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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
ある脇役の選択
20/53

エピローグ(1)

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 季節は瞬く間に過ぎ、春が間近と迫る冬になった。

 とはいえ、春が近いというのは暦の上のみで、実際はまだ凍えるような寒さが続いている。

 ロシェットは制服の上から厚手のストールを羽織り、ホットココアを啜っていた。朝食後のココアはなによりの息抜きだ。冬限定だけれども。

 リビングは暖房が効いているものの、春の終わりや夏ほど室温を暖かくしていない。コートを脱いだ姿で、少し寒いくらい。それくらいが汗を無駄にかかない温度だ。

 ソファの上で体育座りをする。ひざ掛けがあるから、スカート着用でも問題ない。

 そうして眺めるのは、スーツを着たユキの姿。

 今日の彼女は、艶やかな黒髪を半分バレッタで纏め、いつもより丁寧に化粧を施していた。ピンクベージュのスーツとリボンで結ぶタイプのブラウスは、柔らかいイメージの彼女によく似合っている。

 視線を移し、今度はクロードを見やる。

 彼は彼で、スーツに身を包んでいた。

 クロードは、冬に入ってから三度ほど国から派遣されて、臨時講師として国立学院高等部に来ている。午後の実技や研修、演習といった授業の際、実際の現場はどのようなもので、どのような技術が必要となるのかを説明する役目を担っているからだ。そして、その時に限りスーツを着用する。

 しかし、今日は終業式だ。臨時講師の役目はない。

 ではなぜ、朝からスーツ姿なのか。――それは。

 クロードに歩み寄ったユキが、彼の少し曲がったネクタイを整える。

「ありがとう、ユキ」

 甘く、クロードは笑った。「どういたしまして」と少しの照れを見せただけのユキは、多少甘さに耐性があるらしい。

 ロシェットは、自身が糖尿病になるのではないか、と思い、サッと視線を逸らした。

 ――仲睦まじい二人。

 二人の関係の変化は、秋の終わりからだった。

 ロシェットの心の中に、小さな蟠りが横たわる。

 ――ユキは、秋の終わりから変わった。

 学校内で見かける彼女は、今まで迷い、悩んでいたなにかを排斥したかのごとく、瞳に揺らぎがなくなった。それがいいことなのか、悪いことなのかロシェットにはわからない。

 けれど、生徒にとっては戸惑うことだったに違いない。

 ユキは、生徒に対し、冷たくなった。冷笑はしないが、プライベートと仕事を完全に分け、学校に関わるすべてを仕事だと割り切っているように見えた。それはつまり、プライベートへの干渉を一切許さなくなったということ。学校では、心に頑なに鍵をかけたのだ。

 そして、もう一面も見せる。

 それは、一個人の、家族としてのユキ。以前よりも明るくなり、喜怒哀楽を見せるようになった。この変化は、ロシェットにとって望ましいこと。

 さらに、彼女はクロードにだけ甘えるようにもなった。別に、いつも腕を組んだり抱きついたり、ということではない。主体性を見せるようになったのだ。

 今までのユキは、意見の対立を常に避けていた。考えが異なった場合は、相手の言葉を肯定し、自身が折れるばかりだった。だが、今は、少しだけ粘るようになった。たまに、ジャンケンを強請ることもある。

 時々のおこぼれが、ロシェットは嬉しかった。「一緒にお買い物に行かない?」と誘ってきたり、「こっちも食べたい……から、半分こしよ?」と言ってきたり。これまでは、なかったこと。その後は応じたロシェットに、必ず嬉しそうに相好を崩すユキの表情。そんな顔が、ロシェットはとても好きだった。

 でも、蟠りが疼く。

 ――すべては、クロードの掌中にあったのではないか、と。

 ――でも。でも……。

 微笑み合うクロードとユキを見つめる。

(幸せそうだから、いっか)

 そうして、頬を緩めた。

 ――今日は、ユキとクロードが、学校に結婚報告に行く日なのだから。




***   ***   ***




 終業式は、ドーム型の会館で催された。

 大きな行事は大抵ここで行われる。中のつくりは、前方に舞台があり、後方に備え付けられた椅子が並ぶ。生徒数が三学科三学年分、それに教師の分とあって、規模はそれほど大きなものではない。ユキが日本にいた頃の、市民会館程度の広さだ。

