恐れ見よ我が太陽
「んん……!」
瞼を通しても感じる鬱陶しいまでの眩しさに僕の意識は急激に覚醒を促される。なんと不快、時計を見ればまだ朝の10時だ。昨日は夜遅くまでお勤めをしていたのに、こんな時間に起こされる事になるとは。
「なんで窓が開けっ放しになってるんだよ」
苛立ちを感じながら僕は急いで窓を閉め、分厚い漆黒のカーテンに手を掛けた。僕の世界にあんな光は必要ない。あんな、ただただ暑苦しく眩しいだけで、本当に知りたい事は何一つ照らし出してくれない偽りの輝きなど、この深淵の中では何の意味もなさないのだ。
「最悪の目覚めだね。一体どうしてくれよう」
太陽が上がっている様な時間では僕のお勤めは出来ない。あまり人に見せたい物でもないし、お勤めの対象になるヤツらの活動時間は闇に紛れる事の出来る夜だ。仮に出掛けても、仕事にすらならないだろう。だがこのまま時間を無駄にするのも勿体無い。さて、夜まで何をしてすごそうか……
「……いや、待てよ。朝晩関係なく悪人がのさばる場所があるじゃないか」
僕は思い出した様にベッドから起き上がると、暗闇の中でパソコンの電源に向かい、スイッチを押す。やがてモニターが起動し、真っ暗な世界の中に一条の光が生まれた。そう、この世界……僕の宇宙ではこの光こそがまさしく太陽だ。どんなに闇に潜んでも、この光は必ず悪事を照らし出す。いや、この光で僕が見つけ出す。
「さぁ見ていろ、悪党共。今日も僕がお前たちの悪事を白日の下に晒してやる」
やがて光の中にデスクトップ画面が浮かび上がる。僕はスタートボタンを押し、引き出しの中からブラウザを選び、クリックした……。
僕は犯罪者というヤツらが嫌いで嫌いでしようがない。この世界には法律というものがある。それは先達の幸せへの願いの集合体だ。誰もが苦しまず、幸せになれるように創られた願いの欠片。つまり法に従ってこそ人類には幸せが訪れるのである。だから皆が皆、幸せの為に法を守りながら今を生きている。それなのに犯罪者と来たらなんだ。目先の私利私欲の為に平気で罪を犯し、被害者をはじめ未来の人々全ての幸せを掠め取っていく。その上こうも非道な行いをしながら自分たちは罪に向き合おうとはせず、まるで他人事のように埋葬しようとする。許せない、そんな身勝手が許されてなるものか。だから僕は決めた、全ての悪事を照らし出す太陽となる事を。
とは言え、流石に僕も最初から全ての悪事が分かるなどと自惚れてはいない。まずは自分の分かる事から、少しずつ世界の悪事に立ち向かっていこうと思っている。
「さて、今日はどんな悪党が居るかな?」
部屋の隅に並んだ、小説のびっしりと詰まった本棚を見ながらブラウザのお気に入りページを表示させる。開いたのは小さな自由投稿型の小説サイト。僕は大学の頃に文学部だった。学生時代は他人と関わる事よりも読書を優先し、あらゆる名作と呼ばれる物を読み漁った。あらゆる名作を知り尽くした僕なら、作品の良し悪しを間違える事はない。まして盗作など一瞬で見抜いてみせる。
僕は早速TOPページに表示された作品名に目を通し始める。新作はどうせ最後まで書かれては居ないし、半分くらいは中途半端に止まる物ばかりだ、無視。次はデイリーランキングか、これも毎日大した変化は起こらない。今回一位に輝いている作品もとっくに制裁済みだ。
「まったく、あれだけ啓発してやったのにまだ皆こんな小説を読んでいるのか」
この作品は確か文章はまるでなって居ないし、内容は某作家の二番煎じもいいところ。こんな物不当のランクに置いたままにしてはいけないと思い、最低評価を加えた上で理由は感想として明記してやったのに、作者のマリーゴールドとか言う女は盗作を否定して、最近では変に擁護する連中が出てきて今もこの状態だ。もっとも酷い者に至っては「特定した、後日礼をしに行く」などと脅しまがいのコメントを残している。どうやら人を騙す手腕だけは長けているらしい。その上いくら返事をしても周りが喚くだけで最近は全く反応してこない。コイツももう無視しても良いだろう。
「次はレビューログ……今日も酷いな」
このコーナーは一番僕の仕事が多い。一覧表示で表れるのは最高評価と最低評価の嵐だ。アカウント情報を調べるとロクに読みもしないで適当に評価したのが良く分かる。大方、友達だからとか何処かで酷評を受けた仕返しとか、そんな下らない理由で書いたのだろう。悪徳だ、こんな物の為に良作が地に埋もれ、基礎もロクに出来ていない駄文が名作と崇められる。
「……やっぱり! こんな駄作、星一つだってもったいない!」
作品の内容を確認した僕はすぐさまレビューを書き込む。無論最低評価、コメントには文章の基礎がなっておらず読むに耐えない、こんな物に高評価をつけるのは友達か自演だという旨を啓発しておいた。これで少しは皆目が覚めてくれると良いのだが。
