82 行ったり来たり
ステージはそのままの流れで、日本人も知っているようなマザーグースに。デザートやコーヒーを楽しみがらみんな魅入る。
先、ステージに出てドキドキが収まらない少女は、ジュースをテーブルにこぼしてしまった。
「っあ!」
と、泣きそうになってごめんなさいとあたふたするも、近くにいた女性のウエイトレスさんが、「大丈夫ですよ」と笑顔ですぐに対応してくれた。綺麗なテーブルクロスに大きなシミができてしまったのに、怒らずに吸える水分だけ取ってそこに新しいナフキンを敷き、また新しいジュースを持って来てくれた。
「ありがとうございます。」
涙目の少女の代わりにお母さんがお礼をしてくれる。
「………」
失敗しても叱られないことと、お姉さんが優しくて胸がじんわりした。
そして曲は、『ロンドンブリッジ』や『Bingo』に移り、ここではもう、歌で笑いが起こる。二人の掛け合いが絶妙なのだ。時々タイミングを外すも、すぐにテンポよく切り替えそれもステージに組み込んでしまう。
寝てしまった赤ちゃんや恥ずかしくて舞台に来れない子、舞台に来なかった大きな子には妹が会場を回り、みんなにお菓子を配っていた。
途中からは、ほとんど大人向けのアレンジ。
ステージに戻り、二人のアカペラ。楽器を置いて少し合わせて踊ると、長い足がスリットから大胆に露出する。映画のボンドガールやマドンナ、70年代後半の日本で大活躍した二人のスーパーアイドルのよう。
幾つかの歌を次々と並べて、次に『スカボロー・フェア』。
郷愁の調べがギターから生み出される。
―――Are you going to Scarborough Fair?
Parsley, sage, rosemaey..........
日本では60年代の洋楽で知られており、元々はマザーグースや伝承の曲だ。
パセリ、セージ、ローズマリー、タイムが並ぶ。
生きることが全て、天と統治者の気まぐれのように思えた時代。
それでも人々は生活を紡ぐ。
野に山に。
恋に遊びながら。
二人のギターが異国を映し出す。どこまでも。
クリスマスに歌われるような讃美歌も一曲。
そして最後数曲は、
彼女たちのオリジナル曲。
流れる、あの日の歌。
あれはいつ?
今のあなた、それとも昔?
でも、私たちは未来を見るの。
あなたに幸せになってほしいから。
―――初めてじゃないよね。
君の名を呼ぶと――――
小さな世田谷の自宅で、少女はお母さんの手元をじっと見る。
重い断ちハサミが、シャリ、シャリ、ジョリと布を裁断する。
金属の重さに反して軽快な切れ味。
職人のハサミからはこんな不思議で潔い、何とも言えない音がするって知らなかった。
とっても面白い。
ドッドッドッドッと、ミシンが進む。
そして行ったり来たり、最後にドドド、ドドドと返し縫をして、布をミシンから外すとスーと2本の糸が伸びてシャリと、ミシンの刃で切る。
少女が仕上げに、小さな糸切狭で気を付けながら、余分な糸をまたシャリっと切った。
はじめておめかしして出掛けた家族での豪華な外出、そして生演奏に歌。
物語から出て来たお姫様のような女性たち。
どれもこれも、少女の中の夢のような思い出。
青いドレスの女性がヴァイオリンを置き、ピアノの人と優しく見つめ合い、すごくキレイな声で歌う。
綺麗な喉、耳に揺らめくイアリング。
二人は踊る。
おしゃべりするように。
でも二人の会話は聴こえない。
だからみんな、耳を傾けて、二人を探すの。
けれど二人は、見付けたらどこかに消えていく。クスクスと笑いながら。
気まぐれなチェシャ猫のように。
施設でもみんなで遊びに行ったりした。時々催しをしてくれる人も来る。お祭りもするし、クリスマス会だってする。
でも…………
両側に座る、お父さんとお母さん。
その少女には、全て胸がいっぱいで、自分もピアノがしたいなあと思うのだった。
――――
「……………」
イットシーの個室で、狭苦しく集まったうるさい一同が、珍しく黙っている。
「まあ、尚香ちゃんは全部ざっくりとした思い出としか残っていなかったみたいなんだけど。」
と、言うのは道。詳しく聞いたわけではない。
「昔見た人って、毎日見ている人でない限り、子供は漠然としか記憶にないからね。大人だってそうだし。」
全てが漠然とした記憶だ。尚香も暫くチラシを大事にしていたけれど、持ち歩いている間にどこかにいってしまった。
「しかも、洋子さん。昔はこんなストレートの黒髪って思ってもなかったし。」
今は緩くカールした短いボブで、前髪も分けているしずっとカラーを入れている。洋子自身の記憶力は非常に良いが、いかせん世に関心がない。
「…………」
誰も何も言わないのでもう少し付け加える。
「お姫様みたいな二人が、すごくきれいに歌っていた!とにかくホテルがきれいで、ご飯が不思議でおいしくて、トークが楽しくて、ギターやバイオリンのセッションや、ピアノがきれいでって、そういう風にしか覚えていなかった感じ。」
「歌?」
