致死の奇襲も3倍重力もただのそよ風。科学と魔法の交差点に放り込まれた『神代の獣』は、一切の異能を持たぬまま、完全隔離の箱庭で最強の座に座る
こちらは短縮版なのでもし面白いと思っていただけたら正式版の方を読んでいただけると幸いです。
境界線上の獣
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序章 境界線上の獣
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五歳の夜、二条律の喉笛を狙った刃は、最後まで届かなかった。
以来、彼は知っている。
悪意とは世界に遍在する現象にすぎず、自分を壊せる保証にはならないということを。
十六歳になった春、その二条律は、科学位相と魔法位相の最大交差点「ゲート・ゼロ」に降り立った。
上空を見れば、片側の空には軍事衛星の光が鋭く瞬き、もう片側には紫の魔力雲が低く垂れ込めている。金属と消毒液の匂いの向こうから、熟れすぎた果実のような甘いマナの残り香が流れてきた。
二つの世界が、互いの喉元へ刃を当てたまま均衡している。
律には、その景色がそうとしか見えなかった。
「ご当主様より伝言です」
背後の侍従が、感情を削ぎ落とした声で告げる。
「魔法位相という未知の変数を観測してこい。そして、二条の恩寵の価値を落とすな。必ず圧倒して帰還しろ、と」
「親父らしい」
律は肩を竦めた。
命令は命令だが、重荷ではない。神代から受け継いだ恩寵は、すでに彼の肉と骨の奥まで染み込んでいる。魔法にも機械にも頼らず、ただ完成されている肉体。それが二条律だった。
クロスノード学院。
表向きは、魔法と科学の架け橋を育てるための学び舎。
実態は、両陣営が次世代の駒を送り込み、互いを観察し、必要なら潰し合うための箱庭。
正門へ向かう冷たい廊下を歩いていた時だった。
空気が、かすかに鳴った。
律が視線を上げるより先に、不可視の刃が頸動脈のあった場所を掠め、背後の壁を深く抉る。
律は足を止めず、首を数ミリ傾けただけでそれをやり過ごした。
「今のは挨拶のつもりか」
頭上五メートル。紫の魔法陣の上に、一人の少女が音もなく浮いていた。
銀の髪。紫水晶の瞳。容姿は人形じみて整っているが、その目には親しみよりも測定の色が濃い。
「灯花ミレーユ。契約型魔法」
少女は律を見下ろしたまま名乗った。
「警戒対象かどうか、先に確かめたかっただけ」
「二条律。何も使わない」
律は欠伸まじりに言う。
「次からは声くらいかけてくれ。危うく制服が裂けるところだった」
ミレーユの瞳が、わずかに細まる。
奇襲を受けてなお、頸動脈ではなく制服の心配をする。その鈍さが演技ではないと分かるからこそ、かえって不気味だった。
「変わった人間」
「そっちもな」
少女は着地と同時に魔法陣を消し、背を向けた。
律もそれ以上は追わない。
互いに、相手の癖だけを記録して、その場を離れた。
次の部屋で待っていたのは、戦闘科教員イザベラ・クロウだった。
黒いタイトスカート、血のようなルージュ、捕食者のような目。机も窓もないコンクリートの部屋に、彼女だけが場違いなほど艶やかに立っている。
「座りなさい」
その一言と同時に、空間の重さが跳ね上がった。
三倍。常人なら膝から崩れ落ち、内臓が悲鳴を上げる重力。
だが律は、膝の角度をわずかに修正しただけで、そのまま歩き、正面の椅子へ座った。
「……なるほど」
イザベラの唇が、愉快そうに歪む。
「ただの出来のいい坊ちゃんではないみたいね」
「面談っていうから、名前でも訊かれるのかと思ってました」
「私は『選別』と呼んでいるわ」
重力が消える。
イザベラは律へ顔を寄せ、甘い香水の下に潜む硝煙と血の匂いを、わざと嗅がせるように囁いた。
「ここは学校だけど、同時に処分場でもあるの。弱い人間は、自己紹介の時間を奪うだけの罪人。私はそういうのが嫌いなのよ」
「そうですか」
「ええ。だから、あんたみたいなのは嫌いじゃない。壊すにしても育てるにしても、少しは面白そうだから」
律は小さく肩を竦めた。
「光栄です」
「次に会う時は四倍にするわ」
「床が先に壊れますよ」
イザベラは喉の奥で笑い、バインダーに何かを書き込んだ。
事前面談は三分で終わった。
そのあと案内された特別観覧ラウンジで、律は学院の本当の階級を見た。
