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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
彼女の知らないエピローグ
29/53

4の(1)-1

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 光の射さない深海に沈むように、深い深い眠りの中にいた。

 夢は見ない。それほどに深く。

 けれどもしかしたら、夢を見ればもうしばしだけの幸せに浸れたのかもしれない。そう思えば、再び眠りの海に沈みたくなったが、身体は目覚めを所望しているようだ。

 意識が浮上したクロードは、淡い光を瞼越しに感じ、ゆっくりと目を開ける。

 最初に視界が捉えたのは、大きな満月だった。落ちてきそうなほどに巨大なそれは、眩く輝く。

 月は、硝子に遮られた向こう側にあった。透明な、まるで大きな鳥かごのような格子にはめ込まれた硝子が壁と天井を構成し、半球の空間を造り出す。

 ――水晶宮。

 クロードは、かつて母が水晶玉で見せてくれた彼女の母国を思い出した。



 母国を映す水晶玉を懐かしそうに眺めながら、母は語った。

 母が生まれるよりずっと昔に催された、”第一回万国博覧会”。そこには、水晶宮という硝子で作られた幻想的な建築物があったという。母によれば、その建築物は燃えてしまったため、母は実物を目にしたことがないそうだ。ゆえに水晶玉で母の母国の水晶宮を見ることはできなかったけれど、代わりのものを見せてくれた。

 母の記憶を頼りに、クロードは水晶玉に魔法をかける。そうして映し出されたのは、硝子づくりで円蓋の天井をした水晶宮。「イギリスの水晶宮はないけれど、それを参考にして建てられた水晶宮なら、スペインという国にあるの」と、楽しそうに母は水晶玉を見つめながら補足した。



 母の世界に現存する、スペインの水晶宮。

 それと同じように、ここは円蓋の鳥かごのような天井だった。

 ここはどこだろう、と思う。目を開けてすぐに天井が見えたということは、自分が今、寝そべっているのだろうとわかるが、理解したのはそれだけだ。

 状況をもっと把握したくて身体を起こそうとするものの、妙にだるい。従って、顔だけを横に向けることにした。

 拍子に、ジャラリ、と嫌な金属音が室内に響く。

 眉を顰めて、重たい手で首に触れる。しかしその動作にも、金属音は伴った。

(……枷?)

 指先が触れた金属は、枷らしい。鎖でどこかと繋がれたそれは、手首と首につけられている。

 思えば、連行される馬車の中でも、枷はつけられていた。それよりも、今嵌められた枷の方が重量は少しばかり軽いが。

 横たわった状態の彼は、身を捩ってなんとか上体を起こすと、そこでようやく自分が寝かされているのが寝台だと気づいた。身体を支える両手が触れる、ふかふかとした柔らかな敷布団、絹なのか、肌触りの良い掛け布団。クロードがこれまで体験したことのないほどに上質な寝台だ。

 あたりを見回す。ジャラリという鎖の音に顔を顰めながら、視界からの情報を取り込む。

 部屋は、月光しか明かりがないため、遠くまで見渡すことはできない。それでも、クロードの知る家とは比べ物にならないほどに広い空間だということは、音の反響具合でわかる。

 自分以外の鎖の音。もしかしたら、クロード以外にも捕らわれた者がいるのかもしれない。

 月明かりに浮かぶ白い石の床、硝子製の鳥かごの空間、さらにクロードを捕獲したかのような格子の隔たりがあった。これは、クロードのためだけの檻、だろうか。

 まさに、自分こそが鳥かごの鳥であるという扱いに、唇を噛む。

(ここは、どこだ……。なんでぼくは――)

 働かない頭でなんとか考えようとした時。


「――起きたか? 珍獣」

 少女と女性の間の、まだ若い娘の声は笑声含む。

 月光明かりだけでは、夜目が利くようになるまでその存在に気づけなかった。

 クロードはようやっと檻の向こう側にいる人物を認め、目を眇める。

 視線の先にいたのは、金糸のような艶やかな髪を結い上げた、真紅のドレスを纏う少女。程よい大きさの目は端が少し上がっており、すらりと通った鼻筋、淡紅の小さな唇を持つ。

