86 積まれた塔
※年齢など設定を変更しました。
現在、尚香と章、そして妹の巻での三人。
良子に洋子さんを任せて別で少し待ってもらうことにし、巻が一旦ダンスメンバーに挨拶をしてから、人目の少なそうな出店のテーブル席端に場所を移した。
「えっと……。
上の兄と良子姉はお父さんと洋子さんの子で、先の怒ってた千奈と私は、お父さんの再婚相手の子です。」
「……………」
驚き過ぎて、章の方を見てしまう。
複雑すぎない?
上の子と良子は、洋子さんの子。洋子の子は、章とその兄合わせて4人。目の前の巻と先怒らせた千奈は、血の繋がらない章の義妹ということになる。
また変な顔で章を見てしまった。
「……………何?」
「……何でも…………」
これは結婚を決めた相手には報告必須の事情だ。この時点で不仲がチラチラ垣間見えるのに、後々どうなるのか。
「うちのお姉ちゃんね、洋子さん嫌いでさー。ごめんねー。驚かせちゃって。」
「セットで章君も嫌いってことですか?」
なにせそっくり。
「あの人と一緒にしないでほしいんだけど。」
「似た者同士と思われてるからね~!」
章、自分の記憶の限りでは、何もしていないのに。
「私はいいんだよー。お姉ちゃんは物事に敏感で繊細だから。ちょっと章君有名人になったし、少し好きになってくれないかなーって思ったんだけど失敗!……後で何かサービスしないとな……。」
どこまでも明るい巻ちゃん。けれど、千奈ちゃんは勝手に引き会わされて不憫である。
「今日はうちのお母さん用事で来れないから、うちと良子姉で洋子おばさんも呼んじゃおうって!章兄もさ。そしたら章兄来たの知って、お姉ちゃん怒っちゃって……。お姉ちゃんは洋子おばさんには会わせないつもりだったんだけど。」
巻ちゃん、ふーとため息をつく。会ってしまったらどうするのだ。
「………」
やぱり複雑である。
「俺、……千奈ちゃんも来るって知らなかったから。」
章は良子だけだと思っていたのだ。いても巻。
「章兄ごめんね~。章兄が褒めてくれれば、お姉ちゃんももう少し砕けてくれると思ったんだ……」
「巻、これ千奈ちゃんに。受け取らなかったら、ほしいもの聞いてなんか買ってあげて。おじさんかおばさんに預けてもいいし、それぞれみんなに。道さんからの分も入ってるから。」
と、章が封筒に入ったお小遣いを渡した。
「うん……」
と受け取るも、1枚だけ裸で千円である。
「ナニコレ?」
「巻の分。」
「え?なんで私だけ千円?!?今時千円じゃキングスバーガーのキングセットも買えないんだけど?」
「巻はチビッ子だから、それでいいよ。ミニチョコでもたくさん買っとけば?」
「私が女子で一番、背、高いんだけど??」
168センチあるらしいが、洋子さんの子ではないとは。
後で道からの5千円を貰って喜んでいたが、罰だと言って章は千円のままである。
それにしても、二人はなぜこんな無謀な面会をさせたかというと、実は巻ちゃん、背は高いのにまだ中学1年生であったのだ。そして、あののほほんとした良子ちゃんもまだ高1。
きっと、サプライズで何か変わると思い、相手への思慮というものができなかったのだろう。
あれだけ怒っていたのなら、今日会ったことが母親に知られたら、危険ではないのだろうか。
「大丈夫。千奈姉は、章兄が来たことしか知らないから。お母さん、章兄までは嫌ってない。」
「お母さんが快く思わないなら、洋子さんのことは言わないであげてね。」
尚香、他人であるが一応言っておく。
「……うん…」
少ししょんぼりだ。
「………巻ちゃん、気落ちしないで。お姉さん思いなんだね。両方の家族思いで、本当はみんなうれしいよ。」
巻があきらめたように笑う。
「……うちさ、お父さんもお母さんも、家にいるお兄ちゃんも、千奈姉も神経質でさ………。よくケンカするか会話もなくて。」
