第1話 となり、空いてます。
高校二年生 朝倉 湊、目立つことが苦手な男子高校生。
成績は平均、運動も普通。友達と呼べる人は数人、自分から輪の中心に入っていくタイプではない。
高校二年生の春。
新しいクラスになってから、三日目。
「……眠い」
朝倉湊は、机に頬杖をつきながら、小さく欠伸をした。
窓の外では、春らしい暖かな風に乗って桜の花びらが舞っている。
いかにも青春、といった光景だ。
……まあ、俺にはあまり関係ないけど。
去年まで一緒だった友達とはクラスが離れ、新しいクラスではまだそこまで親しい相手もいない。
だから、休み時間は一人で本を読んでいることが多かった。
別に一人が好きというわけじゃない。
ただ、自分から積極的に話しかけに行くほど社交的でもない。
そんな感じの、どこにでもいる男子高校生。
それが俺、朝倉湊だ。
「……朝倉くん」
「ん?」
声をかけられて振り返る。
そこにいたのは、見覚えのある女子だった。
いや、見覚えがあるどころか、クラスのほとんどが知っている。
「白宮 さん?」
「おはよう」
「お、おはよう」
白宮雪乃。
このクラス……いや、たぶん学年でもかなり目立つ女子。
柔らかな淡い栗色のロングヘア。胸元あたりまで伸びており、光の当たり方によって少し輝いて見える瞳をしている。
成績は上位。
運動もできる。
先生からの評判も良い。
しかも、本人にそのつもりがないのか、変に男子を意識させるような態度を取らない。
結果として、余計に人気がある。
そんな人が、なぜ俺のところに?
「何かあった?」
「ううん。ちょっと確認したいことがあって」
「確認?」
「この席、誰か来る予定ある?」
白宮さんが指差したのは、俺の隣。
今は空席になっている机だった。
「ああ、ここ?」
「うん」
「たぶん誰も来ないよ」
「そう」
白宮さんは、なぜか少し考え込んだ。
そして。
「じゃあ、ここ座ってもいい?」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。
「嫌?」
「いやいや、嫌じゃないけど……」
「じゃあ、決まり」
そう言って、白宮さんは隣の席に腰を下ろした。
……あっさりしてるな。
というか。
(なんで俺の隣?)
疑問はある。
かなりある。
けれど、わざわざ聞くほどでもない気がして、そのままにした。
それが、俺と白宮さんの最初の日だった。
◇ ◇ ◇
昼休み。
俺はいつものように弁当を取り出した。
さて、食べるか。
そう思ったところで。
「朝倉くん」
「ん?」
「ここで食べてもいい?」
白宮さんが、自分の弁当を持って立っていた。
「……ここ?」
「うん」
「俺の隣で?」
「そう」
「……なんで?」
「空いてるから」
「いや、それなら他にも――」
「朝倉くんの隣がいい」
「…………」
さらっと言われた。
何だろう。
この人、時々ものすごく自然に変なことを言う。
「それに、朝倉くん一人で食べてるから」
「別に一人でも平気だけど」
「私は嫌」
「白宮さんが?」
「うん」
白宮さんは、俺の隣の席を指差す。
「ここ、一人分空いてるでしょう?」
「まあ……」
「なら、私が使う」
……理屈が通っているような、通っていないような。
「じゃあ、どうぞ」
「ありがとう」
白宮さんは嬉しそうに笑った。
俺の隣で弁当を広げる。
周囲がざわつき始める。
(……視線がすごい)
男子から。
女子から。
クラス全体から。
そりゃそうだ。
俺だったら見る。
たぶん二度見する。
「朝倉」
「ん?」
斜め前の男子が、ニヤニヤしながらこっちを見る。
「お前、いつの間に白宮さんと仲良くなったんだよ」
「いや、別に仲良くなったっていうか……」
「昼飯まで一緒じゃん」
「たまたまだって」
「ふーん?」
絶対信じてない。
その横で白宮さんは、何食わぬ顔で弁当を食べている。
……強いな、この人。
俺だけがやたらと居心地悪い。
「朝倉くん」
「なに?」
「卵焼き、いる?」
「え?」
「少し多く作ったから」
「いや、悪いよ」
「いいよ」
白宮さんは箸で卵焼きを一つ取った。
そして俺の弁当箱の端に、ちょこんと置く。
「はい」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
食べてみる。
「美味しい」
「本当?」
「うん」
「よかった」
また笑った。
……なんだろう。
この人、俺が何か食べるだけで嬉しそうなんだけど。
「白宮さんって料理できるんだな」
「一応」
「すごいじゃん」
「そんなことないよ」
「いや、普通にすごい」
「……そう?」
「うん」
白宮さんが少しだけ俯いた。
そして、耳が赤くなった気がした。
「……褒めるの、ずるい」
「え?」
「なんでもない」
「?」
よく分からない。
本当に分からない。
俺はもう一つ卵焼きを食べた。
「……美味しい」
「……うん」
隣から、妙に機嫌の良さそうな声が返ってきた。
◇ ◇ ◇
放課後。
帰り支度をしていると、隣から声がした。
「朝倉くん」
「ん?」
「もう帰る?」
「うん」
「そう」
白宮さんも鞄を持った。
「あれ、白宮さんも?」
「うん」
「じゃあ……」
ここで一瞬迷った。
一緒に帰る?
そう聞こうとした。
でも。
俺と白宮さんが一緒に帰るなんて、周りに見られたら絶対変に思われる。
だから、言いかけた言葉を飲み込んだ。
すると。
「……一緒に帰らないの?」
「え?」
「朝倉くん、今何か言おうとしたでしょう?」
「いや、その……」
「違った?」
「……いや、合ってる」
「じゃあ、一緒に帰ろう」
白宮さんは、本当に何でもないことのように言った。
「うん」
二人で教室を出る。
廊下を歩く。
少しだけ距離が近い。
だけど会話はない。
……気まずい。
「朝倉くん」
「なに?」
「静かだね」
「白宮さんもね」
「私はいつもこんな感じ」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
そこで、白宮さんが少し笑った。
「でも、朝倉くんとは話しやすい」
「……俺と?」
「うん」
「どうして?」
「知らない」
「知らないの?」
「でも、話しやすい」
「そっか」
それ以上は聞かなかった。
学校を出て、しばらく歩く。
分かれ道に差しかかったところで、白宮さんが立ち止まった。
「朝倉くん」
「ん?」
「明日も……」
そこで、白宮さんは少しだけ言葉に詰まった。
いつもの落ち着いた表情が、ほんの少しだけ崩れる。
「……隣、空いてる?」
「え?」
「教室の席」
「ああ」
俺は笑った。
「もちろん」
「……よかった」
白宮さんは、安心したように笑った。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
白宮さんが去っていく。
その背中を見送りながら、俺は一人で考えていた。
なんでだろう。
どうして白宮さんは、毎日俺の隣に来るんだろう。
友達なら他にもいる。
昼飯だって、わざわざ俺と食べる必要はない。
席だって、もっと話しやすい相手の隣を選べる。
なのに。
彼女は俺の隣を選ぶ。
「……まあ、いいか」
考えても分からない。
それに。
白宮さんと一緒にいる時間は、思っていたよりずっと心地よかった。
だから俺は、まだ知らなかった。
この日から少しずつ。
俺の隣の「空席」が、俺たち二人にとって特別な場所になっていくことを。
そして――
白宮雪乃が最初から、俺の隣に座る理由をちゃんと持っていたことを。
その理由を知るのは、もう少し先の話だ。




