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火曜日

 次の日の朝、俺は沙耶香の家の前で“待ち伏せ”をしていた。


 ――といっても、そんなに大げさな話じゃない。沙耶香の家は俺の家の、すぐ隣だ。玄関の位置も、塀越しにほとんど並んでいて、待とうと思えば勝手口からスッと出て、さも「偶然」みたいな顔をすることだって簡単だった。


 思えば、俺たちは物心ついたころから、ずっと隣り合って生きてきた。幼稚園の送り迎え、小学校の登下校、中学の部活帰り。別に誰かに強制されたわけでもないのに、いつも自然と一緒にいた。


 俺の部屋の窓からは、斜め向かいにある沙耶香の部屋の窓も見える。けれど、中学に入ったあたりから、あの白いカーテンはぴっちりと閉じられたままだ。何が変わったのか、なんて言葉にするまでもない。俺も沙耶香も、大人の階段を上ってきている。それだけだ。


……まあ、今はそんな感傷に浸ってる場合じゃない。


 今の俺には、もっと差し迫った“使命”がある。そう――沙耶香のパンツを見ること。ばかばかしいと、自分でも思う。でも、昨日あんな啖呵を切ってしまった以上、引き下がるわけにはいかない。


 一週間以内に見る。それが、沙耶香との――いや、自分自身との、くだらなくも真剣な賭けだった。


 昨日、放課後の校舎でいくつかチャンスを狙ってみた。けれど結果は全滅。あんなに短くて、風が吹けばすぐにでもめくれそうなあの布地を、沙耶香は見事に守り抜いていた。


 風が吹けば、すぐさまスカートの裾を押さえる。階段では背筋をぴんと伸ばし、手はしっかりと後ろに添えられている。不用意に足を広げるなんてこともない。あれだけ日常の中で揺れているくせに、いざというときの防御力は完璧だった。


 パンツ――それはただの布じゃない。昨日の沙耶香の言葉を、思い出す。なるほど確かに、あの防御を見ていると、女子にとってそれがただの下着で終わらない何かだってことが、身に沁みてわかってくる。


 ……でも、だからって俺の負けじゃない。俺は見ると決めた。見てやる。正々堂々――かどうかはさておき、とにかくこの一週間で、必ず達成してやる。


 そんなわけで、俺は玄関先に立ち、心のなかで作戦を練っていた。隣の家の扉の向こうから、沙耶香が姿を現すのを、息をひそめて待ち続ける。


「おはよう。……やっぱり、いると思った」


 玄関のドアが開くと同時に、沙耶香は俺の顔を見てため息をついた。朝の光の中に浮かび上がる彼女の制服姿。自然と――いや、もはや反射的に、俺の視線はその短めのスカートへと滑ってしまう。


「どうせまた、パンツ見ようとして待ち伏せしてたんでしょ。まったく、わかりやすいんだから」


「うるせーな。べ、別に見たいわけじゃねーし。……でも、賭けなんだから仕方ねえだろ」


 そう言いつつ、自分でも言い訳がましいのはわかってる。沙耶香の目は、いつものように鋭く光った。


「はいはい。そういうの、もういいから。どうせ、あんたには無理なんだから」


 言い捨てるようにそう言って、沙耶香は手をひらひら振りながら歩き出す。俺は慌てて隣に並んだ。歩幅は昔からぴったり合う。それがなんか悔しい。


「なあ……スパッツとか、重ね履きしてないよな?」


「してないってば。あんなの、暑くてかなわないもん。ていうか、そんなの履いてなくても、あんたにパンツは見せるつもりなんてないし」


 そう言って沙耶香は、まるで勝者のような笑みを浮かべる。こっちはまだ一手も繰り出してないってのに。


 そんなやり取りをしながら、俺たちはいつものように連れ立って学校へと向かった。周囲からは、きっと仲のいい幼馴染にしか見えないだろう。でも、俺たちのあいだには、今や見えない火花が散っている。