下位の推薦枠たちは、家格や資金力や魔力量を誇示して互いを値踏みし合っていた。だが、その騒がしさのすべてが、部屋の一角にいる数名の前では、ひどく安っぽく見える。
四大創源家と四淵王宮。
両位相の頂点に連なる者たちだけが集まる特等席は、同じ空間にありながら、まるで別の階層に置かれていた。
律がそこへ入った瞬間、魔法位相側の何人かが露骨に顔をしかめた。
二条家は、かつて神に仕えながら科学位相へ転じた裏切り者として嫌われている。
だが、律は視線を無視し、一番座り心地のよさそうな席へ腰を下ろした。
「相変わらず無作法ですのね」
白いドレスを纏った少女が、愉しげに笑う。
久遠桜花。生命操作を支配する久遠家の令嬢。
「久しぶりだな」
「ええ。けれど、その調子なら安心しましたわ。礼儀を学ぶ気がまるでなさそうで」
その近くでは、アークライト家のノアが無表情にタブレットを操作し、ヴァレンシュタイン家のアルベルトは誰とも目を合わせず空間のように冷えている。ルーセント家のシルヴィアだけが、すべてを面白そうに眺めていた。
この場所では、敵意すら贅沢品だった。
彼らは互いを、憎む以前に「当然そこにある危険物」として認識している。
やがて眼下のアリーナで、一般入試組の実戦試験が始まった。
銃声、魔法、悲鳴。科学と魔法の若い才能たちが、まだ入学式すら済んでいない段階で泥と血に塗れていく。
ラウンジにいた上位層は、その地獄を静かに見下ろしていた。
誰かを憐れむためではない。使えるか、使えないか。その一点だけを測るために。
入学式が始まった時、壇上へ現れたのは、生徒会長イライザだった。
スラムから這い上がり、名家の子弟を叩き潰して学院の頂点に座った女。
穏やかな笑みを浮かべたまま、彼女は新入生たちへ、あまりにも優しい声で告げた。
「クロスノード学院へようこそ」
その歓迎の言葉は、内容だけが異様だった。
この学院は完全隔離の箱庭であり、外部との連絡は休暇まで不可能。成績下位者は容赦なく切り捨てられ、秩序を乱す者は生徒会が処分する。自由はある。ただし、結果を出せる者にだけ。
慈愛めいた口調で語られるそれは、祝辞ではない。
契約書の体裁を借りた脅迫だった。
続いて副会長アーサー・グランチェスターが前へ出る。
歩く軍事要塞のようなその男は、イライザとは別種の暴力を纏っていた。
「この学院では何を学ぼうが勝手だ。だが、秩序の外へ出た者は俺が潰す」
短いが、それで十分だった。
新入生たちの顔から血の気が引く。
最後に老教授クラウディウス・ノヴァが現れた時、律は初めてわずかに神経を尖らせた。
その声は拡声器も魔法も介さず、三百人すべての頭の内側へ直接届いたからだ。
「君たちの常識は、世界の半分しか見ていない」
老人はそう告げ、片目のモノクルを淡く光らせる。
「そして半分しか見ていない人間は、半分しか生き残れない」
それは脅しではない。
事実として口にされた宣告だった。
入学式の終わりと同時に、防壁は完全閉鎖された。
青白い膜が学院全域を覆い、外界との通信は一斉に途絶える。
家の命令も、企業の後ろ盾も、国の庇護も、ここでは届かない。
箱庭の蓋が閉まったのだ。
式後、律は割り当てられた最上層の個室へ入った。
広い部屋だった。静かで、清潔で、上等だ。
だが、それは檻としてはひどく完成度が高い、というだけの話でもある。
窓の向こうには、防壁越しの夜景が広がっていた。
美しいとは思わない。外へ出られないと分かった景色は、いつだって少し傲慢だ。
律はソファに腰を下ろし、今日会った人間たちの顔を思い返した。
空から刃を降らせた灯花ミレーユ。
重力で値踏みしたイザベラ。
無数の序列の上に立ちながら、なお飢えていた特権階級たち。
そして、穏やかな声で箱庭の支配を宣言したイライザ。
ここは教育機関ではない。
若い怪物たちを一カ所へ集め、互いの牙の長さを測らせるための実験場だ。
「……悪くない」
律は、ひどく退屈そうな顔のまま、ほんの少しだけ口元を緩めた。
悪意は多い。
理不尽も多い。
だが、それだけだ。
そのどれも、まだ彼の内側には届いていない。
青白い防壁の向こうで、学院の夜が静かに深まっていく。
境界線の上に建てられた箱庭で、神代の恩寵を宿す獣は、ようやく目を開いたばかりだった。
正式版
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