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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
ある脇役の選択
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 朝は、寒さが厳しい。

 厚手のストールを羽織っているが、その下はブラウスだから、少し身震いする。冬が随分迫ってきたのだと、肌で感じた。

 今日の時間割を確認したユキは、一時間目が地理ということで社会科資料室に向かった。国の位置関係を地図で把握しながら、隣国との関係を勉強した方が理解しやすいと判断したためだ。 

 社会科資料室は、シンと静まり返っている。

 中に足を踏み入れると、思った以上に薄暗かった。

 少し不気味だけれど、雑然と置かれた資料は、古代の土人形のレプリカから昔使われていた、錆びかけの農工具まで様々揃っているため、博物館のようで見て回るのは楽しい。

 ユキはもの珍しさに心を弾ませつつ、辺りを見回して地図を探した。そして、それはすぐに見つかる。

 ユキの上半身ほどの大きさをしたそれは、素材が紙であるため、丸められた状態で壁に立てかけられていた。

 重さはさほどない。

 地図を抱え、まだ時間は余っているからとゆっくり過ごそうかと思う。国立学院というだけあり、多種多様に資料の並ぶそこは、貴重なものもある。ゆっくり一つ一つ資料を観察してみたかったのだ。

 だが。

 くしゅん、とくしゃみする。

 結局、部屋の中が埃っぽく、鼻がぐずついてきたことで早々の退室を決めた。

 そうして、資料室を後にした。




 資料室を出てすぐ、視界にとびこむのは、裏庭である。

 そこは、生徒達が告白で意中の人を呼び出す、定番の場所。普段は休み時間や授業後に使用されるため、朝、人がいることは少ない。

 赤く染まった木の葉がはらりと落ちる。地面は落ち葉によって、まだらに色づいていた。

 なんとなく、裏庭に視線を向けていたユキは、人影を見つける。

(珍しい。今日は朝から人がいるんだ)


 二人の女子生徒と、一人の男子生徒。女子生徒は普通科、男子生徒は騎士科に在籍しているようだ。一目でわかったのは学科によって制服が異なるから。

 騎士科は、深い紅のネクタイと黒いブレザー、普通科は紺色のネクタイやリボンと、灰色のジャケット、スカート・ズボンは青のチェックだ。

 男子生徒は飄々とした風だが、一人の女子生徒は俯いて両手で顔を覆っており、もう一人の女子生徒が慰めながらも男子生徒に牙を剥いている。

 なにがあったのかはわからないけれど、生徒にも人間関係によるいざこざもあるだろう。

 なんとはなしに観察していたユキだったが、進行方向へと視線を戻そうとする――その直前。怒っている女子生徒の顔が見えた。

 ユキは我が目を疑いたくなる。

 女子生徒の一人は、ふわふわとした淡い金の猫毛を持つ少女 リリィだったのだ。

 また、なにかに巻き込まれたか、首を突っ込んだらしい。

 驚くユキだったが―― 一瞬。余裕を見せる男子生徒の視線が、こちらを向いた。

 目が、あった気がした。

 嘲笑するように、目が弧を描いたかと思えば、彼の眼差しはすぐに目の前の女子生徒二人へとそそがれる。

 途端、脳裏に過ぎったのは、先日の出来事。ユングの言葉。


『いつもあんた達大人は”子どものため”って言うけどさ、本当は自分のためだろ?』


 咎められたようにビクリと肩が震える。

 気がつけば、心が拒むように視線をそこから逸らしていた。

 逃げ出したい気持ちと、自分に対し失望する気持ちに揺れる。

 日本にいた頃に観た、再放送のドラマ。熱血教師が、生徒と深く関わり、彼らの傷を癒していくお話。一線を飛び越え、彼らの家庭に首を突っ込み、生徒を我が子のように守り抜く物語。