 華やかな顔立ちの彼女は、円卓で優雅に茶を啜る。歳の頃はクロードより少し上くらいだろうか。

 娘は言葉をついだ。

「ようこそ、”動物園”へ。今後、お前にはそこで生活してもらう」

 口調と発言だけでわかる、支配者のげん

(……意味が、わからない)

 眉根をさらに寄せ、クロードは困惑と苛立ちが胸の内に渦巻くのを感じた。

 寝台から降りようとしたものの、筋力の弱まった足で身体を支えることは無理なようだ。

 ひんやりとした床についた足。足首にも嵌められた枷と、どこかに繋がる鎖。その重さも加わって、震えた直後に再び寝台に沈むという失態に終わる。

 そんなクロードを、娘は声高に嗤う。

「まるで、生まれたての小鹿のようだな。まぁ、一週間も断食すれば体力も落ちようて。……貧相な身体だ。せいぜい与えられる餌をよう食べ、肥えろ。……兄上ほど丸々と肥えられては萎えるがの」

 そして、彼女は「そうだ」となにかに閃いた。

「珍獣、今後、わたくしのことは”マルグリット様”と呼べ」

 それだけを言い、娘は椅子から腰を上げる。

 ついで見下すように小首を傾げ、クロードへと、猫のような目を向けた。鼠を威嚇するように。

「逃げられると思うな。この場を監視する兵には、神官も騎士もいる。――せいぜい、役目を果たすことだ」

 そうして、彼女は暗闇へと消えていった。




(……”動物園”)

 クロードは娘の言葉を頭の中で反芻させる。

 意味がわからなかった。自分は彼女から見て、”動物”だということだろうか。この空間は”動物園”だというのか。

 人として、扱われてすらいない。

(……なんだ、これ。どうしてこんなことに――)

 愕然とするクロードは、靄の向こうにある記憶を手繰り寄せる。

 あまりに体力のなくなった、自身の魔力を感じられなくなった身体。考える事も億劫になっている。

(ああ、そうか)

 思い出したのは、残酷な現実。

 クロード一家は、村で大神官らに捕らわれた。そこで、両親と離れ離れになったのだ。抗議と反抗のつもりで、一週間食を断ったが、水分だけは水の入った桶に無理矢理頭を突っ込まれることで、摂取することになった。

 そうして体力を徐々に失って、気づけば考えることも面倒になり、眠るばかりとなっていた。

 不意に、脳裏に蘇るサーシャの言葉。

 母を失い、生まれながらにして罪の子として扱われた彼女。暗殺や偵察のためだけに、国に生かされ、利用される存在。

 そんな彼女が言ったことは――まるでクロードの方が憐れで、可哀相な子だと。そして、両親とクロードが別々に護送された理由を、知らない方が幸せだと。

 クロードは思う。

(……父さんと、母さんは、どうしているんだろう)

 いまだぼんやりとした頭。考えることを拒絶するように、答えが導き出せない。予想すらもできない。

 それでも現状打破しようと、魔法を使おうと試みる。しかし。

(っ! 魔法が、使えない)

 この硝子の鳥かごのせいなのか。それとも檻のせいなのか。はたまた枷のせいなのか。

 邪魔な鎖を引っ張って、魔法で壊したくともできないもどかしさに、奥歯を噛み締める。

 悔しくて俯けば、自分が絹で出来た服を着ていることを知った。

(まるで、愛玩動物だ)

 自分が滑稽に思えてならない。その自分すらも、他人事のように思う。

(父さん、母さん……)

 近い昔がとてつもなく懐かしく、愛おしい。胸が苦しいほどに切ない。苦しくて。蹲るように膝を抱えた。



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