「まったく、嘆かわしいよ」
全体の優劣が決まる公的な場で、私的なコメントと共に内容には関係なく高評価をつける人々。それに踊らされてくだらない小説を崇める人々。全くもって嘆かわしい。これがまがりなりにも日本語という文化を最も大事にしなくてはならない小説家達のあるべき姿だというのか。そんなものを、僕は認めない。
「正していかなきゃ、この僕が」
こんな世の中をなんとかする為にも、僕は今日も戦う。パソコンで、現実で、法と秩序を乱すヤツらを倒して行く。モニターからは小さな光が漏れ、薄暗い部屋をわずかに照らしている。この光こそ、今は小さいけれど希望の光となるんだ。
「日が暮れるまでまだ時間がある。もっと、もっと悪人を退治しないと……!?」
しかしその光は、僕の後ろからゆっくりと迫ってくる影に気付かせるには、あまりに小さすぎた……。
「……っ!」
背中がまるで焼けているように熱い。何かが燃えているのだろうか? そこからどんどん身体の力がなくなっているのが分かる。姿勢を保てなくなった僕は、床に倒れこみながら後ろを見た。
「……君、誰?」
そこには見知らぬ女が立っていた。手には何かが滴り落ちるナイフ。振り乱した髪と、荒い息からは。力を込めてそれを突き立てた事が分かる。恐らく、この僕に。どうやってここに、と一瞬考える。しかし、その答えは女の後ろに目を向けるとすぐに気付いた。今は閉まっている窓。普段は決して開ける事のない窓。最後に施錠を確認したのがいつだか思い出せない窓。すぐに気付くべきだった、窓が開いている理由について。
「やっと会えたわね、『太陽の使者』さん?」
太陽の使者、僕の名前だ。僕は小説サイトで評価を下す時にその名前を使って投稿していた。その名を知っていると言う事はあのサイトの関係者……作者かそのファンか……
「! まさか、マリーゴールドの?」
「そう、友達……ま、あそこで知り合った訳じゃないけどね。いわゆる、リア友?」
女にそう言われてもそう驚きはしなかった。この女の名前を他の作品で見た事はなかったし、あんなくだらないポエムにベタボメの内容。そして僕の注意に対するあの執拗な反論とも言えない罵詈雑言。今にして思えば、あれは文章に興味のない素人が「作者が好きだから」という理由で書き込んだ物に似ている。要するにこの女は大した読解力もないのに「友達だから」という理由でポエムに感動し、現状までの行動に踏み出した訳だ。それは紛れもない文章に対する冒涜だ。
「ふざけるな……!」
僕は力を振り絞り、女に抗議する。口を動かす度に傷から血が溢れている気がするが、気にしない。そんなくだらないことがどうでも良くなるほど、この女の行いは憎むべき物だった。
「みんなあのサイトで人に注目される様な作品を書く為に必死に努力してるんだ。その為にうまくなって、いい評価がもらえるように頑張ってる。そういうシステムで成り立ってる。それなのにあのマリーゴールドはロクな努力もしないで、あんなくだらないポエムにサクラなんか使って注目されて、いい気になって……」
そんな事がまかり通ったら、真面目に書いている人達が馬鹿みたいじゃないか。許されない、許されてたまるものか。だから僕は彼女を裁いた、それだけの話だ。
「みんながルールを守ってつつがなく過ごしてたのにそれを破って、それで文句に反論できなくなったら逆ギレ? ふざけてるにも程がある……!」
マリーゴールドが私の啓発に言い訳をしなくなったのはいつ頃だっただろうか。最近は作品すら更新せず、たった一作の拙いポエムで上位にのさばっている。どうせ私に図星を指摘されて言葉もないのだろうと思っていたが、まさかこんな手に出るとは。しかも本人ではなく友達にやらせるのがなんとも卑劣だ。僕が憤りをぶつけると、女は一瞬辛そうな顔をみせながら言った……。
「マリーゴールドは死んだわ」
「……え?」
虚をつかれて僕は間の抜けた声を上げた。無意識だったのだが身体はそれを見逃さず、再び僕に痛みを与えてくる。苦悶の表情を浮かべながらも、僕はひとつの疑問を持った。マリーゴールドが反論をしなくなった理由はどうやら彼女が死んでしまったかららしい。だが、何故それを自分に話すのか。そもそも、この女は死んだ人間の為にわざわざ生前の小さないさかいに決着をつけに来たというのか。その意味が僕には分からない。だが、その答えは案外あっさりと彼女の口から語られた。
「自殺だった。自筆の遺書がみつかったらしいから間違いないそうよ……ねぇ、その遺書になんて書いてあったと思う? これ以上生き恥を晒したくないだって、さっ!」
「っ! ぁぁぁあああっ!」