 ユキには、到底できそうもない。生徒との距離を測れず、どこまで踏み入っていいのかもわからない。結果、踏み込むこともせず、教えるという義務のみを全うしている。

 自分の生活が大切で、家族との時間が必要で、自分の心を守りたくて。それなのに、生徒達から信頼されるリリィを羨み、いつか受け入れあえたらいいと、願う。

 求めるばかり。それではいけないと、理解しているのに。一線を越えられることすら、恐怖しているのに。

 自嘲しながら、職員室へ向けて歩き出す。

 いっそ割り切ってしまえれば、いいのかもしれないけれど。それすら決意できない。

 伏せていた睫毛を上げ、顔を上げた。なにもなかった風を装うために。

 そして、気づく。

 前方に、一人の男子生徒が立っていた。

 いつからいたのだろうか。リリィ達をユキが見ていたと、気づいただろうか。

 そんなことをぼんやり考えていた。

 しかし――ユキは、歩む足を突如止め、瞠目する。

 ――既視感。


 男子生徒は、制服からして普通科の生徒。

 どこかで、逢ったことがあるような気がする。

 でも、そんな気がするだけで、ユキは彼を知らない。

 どうしてそう感じたのかわからないが、普通科一年の生徒の顔は把握しているから、二年か三年の生徒だろう。

「初めまして、ブルック先生」

 にこりと笑った生徒の瞳は、ユキと同じ黒。黄色人種の持つ、焦げ茶色。

 肌の色も、髪の色も、ユキと同じ。顔立ちは、目鼻立ちの整った、けれど西洋人と比べて凹凸の少ないもの。

 日本人でなくとも、東アジア出身なのかもしれない。――そう思わせるほどだった。

「……初め、まして」

 動揺を静めようと、そっと深呼吸する。

 二人の距離を縮めたのは、生徒の方だった。およそ一メートルの距離まで迫った彼は、動きを止める。

「ブルック先生も、日本人、ですよね?」

 ”日本人”という言葉自体、ユキは十年以上昔に聞いたきりだ。驚きながら、気になったことを問い返す。

「……ええ、そうです。”も”と言ったということは、あなたも日本人?」

「はい」

 彼は頷いた。拍子に、さらりとした黒い髪が揺れる。

「こちらでの名前は、ジャスパー・ファーガスと言います」

(ファーガス)

 ユキは心の中で復唱した。ファーガスということは、養子縁組したのだろうか。

 独り納得するユキに、ジャスパーは言葉をつぐ。

「本名が”みどり”なので、”ジャスパー”です。先生は――オガワ ユキですよね?」

 ”オガワ ユキ”という名は、学校で使っていない。確かにスノー・ブルックは、小川 雪を英語にしただけのもの。しかし、簡単に当てられるとは思っていなかった。養子縁組によって、ブルック姓になっていることも考えられるのだ。

 正直、ジャスパーには驚かされてばかりだ。

 言葉を失っているうちに、ジャスパーはくるりと衣を翻した。

「あ、ジャスパーくんっ」

 呼び止めて、どうするというのか。自分でもわからないまま、引きとめようと手を伸ばしていた。

 しかし、ジャスパーは上半身だけで振り返り、言葉を残して去っていく。

「先生、また昼休みにお会いしましょう」

 その言葉に、ユキは伸ばした手を下ろし、ただ呆然と彼の後ろ姿を見送った。




***   ***   ***




 ジャスパー・ファーガス。

 普通科二年の生徒で、成績は優秀、素行に問題なし。

 ユキと同じく十二歳の時に異世界へやってきた彼は、旧貴族のファーガス家に引き取られたらしい。

 ちなみにこの情報は、さりげなく二年・三年の普通科担任教師に教えてもらった。

 突然一生徒のことを尋ねたので、教師達は不思議に思ったようだ。が、「故郷が同じらしくて」と言えば、納得してくれた。




 午前の授業を終えたユキは、弁当を持ったまま立ち往生する。

 ジャスパーは「また昼休みにお会いしましょう」と言っていた。しかし、待ち合わせなどしていないのだ。どこへ行けばいいのか、ユキにはわからない。そも、なんの用があるのか。

