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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
ある脇役の選択
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 ロシェットは窓越しに、暗闇を照らす星明かりを見上げた。

 月はない。新月の夜だった。

 正面を見れば、日中庭が見えるのに、今は硝子に反射した自分の顔がそこにある。

 眉宇を顰め、口をひき結ぶ自分の表情。惑い、躊躇う様がありありとわかった。

 リビングにいるため、ソファに隣あわせて座るクロードとユキの様子も、反射した硝子から観察することができる。

 ちらりと窺い見る。

 二人向かいあい、会話をしていた。微笑むクロードに、ユキは弱った笑みを浮かべる。

 そうして、クロードはユキの後頭部に手をやり、ゆっくりと抱き寄せた。

 目を丸くするユキ。慌てる声がロシェットにも届く。

 それでも、クロードは彼女を解放せず、耳元で囁いた。

「ユキは、何も持っていなくても、いてくれるだけで――僕は十分なんだ」

 その言葉に、頬を染め、くしゃりと相好を崩したユキ。

 ロシェットから見て、それまで頭を撫で、慰めるだけだったクロードは、以前よりもユキに触れるようになった。

 それは、ユキがクロードに依存し、クロードは恋人と接するように甘い対応になったように感じる。

 そんな二人に、近頃ずっと胸の内にある違和感を掴みかけた気がした。


 夕飯の支度のため、台所へ向かったユキの後姿を見送り、ロシェットはクロードへと歩み寄る。

 ――ロシェットは、ユキに『がんばれ』を送ってきた。

 それは、ユキが頑張るために必要な言葉だったから。

 しかし、こうも考える事ができる。

 ――ユキに、限界を超えてなお頑張らせる必要はあったのだろうか。

 誰かが、「もういいよ」と言ってもよかったのではないか。

 けれど、ロシェットは言えなかった。

 それを悟ったのは、つい最近のこと。でも、それ以外にも理由があったのだ。

 ロシェットは、ユキが教師を目指し始めた理由が自分にあると知っている。嬉しそうに、高等部時代のユキが、進学を決めた時に話していたから。

 きっかけとなったユキの背中を、ロシェットはその時押した。他の家族も皆。

『ユキちゃんならできるよ。わかりやすくて、とっても素敵なわたしの先生だもん』

 そう言ったことを、憶えている。

 ロシェットは、ユキにとって初めての生徒だった。ロシェットの言葉に、自信を持った面もきっとあった。

 あの時。もし、ロシェットが本意ではない――「ユキちゃんには無理。教えるの下手だもん」といった否定の――言葉を告げていたなら、恐らく彼女は教師の道を歩まなかったかもしれない。

 一因は、少なからず自分にもある。

 そんな思いがあるロシェットにとって、ユキが教師であることを否定するには、覚悟が必要だった。

 ――ユキの自信ときっかけであるロシェットが、「もういいよ」と言ったならば。ユキは絶望するのではないか、と。

 背中を押したのに、あまりに無責任すぎる。

 でも、今のユキを見過ごすこともできない。

 だからこそ――ロシェットは、葛藤しながら密かに期待していた。

 それこそ血の繋がりはなくとも、家族であり妹のような立場であるユキとロシェットだが、なぜかユキにのみ圧倒的な愛情を向けるクロードが、「もういいよ」を言ってくれるのではないかと。

 他人任せの自分に、嫌気が差す。

 それでも。

 ――ああ、と思う。今更。本当に今更ながら、ロシェットは気づく。

 ユキが進路を決めた時、家族に話したその時の会話。

 父は「ユキならいい教師になれるな」と、母は「ロシェットちゃんも成績上がったしね。もちろん応援するわ」と。そしてクロードは――「ユキが決めた道なら、応援するよ」と。

 その時は、気づかなかった。

 けれど、今ならわかる。

(父さんと母さん、それにわたしは、教師を目指すユキちゃんの背中を押した。でも、兄さんは……)

 クロードの言葉は、教師を目指すことに対して背中を押したわけではない。ユキが決めたことに対しての言葉だ。

 父母やロシェットが「もういいよ」と告げるには、人選が誤りとなるかもしれない。前言を撤回することになるのだから。

 ともすれば、この時から、クロードだけがユキに「もういいよ」をいうことができる権利を持っていたのだ。

 ぶるりと、ロシェットは身震いした。

 果たして、クロードは未来のことまで読んでいたのか。それともただの偶然か。


「……兄さん」

 目の前の兄を呼ぶ。

 ソファで寛いでいた彼は、穏やかな微笑で首を回らした。

「どうした? ロシェット」

 表情通りの、落ち着いた声音。それすらも、今では恐怖を覚えるのは何故だろう。

「あの、ね。わたし、ユキちゃんにいっつも『がんばれ』って、言ってきたの」

 兄は、「そうだね」と頷く。見つめてくる灰色の瞳は、ロシェットの真意に気づいていそうだが、言葉の先を促していた。

「ユキちゃんが先生になったのは、わたしが家庭教師をしてもらったことがきっかけだったから……わたしは絶対ユキちゃんを応援しようって、思ったの」

「ああ」

 どんなに見つめても、心が読めない灰色の瞳。

 ロシェットは覚悟を決めるように、拳に力を込めた。

「でも……でも、もうユキちゃん、限界を超えてるって、ダントン先生が言ってたの。わたしも、そうなんじゃないかって……」

 クロードはなにも答えなかった。頷きも、首を横に振る事さえしない。ただただ、困惑や戸惑い、動揺を織り交ぜながら話すロシェットを見つめる。

「……ユキちゃんが、教師を目指すって決めた時。兄さんも応援するって言ってたから。だから、兄さんもユキちゃんの様子に気づきながら、ユキちゃんが求める『がんばれ』しか言えないと思ってた」

 ロシェットは小さく深呼吸した。そうして、兄の瞳を怯むことなく見据える。

「――兄さんも、わたしと同じなの?」

 肯定も否定も覚悟していた。でも、心の片隅で、肯定の言葉を期待していた。

 しかし、クロードは――ただ、凄絶に笑んだ。目を瞠るほどの魅力的なそれで。

 瞬間、先ほど耳にしたクロードの言葉が、脳裏に蘇った。


『ユキは、何も持っていなくても、いてくれるだけで――僕は・・十分なんだ』



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