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月曜日

 はじまりは、いつも月曜日の朝にやってくる。


 学校が始まり、街がざわめきを取り戻す。朝の電車はぎゅうぎゅうで、テレビからはアナウンサーのお決まりの声が流れる──「今週も頑張りましょう」と。


 日曜の夜までは、どうしようもなく憂うつで、できることなら時間を止めてしまいたいと思う。けれど、いざ月曜の朝が来てしまえば、意外と胸の奥は澄んでいる。いや、それはきっと「もうやるしかない」と覚悟を決めただけなのかもしれない。


 でも、それで十分だ。なんにせよ、はじまりは、いつも月曜日の朝にやってくるのだから。


 その“一週間戦争”が幕を開けたのも、ほかならぬ月曜日の朝だった。


 いつもと変わらない通学路。俺はいつもと同じ制服に身を包み、私立一期学園の校門を目指して歩いていた。春めいた陽気にブレザーの前をはだけ、白いスニーカーでアスファルトを確かめるように踏みしめていく。いつもと変わらない、月曜日の朝。


 ――ただひとつ違っていたのは、今日はやけに風が強いということだけだった。


びゅううっ!

「うわっ……!」


 突風が乾いた音を立てて吹き抜け、前髪を無造作にかき乱した。俺はとっさに目を細め、片手を額にかざして風をやり過ごす。そして、おそるおそるまぶたを開けたその瞬間——目の前に広がっていた光景に、思わず足が止まった。


 スカートが、風に揺れていた。

 それは俺の少し前を歩く、名前も知らない女子生徒。制服が同じだから、きっと同じ学校なのだろう。でも、そんなことは今の俺にはどうでもよかった。


 ただ俺は、風にあおられてひらひらとはためくそのスカートに、目を奪われていた。まるで何かを試すように、誘惑するように、布の端が静かに舞っている。


 その女子生徒は、風に乱れる髪が気になるのか、片手を頭に添えたままスカートの危機にはまるで無頓着だった。そのあいだにも、軽やかな布地の裾はじわじわと持ち上がり、彼女の膝の裏から白く滑らかな太ももまでもが顔を覗かせていく。


 細く、けれど緩やかに丸みを帯びたそのラインは、なんというか……目を離せなくなる。男なら誰もが本能で惹かれる、“絶対領域”。いつも見慣れた男のゴツい脚とはまるで別物で、同じ「太もも」なのに、なぜこうも魅力的に映るのだろう。


 そして、ついにスカートは禁断の領域にまで舞い上がった。太もものさらに上、柔らかく丸みを帯びたお尻の端が、風のいたずらでちらりと顔を覗かせる。ぷりん、と音が聞こえてきそうな、弾力を感じさせる質感。


 あと少し。あとほんの少しで、あれが、見える。パンツ、パンティー、ショーツ、ランジェリー……、様々な言葉で形容されるが、とにかく乙女の秘密を守る薄い布地。俺はその一瞬を逃すまいと、まばたきすら惜しんで凝視した。そして——。


「……なーに見てんのよ」


 背後から、ぴしゃりと冷たい声が飛んできた。聞き慣れたその声色に、思わず「うっ」と息を呑む。次の瞬間、すぐさま背中に一撃。肩のあたりを小突かれて、俺の体はぐらりと前に傾いた。


「うわっ……!」


 バランスを崩し、慌てて数歩、たたらを踏む。どうにか踏ん張って転ばずに済んだが、振り返った俺の目に映ったのは、やっぱり——


「……沙耶香かよ」


 初夏の陽に揺れるポニーテールと、いけ好かないドヤ顔。こっちが声を出す前に、彼女――幼馴染の一ノ瀬 沙耶香は勝ち誇ったように腕を組んでいた。


「よくもまあ、あんな堂々と女の子のスカート覗けるわね。幼馴染として、ほんとに恥ずかしいんだけど」


 沙耶香は呆れたように肩をすくめ、芝居がかったため息をつく。俺は慌てて言葉を返した。


「なっ……! べ、別にそんなんじゃねーっての!」


「はいはい。あれだけ鼻の下伸ばしといて、それは通らないでしょ」


「ち、ちがうって! 俺はただ……風が強いなーって思ってただけで……あ、ああっ!」


 前を向いた俺の口から、思わず声が漏れた。ついさっきまで宙に舞っていたスカートは、今やしれっと落ち着いて、本来あるべき場所にすっぽり収まっていた。お尻も、太ももも、完璧に布の陰に隠されて。


