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日中、動物園は太陽の強い光を遮るために、紗幕の天蓋が下ろされる。薄い布越しとなった自然光は柔らかな光となって、動物園を明るく照らす。
そうして、夜には気がつかなかった動物園の様子を、クロードは知った。
自分以外の鎖の音の正体は、やはりクロードの他に囚われの住人がいたことによる。
動物園の広さは、中心部に空中庭園のような、多種多様な植物の植えられた空間があるために見渡せず、全体像はわからない。しかし、目にする場所だけでも恐らく十戸ほどの小さな集落を取り囲むことができるくらいには広大だろう。
クロードがいる檻からは、他の檻の住人を見てとることができた。
一つの檻には、獣の耳と尻尾のある人間、もう一つの檻には、真白の髪と透き通るような肌、赤い瞳を持つ人間。その誰もが、首と手足に鎖のついた枷が嵌められ、表情から生気は感じられない。一体いつからここにいるのか。
見た事もない種族。そして同じ動物園の檻に囚われた自分。人として生きる権利など、とうに剥奪されたのだと悟った。
檻と枷に囚われ、魔法を封じられているのだから、逃げられるはずもないけれど、いつか――と淡い期待に夢見て、出入り口の扉へと視線をやる。
番人だろう人物は、大神官の服に似た純白の衣を着た男と、鎧を身につけ、腰に剣を差す男の二人がいた。彼らが、マルグリットの言っていた神官と騎士なのだろうと推測する。
檻の中では、寝る以外にすることもなく、寝台に座って遠くを眺めた。
考え事をしようとすると、嫌なことしか頭に浮かばない。――この世に両親がいないのでは、と考えるだけで、心身が恐怖と怒りに震える。不安定な心は、過ぎれば狂いかねない。狂ってしまっては、逃げることもできなくなる。それでは困るのだ。
祈るように手を組み、目を瞑る。
しばらくすると、番人が控える扉の開く音がした。
「おはよう、クロード」
クロードの檻の前に現れたのは、大神官。彼は大きな水瓶を持った神官を連れ、彼自身は皿の乗った盆と服を持ってクロードの檻へと足を踏み入れる。
大神官は、盆をクロードに差し出す。
怪訝な顔で初老の男を見上げた少年に、彼は言った。
「食べろ。お前の両親の願いのために」
そう言われてしまうと、抗うことも悩ましい。もし――もし、両親が生きているなら、自分が死ぬわけにはいかない。
そう思うのは、クロードがまだ両親の死を受け入れていないから。認めてはいないから。
証拠がないのだから、信じられるはずもない。
渋々匙を手にし、クロードは皿の中身を口に運んだ。これまで食を断っていたクロードの身体に優しい、穀物のミルク粥は、ほのかに甘い。
クロードが食事をしている間、神官は大神官の指示で水瓶を置いて動物園を後にした。一方、大神官は遠くを見つめて、話し始める。
マルグリットが王家九番目の姫であること、動物園にいる他の人間は異世界渡りにより偶発的にやってきて囚われた者だということ、この動物園は上位神官の研究対象が集められているということ、そして動物園の存在は国の上層部と神官しか知らず、内に入れるのは、一部の王族・大貴族・宰相・神官・騎士であること。
きっと、機密であろうことだった。
だが、考えることを放棄したクロードは、そのすべてに反応することはない。それに、大神官は苦笑を零すだけであった。
食事を終えると、大神官は水瓶と布をクロードに渡す。
「これで身体を拭いたら着替えろ。明日からは湯浴みできるよう取り計らう」
しかし、クロードは受け取りを拒否した。言われた通りにすればするほど、自身が愛玩動物のように思え、不快だった。
そんなクロードの心を知ってか知らずか、初老の男は嫌味に笑う。
「自分でやらないならば、魔法で眠らせ、隅々までこちらで洗うが」
結局丸め込まれるようにして、クロードは自らそれらを行った。
*** *** ***
そうして数日経てば、クロードの体力も幾分回復した。
同時に、思考力も戻ってくる。ゆえに、良くも悪くも色々なことを考え始めるようになった。
逃げたいと、思う。両親を探さなければと、思う。
取り戻したいのは、かつての生活。もう、村に戻れなくてもいい。両親と暮らせるならば、再び放浪生活に戻ったとしても、かまわない。だから――会いたくてたまらない。
クロードは鮮明になってきた頭と心であっても、泣くことはしなかった。それは、両親は生きており、いつか必ず、元の生活に戻れると信じていたからだ。
いくら大神官やサーシャから、両親は死んだと告げられても、クロードにとって信頼するに値しない人物から言われた言葉を信じることもできないし、彼らは証拠を持ってきてすらいない。
ならば、まだ取り戻せると信じればいい。そうすることはクロードの勝手なのだから。
そのためには、まずクロードがこの鳥かごのような動物園から脱出せねばならない。
クロードは思案した。
不思議なもので、大神官という初老の男は、毎日朝昼晩とクロードにご飯を届けにくる。そのような仕事など、権力を有する彼ではなく、動物園に出入りを許されている最も下っ端に任せればよいこと。
しかし男は、食事を届け、それを口にするクロードに対して、寒気のするほどに温かい眼差しを向けてくるのだ。
最初は、少年愛好家かもしれないと、考えたこともある。村では見かけなかったが、街では裕福な商人や貴族でそういった趣向の者がいた。クロードも目をつけられそうになったという、今でも怖気立つ出来事もあった。
でも――大神官の瞳は、それらの趣向を持った者と過ぎる感情のような色が違う、とも思う。それこそ、マルグリットの瞳には、侮蔑だけではない、なんらかの色が過ぎる。他方で、大神官の瞳には……クロードが認めたくはない、どこか慈しむような優しさが秘められているように見えるのだ。それはもしかしたら、大神官の補佐だったという父の影響だろうか。
――いや、とクロードは首を振った。
(そんなわけない。もしあいつがそう思っているなら)
――こんな檻に、研究対象としてクロードを監禁するわけがない。
クロードには、大神官が理解できなかった。両親とも自分とも思考が違う。だから、わからない。
それでも、もし――もし、大神官がなんらかの愛情をクロードに抱いていたとするならば。
いつか、取り入って信用させ、隙をついて逃げられるのではないだろうか。
それは安っぽい案かもしれないけれど、今のクロードが思いつき、行動できるとするならばこれくらいだった。そしてそれが、唯一の希望になった。
けれど。
そんなクロードの甘い希望を打ち砕く出来事が起こる。
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