 終業式と共に、退任式も行われる。式が終わった後は、会場で生徒達は解散となり春休みに入るから、各々はいまかいまかと式が終わるのを待っていることだろう。


 しん、と静まり返った会場。

 既に終業式は終わり、現在は退任式が進行される。

 その壇上には、今年度で国立学院高等部を退任する教師の椅子が用意され、該当する教師達は挨拶のために控えていた。

 人数は五人。内一人は、ユキだった。隣には、ヴァルトやベルもいる。

 彼や彼女から事前に報告を受けていたため、ユキに驚きはなかった。

 しかし、今後どうするかは心配で問うたところ、ヴァルトは国立小学校へ、ベルは魔術省の事務員として進路が決まっているという。

 国立学院高等部の教師は国家公務員であるため、所属は本人が希望を出すことができるのだ。かつて、皆この学校への赴任を希望したが、結局夢は敗れてしまった。

 しめやかな雰囲気の中、自身らの希望で赴任先が変わる者、退職する者は顔が晴れ晴れとしている。

 それに、ユキは苦笑してしまった。


 やがて、自分の番がまわってくる。

 思い起こせば、二年前、全校の前で一度だけ挨拶したことがあった。


『みなさんの力になれるよう、がんばります。よろしくお願いします』


 そう言ったのは、今や昔。

 ゆっくりと立ち上がる。舞台の中央にある演台まで、一歩一歩確実に距離を縮めた。そして、位置を確かめ演台に立ち、背筋を伸ばした。顎をひき、前を見据える。

 浮かべたのは、微笑み。

「普通科一年を一年間受け持ちました、スノー・ブルックといいます。この度、結婚退職をすることになりました」

 瞬間、ユキの受け持つクラスら辺で、ざわめきが起こる。

 上司やベル・ヴァルト・ダントンには話したが、生徒には結婚することを話していなかった。退職することすら。

 ――今まで、生徒たちはユキに興味を抱いていなかったように見えたのに。

 ざわめきが起こったことに、困ったように笑った。

 たくさんの思い過ごしとすれ違いがあったのかもしれない。だが、ユキも生徒も、どちらも歩み寄ることをしなかった。そこに、修復不可能な溝が生まれたのだ。

「普通科一年のみんなには、今、この場で、退職と結婚の報告をすることになったことを、深くお詫びします」

 走馬灯のように、教師生活を送った二年間を思い起こす。懐かしさに、目を細めて。

 楽しいことは少しだけ、辛いことは自分の心に収まらないくらいたくさんあった。でも、きっといつか、優しい思い出になるのだろうと思う。自分に余裕ができた、その時ならば。

「私は、みんなにとって決していい先生ではありませんでした。私は、あなた達にどこまで踏み込んでいいのかわからなかった。結果――関わることをしなかった」

 ユキは自嘲する。

「私は、求めるばかりでした。――ある生徒が、言いました。『先生は生徒のためといいながら、すべては自分のためだ』と。私は……図星をつかれました。本当に、自分のことばかりだった。生徒を受け入れなければいけなかったのに、私はそれをしなかった。――ごめんなさい」

 そう言って、頭を下げる。

 ユキの受け持ったクラスから、波紋のようにざわめきが広まる。

 懺悔室ではないのに、こんなことばかり言っているからだと察しながら、ユキは続けた。儚く笑みながら。

「そのことを自覚させてくれた生徒に、心から感謝しています。私は、ずっと見て見ぬふりをしてきたから、言葉にされなければいつまでもそうして目を逸らしていたでしょう。――でも、みなさん、どうか、これだけは知っていてください。教師は、大人です。生徒を導く立場にあります。ですが――決して、傷つかないわけではない。なにを言われても耐えられるわけではない。どうか……どうか、教師も同じ一人の人間だと、忘れないでください」

 その言葉を、生徒はどう受け取るだろうか。教師の傲慢だと、憤るだろうか。それとも、少しだけでも、考えてくれるだろうか。

 ――そうだといい。

 教師を辞めるユキには、もう祈ることしかできない。だから、心の中で願った。

 そうして、最後の、全校生徒への挨拶を終えた。



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