みんなではないか?と考えてしまう。それに洋子と章も神経質ではある。
「………お兄ちゃん、喋ってくれないし、引きこもりだし。」
「へ?」
お兄ちゃんとは良子の兄であろう。
「お兄ちゃん、昔からほとんど喋らなくて、高校も途中から引きこもっちゃって、小学校時代も不登校が多くて。中学は大分復帰したからまた復帰するかな?」
「………」
なんというか、巻のお母さんはすごくないか?洋子さんの子なら血が繋がっていない訳だが、そんな難しい子と、ふわ~んな良子ちゃんを引き取ったのだ。話を聞く限り、お母さんも怒りやすいそうだが、これは怒りたくもなるだろう。
けれど、巻はにっこり笑った。
「………そんな家に、良子姉が居てくれて、いつも笑っていてくれて、本当に良かったんだ………」
と、巻は向こうの方にいる良子を見る。
「良子姉、いっつもボーとしてるかニコニコしてて。親やお姉ちゃんみたいにすぐ怒らなくて……。てか、怒っても怖くないし。いつも一緒に遊んでくれて。
お父さん、怒ると怒鳴って手を付けられなくなるんだけど、良子姉は弱いのにいつもその間に入ってくれて……」
「…………そっか……」
尚香、反省する。
この子たちの好き好きな行動で、家族関係がもっと悪くならないかと心配したが、この子たちも大人たちに翻弄されてきたのだ。
それを繋いであげたいという子供の思いやり。行動が間違ったとしても、本来は咎められることではないはずだ。
同時に、洋子もそんな大人に翻弄されてきた。
元の性格もあったのかもしれない。
でも、それだけではないはず。
養護施設の陽君もそうだ。
父親は既婚者であることを隠し、陽の母の妊娠発覚と共に逃げ、母親は生活に疲弊し、陽が成長するとともに愛せなくなった。尚香が陽から受けた久々の電話は、中学生で母親と再会し泣いて施設に戻って来たことだった。
でも今思えば、母親も不器用な人だったのかもしれない。相手の本名も仕事も知らず、養育費の請求もしていなかったし、認知もさせていなかったのだ。最後に光熱費も払えなくなって、幼い陽を家に放ったまま、ボロボロで役所まで歩いてきて状況が発覚した。
みんなみんな、誰かの形跡を辿っている。
もしかしたら、洋子の父も、そんな人だったのかもしれない。
章に音楽が受け継がれたように、誰かの圧迫や苦汁も受け継がれて。
人が生まれた場所で、生まれた立ち位置で、生きるしかなかった時代。
どこかでリュートのような楽器が音を鳴らす。
アベルが掴めず、
カインが持って行ってしまった音の世界。
夏は短く、冬は全てが閉ざされる、あれはどこの山里か。
閉鎖された世界に、行商とともに現れたいつかの吟遊詩人。
初めてそれを目にした子供は、楽器に、歌に、魂まで釘付けになる。けれど、彼にその楽器に触れる未来はない。
そこで生まれ、そこで育ち、そこで老いて土になっていくのだから。
山裾に響く口笛。家畜たちが集まる。
けれどその口笛に、思いを寄せる人もいる。
時は巡る。まだ、ずっと縦に。
男に生まれたら、長男なら家を継ぎ、それ以外の息子は当てを探して生きる。
父親が外から嫁いできた母親をぶつのを見て、そうして、自分もそういう風に生きる。
自分も叩かれ鞭打たれ重荷を負わされ、好きだった何かが見えなくなる。
追っても無駄だから。
どこかに押し込むように。
生まれ落ちた場所が生きていく世界で、生きていく身分。
絃が奏でる音と、物語を奏でる音。
あれはどの時代の、誰が聞いた音だろうか。
少年の目を輝かせたチェロも通り過ぎ、
いつかの少女が夢見た舞も、鍋を詰める釜戸に消えていく。
だから釜戸に、ぐつぐつと煮えるスープの音に、パチパチと燃える火に、彼らは夢を見る。
馬も珍しかった頃?
羊を飼っていたあの里?
それとも、蒸気が何かを動かし始めたあの時代?
