冷ややかな青、冷ややかな赤
青は冷たい。
赤もまた、冷たい。
そう言うと、おおよその人は笑う。赤は熱の色、血の色、あるいは怒りや情熱の象徴だろうと。けれど私は、赤がこの世で最も冷たい色だと思っている。青は触れればただ凍る。赤は鋭い刃みたいに、触れたことすら気づかぬうちに凍らせる。
冬の終わり、河川敷の風は骨に沿って吹いていた。制服の紺は青に属するのか、それとも黒に近いのか。そんなことを考えながら、私は橋の下のコンクリートに腰を下ろしていた。川は濁っていて、空の色を拒んでいる。それは意思というより機構の一種に思えた。
ふと、スマートフォンの画面が光る。それは連絡の通知だった。「未読のメッセージが一件あります」。たったそれだけの文章が、なぜこれほどまでに胸を冷やすのか。
——「ごめん、もう別れよ」。
昨夜、私は彼にそれだけを送った。理由は書かなかった。書けなかった、と言うべきかもしれない。理由を言語化した瞬間、それは私のものではなくなってしまうからだ。説明とは共有であり、共有とはある種の追放だ。私の孤独は外乱に耐えられるほど強くなかった。
スマートフォンから目を逸らし、川面を見つめていると、遠くで少年が赤いボールを蹴っていた。上は真っ黒なダウンジャケット、下は鮮やかな茶色のズボン。空へ向かって赤色が跳ね上がるたび、乾いた音が冬の空気を裂く。彼は何度もボールを蹴り、何度も追い、何度も蹴り返した。赤は弾み、青空に一瞬だけ浮かぶ。だがその赤も、すぐに黒色へと吸われていく。
私はぼんやりと思った。
感情は、どんな色をしているのだろう。
怒りは赤か。悲しみは青か。
……どっちでもいいことか。
それらは結局のところ冷えている。私の内側で凍結し、硬質な結晶となって沈んでいる。溶けることを拒み、触れられることを拒み、ただ形を保とうとする。形を保つことが、自身の存在証明であるかのように。
対岸の線路を四両編成の電車が通過し、鉄の軋みがほのかに地を震わせる。私は立ち上がり、着古した白いコートのポケットに、スマホごと手を入れた。指先はかじかんでいながら、感覚は妙に鮮明だった。世界はこんなにも輪郭を持っているのに、なぜ私だけが曖昧なのか。そんな疑問が浮かんだが、現実逃避と気づくと少し情けなくなった。
彼と出会ったのは春だった。桜の花びらが川に落ち、淡い桃色が水面を覆っていた。あのとき、世界は確かに温度を持っていた。彼の言葉は軽く、柔らかく、私の沈黙を気にしなかった。それが心地よいと錯覚したのだ。沈黙を責めない人間は、こちらが痛んでしまうほどに優しい。
だが優しさは、時に無関心と区別がつかない。
彼は私の話を聞かなかったわけではない。ただ、深く潜らなかっただけだった。水面を撫でるように、私の表層だけをなぞっていた。私はそれを望んでいたはずなのに、いつしか物足りなくなった。
厄介な矛盾があるものだ。触れられたくないと言いながら、触れられないことに傷つくだなんて。
そうして昨日、彼は言った。「最近、冷たいよ」と。
私は笑った。冷たいのはどちらだろう、と。あなたの言葉はいつも正しいが、私の心臓には届かない。あなたは赤を差し出す。情熱という名の、未来という名の赤だ。だがそれは、私にとっては冷えきった金属の塊にすぎない。
風が強まってきた。少年の赤いボールは、不意の突風に流されて川に落ちた。声変わり前の小さな悲鳴が上がる。ボールは流され、濁流に呑まれていく。赤はだんだんと遠ざかり、一つの点と化していく。少年はしばらく立ち尽くしていたが、やがて踵を返した。ああ、端から見たら、諦めはいつも静かなものだ。
ふと思う。
私たちの関係も、あのボールのようなものだったのではないか。
最初から不安定な流れの上にあった。手放せば二度と戻らないと知りながら、どこかで「まだ大丈夫だ」と信じていた。信じることは、希望ではなく怠慢だったのかもしれない。そのせいで、ちょっとした風が吹いただけで終わってしまった。
意を決して、私は液晶画面に向き合った。
——「わかった」。
それだけの返信だった。トーク画面の青が、徐々に暗がりへ消えていく。私はなぜか安堵していた。拒絶を恐れていたはずなのに、実際の拒絶は思いのほか軽かったのだ。重かったのは宙吊りの時間の方、未読のまま凍っている時間だった。
赤は終わりの色。
青は始まりの色。
誰かがそう言っていた記憶がある。だが本当は逆なのではないか。
青は凍結、停止、保留。
赤は切断、決断、完了。
私は河川敷を後にし、真新しい橋を渡った。その先の信号が青に変わると、人々は一斉に歩き出す。その中で私は足を止めた。青は進めの合図だが、進むべき方向は示してくれやしない。
気づけば、対岸のビルの窓に夕陽が反射し始めていた。赤い光が無機質なガラスに宿り、すぐに消える。その赤にはまるで熱がないように感じられた。
私はポケットからスマートフォンを取り出し、彼とのトーク画面を閉じた。続けて、震えた指先で削除ボタンに触れる。躊躇いは一瞬だった。画面は青い初期画面に戻っていた。
……冷たい。だが、透明だった。
深く息を吸い込むと、冬の空気は容赦なく胸を刺してくる。痛みは確かで、確かなものは、私を裏切らない。感情は揺らぐが、冷気は平等に降り注いでくれる。
橋の下に流れていた川には赤も青もなかった。ただ、流れだけがある。でも、そのどちらも選ばずに立ち尽くすことはできないのだ。そんなことをしていれば流されてしまう。私はどちらかの色に触れなければならない。例え、私の体温を奪うとしても。
信号が点滅する。私は形だけの左右確認を済まし、急いで白黒のアスファルト上を駆けていった。
風の中で、頬だけがわずかに熱を帯びていた。




