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第一章 エリック(Eric)

 テレビの特集が、私の通う学園を取り上げていた。画面に映し出されたのは、広大な敷地に広がる校舎や寮、そして大自然。東京ドーム一個分の広さを誇る森、徒歩で一周するのに三十分もかかる大湖。そんな驚異的なスケールの学園が、視聴者に向けて紹介されていく。学園列車で十分ほどの距離には、賑やかな娯楽街が広がっており、ゲームセンターやカラオケ、映画館、ファミリーレストランが並んでいる。

 特集はこう続いた。

 「一日ではとうてい遊び尽くせません! すべて学園が経営しているので、危険なことは一切ありません!」

 映像は、学園がどれほど整備され、完璧に管理されているかを強調していた。校舎や寮の内装は清潔で新しく、設備も最新のものが整っている。学生たちは、授業を終えると広大な敷地内を自由に歩き回り、緑豊かな森や湖畔で過ごすことができる。学園列車に乗れば、わずかな時間で娯楽街に足を運び、気軽に楽しみを味わうことができる。

 特集の最後には、学園の特別さを際立たせる言葉が流れた。

 「これほどの規模を誇る学園は私立ライヒ学園だけ!」

 そのアナウンスは、まるで強力なブランドを押し出すように響き、学園の優位性を強調していた。

 「ライヒ」とはドイツ語で「帝国」という意味だそうだ。経営者の信念には、一つの帝国を築くという壮大な思いが込められているのだろう。

 私がこの学園に入学したのはいつだったか、記憶にはない。物心ついたときには、すでに学園にいた。そして中学生になるまで、アカネ、カナメ、メゾーロ、そして私エリックの四人で同じ部屋で生活していた。みんな私と同じ孤児だ。寮母のシズクさんが、私たちの親代わりをしてくれていた。

 アカネだけは女の子だったが、私たちの間ではそれは小さな問題に過ぎなかった。中学生になってからアカネがだんだんと女性らしくなった。アカネは恥ずかしくなったのか、シズクさんに別部屋を希望したらしい。その話が経営者にまで上がり、高校生になると同時に、私たちは全員一人部屋を与えられることになった。

 このライヒ学園には、私たちのような孤児組と超高倍率を勝ち抜いたエリート組が在籍しているのだ。

   ◆   ◆

 私はテレビを消し、食堂へ向かった。

 食堂の壁に掛けられたテレビも、同じニュース番組を流している。

 「おや、今日はお早いご到着だねぇ」

 新聞から顔を覗かせたメゾーロが、からかうように言った。

 「いつもと同じだよ。コンマ一秒もずれてない」

 そう返しながら、私はいつもの席に腰を下ろし、今日の献立を確認する。

 「トースト、スクランブルエッグ、ベーコンにミルクか」

 可もなく不可もないメニューに、いまいち気が乗らない。しかし、向かいのメゾーロは満足げに言った。

 「今日は洋食の気分だったから最高だったぜ」

 洋食の気分なら、もう少し気の利いたメニューを想像するものでは? そう思いつつ、私はトーストをかじる。

 テレビの番組が切り替わり、派手な音楽が流れ始めた。寮の食事は栄養バランスが考えられているらしいが、特別美味しいわけでも、不味いわけでもない。ただ淡々と口に運ぶだけの作業だった。

