4の(1)-2
.
そうして、どれくらい経った頃だろうか。
コツ、コツ、という、硬い床を歩く靴音が耳に届く。遠くで、会話のやりとりも交わされているのか、声が数人分聞こえた。
それから、カチャリという開錠されるような音がして、クロードは顔を上げる。
数歩分の靴音の後、大きな人影が真横に立っていた。
絹糸で細かな刺繍がなされた、純白の長衣を纏う初老の男。クロードの記憶から、彼の情報が引き出される。
(――父さんと母さんを捕らえて、どこかへ連れて行った男)
クロードの目は、驚きに見開かれ、直後に滲む憎しみで歪む。
「なんの、用だ」
体調が思わしくないために、声が掠れた。それでも、忌々しいと物語る声が発せられる。
初老の男こと大神官は、クロードの傍で膝を折った。ともすれば、クロードの視線と彼の視線はおおよそ同じ高さである。
大神官は静かに手を持ち上げると、クロードの首に嵌められた枷を撫でた。
そして不可解にも、憐憫の色を宿した目を細める。
「……せめて、食事だけは摂れ」
――クロードにとって、この男は両親の仇に他ならない。
今、両親がどうしているかわからないが、一家三人を離散させたのはこの男だ。
ゆえに、憎悪と嫌悪に、クロードは首にある大神官の手を払う。汚らわしい手で触るな、といわんばかりに。
けれど、大神官はクロードの反発に怒りも悲しみも見せはしなかった。ただただ、真摯な瞳でクロードを見据える。
「――生きてほしいと、お前の両親は最期まで願った」
「……さい、ご?」
意味が、わからない。頭が、心が、大神官の言葉の意味を理解することを拒む。理解してはいけないと、壊れそうな心が叫ぶ。
だが、無情にも、瞠目したクロードに大神官は告げた。
「お前とは別に、お前の両親は馬車に乗せられ――そのまま処刑場で処刑された」
刹那、クロードの目は極限まで見開かれる。
頭の中が真っ白になって、言葉が出てこない。喉が詰まって、呼吸すらも儘ならない。
(処刑、された?)
脳裏に過ぎる、サーシャの言葉。
『――さぁ、問題。あんただけ両親と別に護送される理由、わかる?』
『……そう、そうね。知らない方が幸せよ』
――最後の両親との別れの言葉。
『君を愛しているよ、クロード。幸せをありがとう』
『あなたを産めて、私はとても幸せよ。ありがとう、クロード』
まるで。まるで、今生の別れの言葉のよう。
思い至れば、不安が胸に忍び寄る。もしかしたら――もしかしたら、両親と二度と会えないのではないか。どころか、両親はこの世にいないのではないか。
(ま……さか。そんなわけ――)
ない、とどうして言いきれるだろう。
あの時、馬車の中でサーシャは言外に匂わせていたではないか。両親も、生涯の別れを覚悟したかのような言葉を口にしたではないか。
(嫌だ。認めたくない。認められないっ)
拒絶の気持ちを示すように、クロードは火事場の馬鹿力で、俊敏に大神官の胸倉を掴んだ。
「そんなわけないっ!! 父さんも母さんも、生きているに決まってる!」
必死に大神官を睨みつける。敵愾心も顕わにさらけ出した。
「大神官様っ」と、遠くから複数の足音が駆け足で近づく。その複数人で、魔法の使えないクロードを取り押さえることは容易であるのに、大神官は首を横に振った。
「大事無い。下がれ」
「そんなわけない」と繰り返すクロードの相貌を見つめかえし、大神官は睫毛を伏せた。
「生きてほしいという両親の願いを、叶えてやれ」
その言葉は、クロードにとって後々まで重く圧し掛かかることになる。
.




