が、動物園に響き渡った。
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