 向かいでは、メゾーロが再び新聞に目を戻している。第一面には、大手自動車メーカーのリコール隠しが発覚し、大問題になっていることが報じられていた。

 「昨日の夜もニュースで取り上げられてたし、大きな問題になってるな」

 メゾーロはコーヒーカップを傾ける。眠そうな目をしたまま、面倒くさそうに新聞を折り畳んだ。

 「エリック、今日の授業なんだっけ?」

 「たしか、午前は歴史と数学、午後は文献研究……だったと思う」

 「文献研究か。あれ、正直だるいんだよな」

 メゾーロがため息をつく。文献研究――テーマに沿って図書館で本を読み、その内容を発表する授業だ。

 「こんなに大きな学園なのに、図書館は小さいのよね」

 背後からアカネの声がした。

 「びっくりするなあ、挨拶くらいしてくれよ。それに、あの図書館を小さいって言うのはアカネくらいだろ」

 「そうだよ。普通は校舎の一室にあるから、図書()っていうんだぞ」

 「そうね、図書()なだけマシなのかしら」

 肩まで伸びた髪をいじりながら、アカネは口を尖らせる。そして席に着くと、スクランブルエッグをトーストにのせ、小さな口をめいっぱい開けてかぶりついた。

 「おいおい、オレたちが見てるんだぞ。もっと女の子らしく食べなさいな」

 メゾーロがからかうと、アカネは目を細め、軽蔑の眼差しを向けた。

 「あんたたちに色気を振りまいて何になるのよ」

 メゾーロは折り畳んだ新聞をそそくさと開き直す。彼がからかったのに、「あんたたち」と私まで攻撃対象に入れられるのは勘弁してほしい。

 私は食後のコーヒーをすすりながら、窓の外に目をやる。食堂のコーヒーはわりと美味しい。

 そろそろだろう、カナメがやってくるのは。そう思った矢先、背後に気配を感じた。

 「今日も最後だな。コンマ一秒もずれてないぜ」

 私の問いかけにカナメは即答した。

 「オレは食うのが早いからいいんだよ」

 カナメは朝が弱い。いつも私たちが食べ終わるころにやってきて、ものの数分で朝食を完食する。消化に悪いと指摘しても、早起きのほうが身体に悪いと主張するのだ。

 「アカネ、今日もかわいいな」

 「みんなの前でそういうこと言わない!」

 アカネとカナメは五月から交際を始めた。家族のように育ってきた私たちの中で恋仲ができるとは思ってもみなかったので、聞いたときは驚いた。カナメから告白したらしい。

 新学期になってから半年、高校一年生もあと半分だ。

 ライヒ学園は大学も運営しており、大学院の博士課程まで履修することになっている。さらに、その後の三年間は学園関連の施設で研究活動をすることが義務付けられている。当然、これは私たち孤児組だけの話だ。十分な力を得たうえで社会に送り込む。それが学園の方針らしい。そのため、ライヒ学園の孤児組出身者で社会で大きな活躍をしている先輩は珍しくない。

 とはいえ、あと十五年。今まで生きた時間をもう一度繰り返すまで、この学園に縛られ続けるのは、どうにも変わり映えがしない。

 そんなことを考えていると、カナメはもう食事を終えていた。

 「勉強棟いくぞ」

 いちばん遅く来たカナメが、いちばん早く食堂を出ていった。

   ◆   ◆

 私はロッカーから鞄を取り出し、メゾーロと共に学園の正門へと向かった。

 広い敷地内を歩いていくと、次第に学生たちの姿が増えてくる。誰もが制服に身を包み、談笑しながら校舎へと向かっていた。

 「さて、今日も一日がんばりますかね」

 メゾーロがわざとらしく伸びをする。私は「そうだな」とだけ返し、学園の門をくぐった。

 廊下に足を踏み入れると、教室からざわめきが聞こえてきた。チャイムが鳴る前だというのに、すでに席について教科書を開いている者もいれば、机を寄せ合ってゲームの話に熱中している者もいる。