 ――成果は、今日も今のところゼロだ。けれど、今日はここからが本番だ。俺には密かに練った作戦がある。勝負は、まだ始まったばかりだ。


***


 授業中――俺はノートにペンを走らせるふりをしながら、ちらちらと視線を滑らせ、すぐ隣の席に座る沙耶香の様子を伺っていた。


くしくも、俺たちは隣同士の席だった。わずか数十センチの横顔。近い。あまりに近いのに、そのスカートの内側という“禁域”だけは、まるで結界でも張られているかのように遠かった。


 ――だが、今日の俺には秘策がある。沙耶香は、今まさに板書に集中している。黒板を睨む真剣な横顔。彼女は成績優秀だった。それゆえ、授業はいつだって真面目に受けている。完璧な集中力。だが逆に言えば、それは“他のことに気づかない余地”でもある。


 俺は、ゆっくりと、慎重に、机の上の消しゴムを指先で転がした。コトン――小さな音を立てて、消しゴムが床に落ちる。誰にも気づかれないように、狙い通りの角度と静けさで。


 一呼吸、間を置いてから、俺は“あっ”という顔をして、もったいぶるように席の横へ身をかがめた。


 完璧だった。


 教室という舞台のなかで、俺はきわめて自然に動いていた。周囲から見れば、俺はただ消しゴムを拾っているだけの動作。誰の目にも怪しまれない。そんな無害な行為に見せかけて――俺は今、机の下から沙耶香のスカートを覗きこもうとしていた。


 「合法的に」なんて言葉が脳裏をよぎる。おかしいのはわかってる。でも、これも賭けの一手だ。そう、自分に言い聞かせるようにして、俺はそっと床に片膝をついた。


 沙耶香の視線は依然として黒板に釘付けだ。ノートを取る手も止まらない。きっと今、俺の存在なんて空気だ。ありがたいことに、消しゴムは狙い通り、彼女の机の少し前方――つまり、その脚の延長線上に転がっている。


 沙耶香のガードは堅い。でも、座っている状態で、足を完全に閉じているとも思えない。膝と膝のわずかな間に、多少の空白はできるはずだった。その狭間に――奇跡が宿るかもしれない。


 俺は、息を殺して手を伸ばす。床の上の消しゴムにそっと指先が触れた。そして、ためらうようにして、ほんの少しだけ顔を上げる。ゆっくりと――期待という名の鼓動が、鼓膜の裏で波打っていた。


 そして俺は、後ろを振り返った。


「あんた……本当に、バカなの?」


 低く呆れた声が響きわたる。そこには、机の下を覗き込む沙耶香の逆さまの顔があった。涼しげな瞳がじっと俺を見つめ、その表情には、心の底からあきれ返った気配がにじんでいる。


 その奥で、彼女の両脚はぴたりと閉じられていた。完璧な封印。まるで俺の期待ごと、鋼の扉で閉ざされたようだった。スカートの内側は、光の届かぬ深い闇――そこには何の希望もなかった。


「……気づかないわけないでしょ。真横にいるのに。そんなこともわからないって……ほんと、男って……」


 沙耶香の声が遠くで鳴る鐘のように、じわじわと耳の奥に沁みこんでくる。俺の背中に、冷たい汗がじっとりと滲んでいた。反論も、言い訳も、何ひとつ浮かんでこない。


 気がつけば、周囲から小さな笑い声がちらほらと上がっていた。くすくす、ひそひそ。……全部、バレてたのか。


「久我くん、早く席に戻りなさい」


 教師の声が鋭く教室を割いた。俺は顔を真っ赤にしながら、静かに椅子へと戻った。ちらりと沙耶香を見ると、彼女はいつもの、勝ち誇ったような腹立たしいドヤ顔をしている。


 ちくしょう。このまま終われるか。何か方法は……。俺は必至で考えを巡らせた。

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