 しばし考えたものの、結局答えは見つからなかった。

(まぁ、いっか)

 クラスもわかっているのだし、用があればあちらから来るだろう。

 自己解決したユキは、そうして、いつものように保健室へと向かうことにした。


 廊下を歩いていると、手を振る存在がいた。

 ――朝、ジャスパーと出逢った、社会科資料室の付近で彼はユキを待っていたようだ。

 壁に凭れ掛かっていた彼は、ユキの足音に姿勢を正す。

 ジャスパーは顔をこちらに向けると、口尻を上げた。

「こんにちは、先生」

 ユキも「こんにちは」と返しながら、目を瞬く。

 やはり、彼はなにか用があるらしい。

「どうしたの?」

 小首を傾げれば、彼は嬉しそうに目を細めた。その意味も、理由も、ユキにはさっぱりわからない。

「……ジャスパーくん?」

 彼の手元へと視線を落とす。どうやら、彼は昼ご飯を手にしていないから、共に昼食をとるつもりはないらしい。では、短い時間での会話を望んでいるということだろうか。

 ユキの不思議そうな表情を察したのか、ジャスパーは口を開いた。

「……ずっと、お逢いしたいと思っていました」

 そういいながら、彼の表情は笑みながらもどこか悲しいもの。

「俺は、五年前に日本からこの世界へ来ました」

 それは、ユキも調べて知っている事実。彼は、なにを言わんとしているのか。話を遮ることなく、ユキはじっと続きを待った。

「……この世界へ来た時、まるで物語のような世界で驚いたのを憶えています」

 地球には存在しない、魔法の蔓延る世界。ジャスパー同様ユキも驚いたことを思い出し、小さく笑う。

「そうね、私もびっくりしたわ」

 ジャスパーは笑みを深めながら、「でしょう?」と首を傾けた。

 そして。

 それまでの表情を一変させ、真摯な瞳でユキを真っ直ぐに見つめる。

 戸惑いに、ユキも倣って表情を改めた。

「……この学院に入学してからも、驚きの連続でした」

「……え?」

 首を捻るユキに、ジャスパーは答える。

「人間関係までも、物語の中にいるようだったんです。この世界が現実であると、理解しています。でも、この世界は物語の中でだけあるようなことが、存在する」

 ユキは彼の視点に、目を丸くする。彼は、この世界にいながら、この世界を客観視しようとしている。そんな気がした。

 ジャスパーはさらに言葉を連ねる。

「この世界は、日本以上に、”事実は小説より奇なり”という場所に感じます。アニメやゲーム、マンガやライトノベルみたいといえばいいのか……。俺達の予想できないことが起こり得る世界です。説明は難しいですが、危機感を抱いて、悪いことはありません。――だから、先生も気をつけた方がいい、という忠告です」

「……小説より、奇なり」

 日本にいた頃のユキは、あまり本を読む少女ではなかった。ジャスパーの言った、アニメやゲームなどに関しては、ほぼ知識がないと言っていい。ゆえに、あまりに知識は少ない。ジャスパーが求めるレベルにはきっと達していないだろう。

 弱りきった顔をしたユキに、ジャスパーは悟ったようだ。しかし、彼は呆れることなく、苦笑を見せた。

「……そうですね、先生が気をつけるとするなら、近づく男に気をつけて、ということでしょうか」

「近づく男……?」

 ユキは眉をハの字にして疑問符を浮かべる。少しばかり寂しいことに、考えても、心当たりがまったくないのだ。むしろ、ロシェットやリリィの方が注意すべきだろう。

 そんなユキに、ジャスパーは曖昧に笑みを浮かべるだけだった。

「それだけです」

 ――では、失礼します。

 彼はそう言って、踵を返した。

 ジャスパーは、なにをユキに伝えたかったのか。ついにユキは知る事ができなかったものの、大切なことを言われた――そんな気がした。



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