全てが、誰かが見て、誰かが弾きたいと思った何か。
奏でたいと思った、歌。
でも、何もかもが通り過ぎていく。
そこに彼らの生活はなかったから。彼らはただ、時代を生きていくだけ。
何もかもが過ぎ去る。
少年たちの全ての思いを、小さな胸に詰め込みながら。
まだそれは、一致しない。
時も、人も、舞台も。
リュートの音が、どこかで響く。
そして、いつしか音はどこにでも溢れ、バイオリンやピアノが、小さな電子ピアノが、誰の手元にもあふれる時代になる。
リュートの音を忘れなかったから。
積み上げられた、どこかの誰かがそれを掴む。
弦を弾いて。
『道子、私ね。女の子のママになったんだよ』
たった一人、マンションの寝室でそう笑うのは長い黒髪を軽くした、いつかの洋子。
鏡の向こうに呼んだ、久々の愛しい妹の名前。
自分に似たような顔をした息子は愛せなかったのに、娘はとってもかわいかった。二人目の息子を愛せなかった分、お詫びも含めて精いっぱい愛したかったのに、夫はいなくなってしまった。全ての子供と共に。
もう道子の写真はどこにもない。それはタンスの奥の引き出しのさらに奥で、ずっと眠っている。
『それでね、大きくなったから運動会に行くんだ』
元夫から送られてきた、小学校の運動会の案内状。
これまで洋子は、良子の園の催しは何一つ見られなかった。いつも動画と写真が送られてくるだけだ。今回元夫に泣き付いたら、後ろで見ているだけにして、会話は良子とだけにしてほしいという約束で見せてもらえることになった。目立つなと釘を刺されて。
今日、若葉おばさんは仕事を休めない。この頃には最初の夫の時から自分たちによくしてくれた真奈美も結婚して地方に引っ越していた。洋子は一人だ。でも今日、学校に行けば娘がいる。
『道子、私、お母さん上手くできるかな』
『すごくいい子なんだ。大地はなんか、運動会行かないみたいなんだけど。二人とも、和司さんみたいに算数は上手なんだって』
大地は息子。和司は二人目の夫で、良子と大地の父だ。
実は洋子は、和司の顔もその今の妻の顔もなぜか思い出せない。
和司とその妻と、長女千奈の顔だけ分からないのだ。会えば彼だと分かるのに。
親戚の伝手で紹介された美しい洋子にベタ惚れになった和司は、猛アピールをして結婚。洋子の性格を聞いた上でも承知し、前夫との長男を抱えて結婚生活を始める。けれど、和司の長男を産んでから次第にバランスが取れなくなる。
和司も、洋子と似たところがあったのだ。
洋子の口が悪くなったのは、二人目の夫から、数年間の暴言を聞いてきたからだ。
自分の長男の自主性が弱く、洋子も不安定で家の中すら回せない。自分の思い通りに行かなくなった結婚生活に妻を怒鳴る。そして、洋子が泣き、それはいつしかケンカになる。洋子は負けそうになれば、同じように言い返して逃げられない家でどうにか耐えた。
前のようにうずくまっていても、誰も見付けてくれない。逃げ出しても、ここには若葉の家に逃してくれる人もいない。一度どうにか一人で逃げたこともある。でも子供も置いて行ってしまったし、夫は怒ってひどく暴れた。後はもう、部屋に隠れるだけ。ただ静かに。
救いだったのは、それでも和司は前夫の子にも自分の子にも親としての責任は持ち、彼らには良い父親であったし、どんなに怒っても洋子に手は上げなかったことだ。
妻が嫌いだったわけではない。ただ、思い通りにいかない自分に、妻に、憤りを押さえられなかった。
逃げ場がなくなって、部屋の隅で縮こまって呻いている洋子を親戚が見付けた時、洋子は痩せてガリガリだった。
そして離婚。
『私ね、今年から良子の誕生日には交代でお祝いさせてもらおうと思うの。
……私と正二とのお祝いよりも、向こうの方が楽しいかな……。でも、いいよね?』
正二は前夫の長男で、章の兄だ。彼は和司との再婚の際、洋子の方に付いて来て、二度目の離婚の時には一人母の元に行った。でも、家族行事は和司の家庭に今でも招待してもらっている。
久々に一人、道子と語りながら、地味な洋服を選んで何度も身をチェックしタクシーで小学校に向かった。昔と違って運動会は給食前に終わってしまう。それでもたくさんの親が来ていた。
洋子は門前でオドオドし、やっと決意して運動場に入る。
しかし、これが失敗であった。
隠れた洋子は全く隠れていなかったのだ。