女は声を荒げながら僕を足蹴にしてくる。わざと傷に当たるように足を乗せられ、僕は耐え切れない痛みにのたうち回った。
「あの子、いつも言ってた! あんな目立つ状態で、公然と批判されて恥ずかしい。いっそすぐに死んでしまいたいって!」
絶え間なく与えられる激痛に、呼吸がおぼつかなくなってくる。だが、それよりも僕はこの女の言い分が気に入らなかった。なるほどどうやらマリーゴールドは僕の批判が元で自殺したのかもしれない。だが、それがどうしたというのか。僕はあのサイトのシステムを正しく用いて、出来の悪い物に「出来が悪い」と言っただけだ。それが罪に問われるなんてありえない。
「そんなに批判が嫌なら……最初から載せなきゃ良いだろ!」
怒りが痛みに勝ったのだろうか、気付けば僕は女の足を跳ね除けていた。ドタッという大きな音から、バランスを崩して転んだのであろう事が分かる。その隙を見逃さず、僕は部屋の奥にある戸棚を開いた。
「っ! あんたに何が……!?」
左手で頭を押さえながら女が立ち上がる。しかし、すぐに襲ってくるような真似はしなかった。気付いたのだろう、僕が取り出したブローバック式の銃……シグザウエルに。
「そう、動かない方が良い。これは本物だからね、昨日も一人悪党を始末したんだ」
僕は銃を向けたまま反対側の手をパソコンデスクに掛ける。どうやら身体は寄りかかってやっと立っていられるような状態らしい。銃を持つ手も僅かながら震えてしまっている。まぁそれでもこの距離なら外すこともないだろうが。だが、まだ殺さない。殺すのはこの女を論破してからだ。
「ネットって言うのはさぁ、誰でも見られるんだよ。だから批評家だって出てくるし、手厳しい評価だって受ける。そんなのは何処でも一緒だよ。それでも皆、恐れながらもそれを見て、受け入れて、乗り越えているんだ」
こんなことは何処でだって起こる。例えネットじゃなくたって、何処かで学びを得ようとすれば必ず教えを請う相手に批評されるのだ。ある意味、そういう学習の繰り返しこそが人生だと言って良い。
「批評に耐えられないなんて言ってた君の友達は単なる腰抜けさ。ルールも守れない腰抜けが、皆の楽しみを邪魔しないで欲しいね!」
そうだ、ルールは皆が守るからこそゲームは楽しくなる。一人だけが楽しい思いをする為に勝手な真似をするなんて許されないのだ。
「なにが皆の楽しみよ……」
僕の言葉を聞いて女の手がわなわなと震えている気がする。暗さに加えて目がだんだんと霞んでしまい、良く見えない。だが、直感的に彼女の怒りはひしひしと伝わってきた。このままでは危ない。僕は震える腕で警戒を強めていた。しかし、
「腰抜けには皆と一緒に楽しむ資格もないって言うの!?」
「え?」
叫びながら女が僕に飛び掛る。僕はと言えば、反応が一瞬遅れた。不覚な事だが揺らいでしまったのだ。法は守れば誰もが幸せになれるもの、そしてシステムはサイトの法だ。そう考えていたから、例え弱者であっても、卑怯者であっても、幸せになれなかった一人の女性の事が無視出来なくなってしまった。今考えるべきはそこではないと分かっているはずなのに。
女のナイフが目前に迫る。もう時間がない、照準を合わせるには身体の反応が鈍すぎた。せめて当たりはするようにと、銃を女の方へと向ける。これで終わりだ、マリーゴールドがどうなるべきだったか、それは僕にも分からない。しかしこの女には同情の余地はない。正義の弾丸を受けろ、そして己の身勝手に対する結果を……
「恐れ見よ」
「はぁ……はぁ……」
心臓深くまで刺さった事を確認すると、私はナイフから手を離した。これはもう即死だ、その証拠に男には全く動く気配がない。しかし、
「私も、もう、駄目かな……」
どんどん意識が遠のいていく。大した置き土産だ。男の放った銃弾は、心臓とまではいかないまでも私の腹に穴を穿っていた。まさか拳銃など持っているとは。あの口ぶりでは普段から人殺しでもしていたのかもしれない。もっとも、今となっては確かめる手段もないが。
こんな状態では医者を呼ぶことも出来ない。私はこのまま死ぬだろう。それでも後悔はなかった。こんな男を野放しにして、大切な友達の死を見て見ぬ振りする事なんて出来ない。それこそ死んだ方がマシだ。それに、死んだらあの子に会うことが出来るかもしれない……
「……それはない、か」
どんなクズとは言え、私は人を殺めてしまった。きっとあの子と同じ所へは行けない。もう、会う事は出来ないだろう。だからせめて最後にさよならと伝えたい。ちょっと内気で、被害妄想で、不幸自慢な所があったけど、ずっと一緒にいてくれた私の友達。空の果てまで届くか分からないけれど、私は空に向かって言った……。
「さようなら……仇は取ったよ、真理……」