 しまった。振り返ってる間に、風がやんじまったのか。……あのまま、ほんの数秒見ていられたら、きっと、パンツが——。悔しさを噛みしめながら、俺は隣に並んできた沙耶香を横目に見る。彼女の目は冷たく、そしてほんの少しだけ、笑っていた。


「男ってさ、ほんとバカよね。パンツなんてただの布なのに、それを見ようと必死になって、みっともなく足掻いて……ほんと、情けない」


 沙耶香は呆れ顔で言い放つ。


「そ、そんなことねーし! だいたい、ただの布なら黙って見せてくれたっていいだろ?」


「はい、それ。そういう発想がもう、最低なのよ。女の子にとっては“ただの布”じゃ済まされないの。そこにあるのは、尊厳と境界線なの」


「……なんだよそれ。意味わかんねぇよ」


 まくしたてるような沙耶香の論法に、いつも俺は歯が立たない。どうせ彼女だって、その場のノリでしゃべってるだけだろうに。なのに俺は、どこが間違ってるのか即座に答えが出せず、毎回その勢いに飲まれてしまうのだ。


「そ、そんなの勝手な決めつけだろ。男だって、誰でもパンツを見たいわけじゃないし……っていうか、見たいパンツは、その……人による、っていうかさ」


 言いながら、自分でも何を言ってるのか分からなくなってくる。案の定、沙耶香の目がすっと細くなった。


「“人による”ってことは、“見たい相手はいる”ってことでしょ。うわ、ほんと変態」


「ち、ちげえって……! そ、そういう意味じゃねえから!」


 しどろもどろになっていると、沙耶香はさらに一歩踏み込んでくる。あの勝ち気な瞳が、まっすぐこちらを射抜いてきて、俺はもう完全に言葉を失った。


 そんな俺の様子を見て、沙耶香は容赦なく追い打ちをかけてくる。


「じゃあさ、私のパンツだって――もし風でスカートがめくれたら、見るんでしょ?」


 俺は声を詰まらせる。何も言えなかった。正直、まったく興味がない、なんて言えば嘘になる。幼馴染だからって、女として意識したことがないわけじゃない。けど、ここで下手に肯定なんかしたら、その瞬間に俺の尊厳は地の底に落ちる。


 そんな中、風が、ふっと吹いた。通学路に巻き起こった一陣の風が、沙耶香の、ほんの少し短めのスカートをそっと揺らす。白い太ももがわずかに覗いた。咄嗟に彼女の手がスカートの裾を押さえる。――なのに俺の目は、反射のようにそこに吸い寄せられてしまった。


「……やっぱりね」


 沙耶香は唇の端を吊り上げ、嘲るように言った。


「心の中ではちゃんと『見たい』って思ってたんでしょ。目が正直すぎて笑える」


 ぐっ、と歯を噛みしめる。図星だったからじゃない。いや、そうかもしれない。でもそれよりも、このままじゃ完全に沙耶香の手のひらの上じゃないか。


 だから、つい――口が滑った。


「……お前のパンツなんて、見たくもねーし。見ようと思えば、いつだって見られるんだよ」


 言った瞬間、空気が凍りついたように静まり返った。沙耶香の目が大きく見開かれ、唇がぴたりと止まる。


「……はぁ? なにそれ。そんな簡単に見られるわけないじゃん」


「見たいわけじゃねえって言ってんだろ。でも、お前が強がってるだけでさ。本気出せば、そんなの――」


 言ってる自分でも何を言ってるのかわからなくなってくる。でも止まらない。沙耶香もまた、負けじと語気を強めた。


「じゃあ証明してみなさいよ。あんたが“いつでも見られる”って言うなら――一週間、猶予をあげる。その間に、私のパンツを見てごらんなさいよ」


「は……? 一週間?」


「うん、本気。どうせできっこないでしょ。口ばっかりのあんたには」


 そう言い捨て、沙耶香は足を速めた。ポニーテールがふわりと揺れ、制服のスカートがひらりと翻る。そのまま校舎の方へと、軽やかに歩き出していく。


「一週間以内に私のパンツを見て、何色だったか言ってみせなさい。見たくないなら別にいいけど。ま、結局あんたには無理ってことよ」


 その背中を、俺はしばらく黙って見送っていた。昼の光がまぶしい。吹き抜ける風も、さっきより少し冷たく感じた。


――やってやろうじゃねえか。


 馬鹿げてる。こんなこと、本気になるような話じゃない。なのに、引き下がったら負けだと、どこかの自分が囁いてくる。


こうして、くだらなくも本気の――奇妙な"一週間戦争"が始まってしまったのだった。



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