章は洋子が歌手だとは知らない。歌ったところも見たことがない。まあ、音楽をしていた人間なので、それなりにではあるのだろう。
「…………」
「……それってすごくない?」
やっと真理が一言。
「って、功。出会ってんじゃん!!」
驚愕の真理。
「まじか?!!」
「っ!ウソだろ???」
「いやいやまさか。」
またみんな、語録のない人間に戻る。
「幼馴染だったのか!!!」
「まで行かなくても、会ってた!」
「いや、胎児じゃん?」
「……てか、俺、最初に尚香さん蹴ったの?」
功、一言やっと話す。
「それは、水を掛けられて当然だ……」
と、納得している。
「悪いことしたなら謝れよ。」
「驚愕な記憶力があるんだから覚えてんだろ?」
「いやいや、さすがに。」
そもそも意識下にない。そんな動作。
「まあまあ、功。ポコって動いただけで、赤ちゃんが蹴ったとは限らないし。」
伸びをしただけかもしれない。
「……くそぅ……。あいつ、勝手に蹴った扱いしやがって。」
「功、やめなさい!」
と、道さんが怒る。実母への悪口であろう。
この辺りの話は、尚香のお母さんたちがよく覚えていた。尚香も言われればお腹触ったかも?という感じではあったらしい。そもそも尚香は、人の顔や名前を覚えるのが苦手だ。そんな風でも対人仕事ができるほどの仕事強者ではある。
「もうこれは運命だよ!」
ナオが感動している。
「尚香ちゃん、『運命!』って言ってなかった?!」
「運命だろ。」
「運命過ぎてどうなんだ?」
「今は運命よりもコンプライアンス時代だからな……」
「運命がコンプライアンスに負けるのか……」
「前世でもなく胎児だぞ。新しくないか?」
「いや、世には物語があふれているので、胎児とかもあるはあるかもしれない。聞いたことないけど。」
「胎児か……。幼馴染枠でよくない?」
「……その議論は、専門家の山本先生に聞かないとな。」
うちの照明技術スタッフの山本さんは、そういうことを知り尽くしている。
「まあ、運命は運命だ。良かったな、功!」
伊那が最終的結論を出した。
なんだか、どう反応していいか分からず、功は「運命……」と、つぶやいている。
「尚香ちゃんに電話しないと!」
真理が泣きそうだ。こんな運命のど真ん中に自分も遭遇するなんて。
「じゃあ、尚香さんに電話しよう!」
と、功もサッと気分を切り替かえ、早速スマホを出した時であった。
「ダメ!」
道が止める。
「尚香ちゃんもびっくりしてるから。」
「照れてる?」
「……運命なのに?」
「それはびっくりするだろう。」
「尚香さんのことだから、もう何か次のプラン練ってんじゃない?」
功がアイドル上がりのバンドマンと知って、給料計算をする女性である。次は何か。
「………あのー………」
好き勝手言う皆さんに、道は言いにくそうに切り出した。
「あのね、尚香ちゃんね……」
少し時が静まる。
「………『呪い?』って。」
「?」
「へ?」
「はい??」
「『これは何の呪い?』って………」
「え?」
道、叫ぶ。
「『これは、何の呪い?』って言ってたの!!!」
「っ?!!!」
「!!!!」
「怖い、呪いだ……って言って2階に行っちゃったの。」
道、みんなが暴走しないように、言うことは言っておく。方や運命、方や呪い。
「……………」
「えぇ??何それ………」
功が、怯える。
「呪い??」
「俺、呪いなの??」
「何?それも新しい……」
ナオ、もう感動するしかない。これだけ人も業界も違うと思ってもいない発想が出てくる。十人十色だ。やはり他分野の人間は必要である。自分たちだと、超現実かロマンスにしか持って行かない。
「感心してないで!ウチら呪いじゃないし!!」
「功が呪いだろ。」
三浦、冷静だ。
「お前らもそうだし。」
功、みんなを巻き込む。
「俺は違うぞ!」
「真理だって違うもん!」
***
部屋を出た功は、廊下で今日もオデコにバンダナを巻いた山本さんに出会う。
「山本さん!」
「あ?なんだ。廊下を走るな。てか、俺のファッションを盗むな。」
今日の功の格好は、山本と同じベルトズボンinシャツに、ギンガムチェックのシャツだ。
「山本さん、よくそんな上手にバンダナ巻くよね。俺、動いてるとおでこから落ちて来ちゃう。どうしたらいいの?ゴム付けてるの?ピンで止めてるの?両面テープで止めてるの?粘着力すごくない?」
「お前の方が頭小さいから、上手く巻けるだろ!そんなもの、スタイリストに聞け!つうか、真似すんなって言ってんだろ!」
「あ、そう!そうじゃなくて、山本さんの勝利だった!」
「は?」
「出会ってた!」
「はぁ?」
「尚香さんに!!」
「………」
噂のコウカさんを山本は知らない。
「あ?なんだったんだ?幼馴染か?過去会っちゃってました系か?前世か?ループか?」
「胎児。」
「…………は?」
「胎児!お腹の赤ちゃん!」
「………?エコーでも見たのか?コウカさんは医者なのか?」
よく分からない山本である。
※日本語、英語版Wikipediaより、歌詞の参照を頂いています。
※チェシャ猫、『不思議な国のアリス』に出てくる木の上のおかしな猫。




