月なき夜と、無言の断罪
ヴァル領――竜が退けられた、その夜のことだ。
混乱の冷めやらぬ地へ、セウロハの「元老院」が姿を現した。
そこには、筆舌に尽くしがたい嫌な空気が漂っていた。
被災地だというのに彼らは贅沢な調度品を誇示し、目の前で困窮する人々がいても、権威を示すための従者を一人として救助に動かそうとはしなかった。
「あの時、彼らはモンダギューを連れて行きましたが……とても連行されているようには見えませんでしたよ」
僕が苦々しく漏らすと、ワルターさんは重く頷いた。
たとえ竜を呼び寄せるほどの悪政であったとしても、現行の法がモンダギューを裁くことはない。彼らにとって、竜の襲来という災害と領主の統治責任は、あくまで別個の問題なのだ。
「今回の騒動における彼の責任追及は、あくまで『防衛の意思を欠いたこと』に限定された。それ以前の悪政について、誰も追及することはできなかったんだ」
「元老院っていうのは、そんなに偉いんですか?」
「王位が空位となっているこの国では、現在、元老院と騎士団という二つの派閥が激しく対立している。そして特権階級である貴族の多くは、己の権益を守るべく元老院に肩入れしているのさ。介入してきた使者たちも、当然モンダギューに有利な裁定を下すべく動く」
セウロハの王は、後継者が育つ前に崩御したという。
今はまだ年端も行かない王子が王位を継ぐまで、代行者たちが国を動かしている。セウアマリロの人間であるワルターさんでさえ、無関心ではいられないほど、この国の根は腐りきっていた。
「結局、防衛についても『竜の襲来が突発的であり、不可抗力であった』として酌量の余地があると判断されたよ。ヴァル領が一時的に王都預かりになる程度で済まされたのさ」
「法で裁けない悪党、ですか……」
「セウロハ騎士団の王族――亡き王の親族にあたる嫡男が、正式に隊長へ就任したそうだ。周囲からは、幼い王子ではなく彼こそを王に据えるべきだという声も上がっているらしい」
「……そんなことをしたら、余計に派閥間の軋轢が生まれませんか?」
僕が懸念を口にすると、脳裏には一人の男の姿が浮かんだ。
ヴァル領で共に戦った小隊長、シルヴァという青年。
剣の腕は超一流、魔導にも精通し、何より高潔な騎士道精神を体現したような貴公子。かつての戦場で見せたのは、まさにその評価に違わぬ、一点の曇りもない活躍であった。
「王位継承で揉めるのは世の常だよ。特に、彼のような『持てる者』が近くにいればなおさらだ」
――――
――こめかみに突き付けられる、刺すような冷気。
月のない夜特有の寒気は、万人に平等な夜を与えていた。
行方をくらませたモンダギュー。その実態は、詰まるところ元老院が彼を囲い込み、法の網から隠蔽しているに過ぎない。
上下も前後も定かではない闇の中を、アレクシスは音もなく歩く。
真っ黒な外套を身に纏い、深くフードを被るその姿は、夜そのものに溶け込んでいるようだった。
「……」
鳴き声ひとつ立てず、足元にキャスパリーグがすり寄ってくる。
一度だけその頭を撫でると、猫は再び闇の奥へと消えていった。
辿り着いたのは、何の変哲もない無機質な建物だった。
だが、積まれた煉瓦のひとつひとつには「視線避け」の魔術言語が刻まれている。
この何の特徴もない造りにこそ、人目を欺くための緻密なからくりが施されていた。
アレクシスは外套の布端に指先で「不可視」のルーンを刻み、静かに内部へと侵入した。
「騎士団長が不在なのをいいことに、少々羽目を外しすぎたか」
「シルヴァ・フォン・シーフォめ、この屈辱は忘れんぞ。元老院の力を持って、必ずや奴に厳罰を下してやる」
奥の部屋には、モンダギューと彼を匿う元老院議員の姿があった。
ワイングラスを片手に、反省の色など微塵も見せず、ほとぼりが冷めるのを待って復讐の打算に耽っている。
その醜悪な密談を切り裂くように、アレクシスが姿を現した。
「……貴様はっ」
アレクシスは無言のまま魔剣を抜き放ち、二人の間合いへと踏み込む。
「言葉」こそを力の根源とするこの世界の住人にとって、一切の音を発しないその襲撃は、根源的な恐怖そのものであった。
「私に手を出す気か! 私はセウロハの元老院議員だぞ!」
わめき散らす議員の喉元へ、淡々と死の刃が迫る。
「貴様ごとき、簡単に潰せるのだ! セウアマリロの特級騎士風ぜが……!」
法や権力者がその罪を許したとしても、この『慟哭』の刃は許しを与えない。
「あと少しで……賢者の石が……」
絶命の間際、漏れ出たその言葉を拾う者はいない。
遺体は人知れず近くの谷底へと落とされ、誰も知らない無言の処刑は、静かに幕を閉じた。