 「おーい、エリック、メゾーロ!」

 教室の後ろから元気な声が飛んできた。手を振っているのはクラスメイトのケンタ。いつもエネルギッシュで、ややお調子者の彼は、すでに数人の仲間を集めて談笑していた。

 「朝っぱらから元気だな」

 私は苦笑しつつ席へ向かう。

 「なあ、昨日のニュース見たか? 例のリコール隠しの話、親が『これは大問題だ』って大騒ぎしてたよ」

 「朝食のときに少しな」

 「うちの親も言ってた。社会問題になりそうだって」

 隣にいたリサが相槌を打つ。彼女はスタイル抜群でミニスカート、そのうえ学年では成績上位を誇る才女だ。

 「ま、オレたちには関係ない話だけどな。あ、そういや今日の文献研究のテーマって何だっけ?」

 自分で振った話題を自分で片づけ、ケンタは次の話へ移る。

 「……まだ確認してないけど、どうせ適当に振られるんだろう」

 私はそう言いながら席に鞄を置き、椅子を引いた。そのとき、扉が開く音がした。

 「よし、みんな席につけ。ホームルームを始めるぞ!」

 担任のドバシが甲高い声で教室に響かせる。

 出席を取り終えると、そのまま教科書を開きながら続けた。

 「さて、今日の文献研究のテーマは『歴史に見る権力の正当化』だ」

 「うわ、重っ」

 ケンタが即座に小声でつぶやく。

 「歴史上の独裁者はなぜその支配を正当化できたのか。権力を維持するために何をしたのか、各自考えてもらう」

 ドバシの声が響くと、教室のあちこちからため息が漏れた。

 「適当に答えればいいだろ」

 メゾーロが肩をすくめる。

 「適当にって……先生、メゾーロがやる気ゼロの顔してまーす」

 ケンタがわざとらしく大声を出す。

 「おい、余計なこと言うな!」

 メゾーロが慌ててケンタの頭を小突いた。

 「こら、授業中に騒ぐな!」

 ドバシがビシッと黒板を叩く。私は苦笑しつつ、横目でアカネを見る。彼女はすでに教科書の端に何かを書き込みながら、真剣な顔をしていた。

 「アカネ、何書いてるんだ?」

 「……うん? ああ、歴史上の独裁者の特徴をまとめてたの」

 アカネがメモを見せると、そこには「カリスマ性」「情報統制」「恐怖政治」と並び、なぜか「ケンタ」という文字が書かれていた。

 「ちょっと待て、オレの名前入ってるんだけど!?」

 「だって、ケンタってクラスの空気を支配する力すごいし」

 「いや、それと独裁関係ある!? しかもオレ、恐怖政治やってねーし!」

 アカネは真顔でうなずく。

 「みんな、ケンタに逆らうと宿題の答え教えてもらえなくなるって言ってたよ」

 「おいおい、それはただの情報共有だろ!?」

 ケンタの抗議を聞き流しつつ、私は小さく笑った。

 「アカネ、じゃあオレの特徴をまとめてみてくれよ」

 メゾーロが興味津々で覗き込む。

 「うーん……メゾーロは、『飽きやすい』『計画性なし』『すぐサボる』」

 「ただのダメ人間じゃん!」

 そんなやり取りをしていると、ドバシの冷たい視線がこちらに飛んできた。

 「お前たち、ちゃんと考えてるんだろうな?」

 「も、もちろんです先生!」

 「ええ、独裁の本質を学んでおります!」

 私たちは即座に教科書を開くふりをした。その瞬間、リサが小声でつぶやく。

 「……で、エリックの特徴は?」

 アカネはしばらく私をじっと見つめ、それからさらさらとメモに書き込んだ。

 「……『無害そうに見えて、案外核心を突く』」

 「それってどういう意味?」

 そう尋ねると、アカネは少し首をかしげた。

 「なんとなく、そんな気がするだけ」

 その声を聞いたカナメが後ろの席でつぶやく。

 「やっぱりアカネは鋭いなあ……」と。

 「とにかく! 午後の文献研究ではこのことをしっかりと調べるように! 今からの歴史の授業では、そのヒントとなる内容を学ぶからな」

 「はーーーい」

 一同が答えると、ドバシは黒板に向き直り、大きな文字を書き始めた。

 この学園で権力者といえば運営か……。私は、自分たち孤児を育ててくれた学園に恩義を感じながらも、三十歳まで拘束される現実に不満を抱いていた。

 そして、どうにもできないその現実に、「権力者」の絶対性を、なんとなく理解した気がした。

   ◆   ◆

 歴史と数学の授業が終わり、ようやく昼休みが訪れた。寮には戻らずに勉強棟の購買で昼食を買うのが習慣だ。購買カードで好きなものを買えるというのは、実に便利なものだ。

 「おにぎり、何にする?」私はメニューを眺めながら、隣にいるカナメに声をかけた。

 「うーん、鮭かな」カナメは、迷うことなく答える。

 「また鮭? 毎回それだよな。鮭に魂でも売ったのか?」メゾーロが少し皮肉交じりに言うと、カナメが不快そうに眉をひそめる。

 「うるさいな」カナメの声には、ほんの少し苛立ちが含まれていた。

 「まあ、鮭に魂を売るのも悪くないかもな」私は笑いながらからかうように言った。

 アカネは黙ってパンの棚を見つめていた。その表情は、いつもの軽やかさとは異なり、どこか真剣だった。

 「アカネ、どうした? そんなに真剣にパンを選んで」

 アカネは少し赤くなりながら、恥ずかしそうに小さなデザートパンを手に取る。

 「こ、これ……甘いもの、たまにはいいかなって……」

 その言葉には、普段見せない少しだけ弱気な気持ちが込められているように感じた。


 「おおっ、アカネ、珍しいな!」メゾーロは大げさに驚いて、すぐに続けた。

 「今日から『甘党アカネ』ってことで決まりだな」

 「うるさい!」アカネは顔を真っ赤にして、言葉どおりに怒った。カナメがすぐにフォローする。

 「まあ、たまには甘いものでリフレッシュするのも悪くないよな。オレも昨日、チョコパン食べて、すごく調子が良くなったし」

 メゾーロは、あたかも自分が発案したかのように、「チョコパン伝説」と言って、満足そうに頷いている。

 教室に戻り、机を並べて、みんなそれぞれが買ったものを食べ始める。アカネは、デザートパンを一口食べて、思わず嬉しそうな表情を浮かべていた。

 「え、そんなに嬉しそうに食べるんだ?」メゾーロが驚きの声を漏らすと、アカネは少し照れながらも言い返した。

 「だって……久しぶりに甘いもの食べたから」

 「アカネ、かわいいな」カナメは、どこか照れたように呟く。

 私はおにぎりを口に運び終わると、少し気分が高揚しているのを感じながら、言葉を紡いだ。

 「今日は、娯楽街でも行くか」

 その言葉に、みんなの顔がみるみる喜びにあふれた。


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