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スリーライティング・上 Three Lighting  作者: タイニ
第十一章 捕まえた時計ウサギ

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80/90

80 見付たマザーグース 



尚香のどうにか追いついている演奏に、重厚な音が重なる。



「!!」


そして声。


低い音から始まる歌、『主の鼓動』。





―――Jesus. My precicous.――


私が幸せな時、私にはあなたが見えなった

そして人を、私を、人生を怨んで初めて知ったの


あなたが私を背負っていたって

泥沼を共に歩いたのはあなたって


そんなことある?―――




驚きつつも、尚香は楽譜に集中した。


尚香が鍵盤にもたつきそうになると、それに合わせてゆったりリードする。


「?!」




―――だったらなぜ。

あなたはもっと早く答えてくれなかったの?


でも、でも、今、私は――――




そして曲は続き、楽譜はD.S.(ダル・セーニョ)からセーニョに戻ってサビを繰り返す。



Lalalala lilala lilalalailalalala lalala......



最後、ピアノから離れる尚香の指と、


ahah....ah......と歌うスキャットに、なめらかな洋子のピアノが入った………





辺りが静まり返る。


「………」



終わり?


え?え?

と呆けつつも、思わず洋子を見ると、強い横顔が見えた。


洋子の顔は真顔の時の章のようで、でも、キリっと澄んでいる。モデルのような姿でモールを歩いていた時より、はるかにかっこいい。



「……………」




場が静まると、洋子は無表情のまま尚香にパチパチ拍手をした。

「とっても上手じゃない。」

「……え、あ、え………ありがとうございます………」

子供に言うようなお世辞で真っ赤になってしまう。


ピアニストが褒めるほどではなかったと思うが、素人の10数年ぶりの即興演奏にしては、まあまあだとは思う。でも、でも、自分の演奏で歌ってもらえるとは思わず、身の置き所のない。


そして、シャンソンのような見えないほどの浮遊感、ゴスペルのような重い声。でも、場面場面で甘い、ポップスも混ざる。そんな歌。

やはり洋子さんはプロだ。完全なプロだ。


演奏会なら楽譜を抱いてごまかすけれど、持つ物もなくて素っ裸のようで落ち着かない。




そしてそれに……


何だろう。



この、この胸から押し上げてくるような、熱い何か。



何?これは?




「あ、あの、今度は洋子さんです!」

「………?」

「人に演奏させて、なんでもかんでも人に弾かせて!洋子さんも弾いてください!」

思わず言ってしまう。

「………そう?」

「そうです!!」


だってずるい。

いつも何もできないような生き方をして、実際店員にも自分で声を掛けられなくて、一人で……誰かといても地下鉄には乗れなくて、なのに………


なのに、章君のように表情のない顔で、まるで世界を見透かす様な目をしている。




と、洋子は急に、これまでどんなに言っても自分では弾かなかったのに、「じゃあ」と少し高さを調整して椅子に座った。

「!?」



そして、身を丸める。

それがスタイルなのか、高い背をピアノに合わせた姿勢なのかは分からない。




ジャン、と一打、鍵盤を鳴らし、


『主の鼓動と』の楽譜を置いたまま、全く違う曲が始まる。



直立座り不動の尚香と違って、椅子の上で身が固まっておらず、指のように全てが滑らかに動く。



尚香の知らない重い、でも流動的な鍵盤。


そこからどんどん世界が変わり、朝焼けのような世界に向かう。


重厚なクラシックだと思っていたのに、これは行進曲?


でもバラードだったのか。

いつの間にかまた歌が入る。



「……………」


何だろう、これは。



技術的なことに関しては、素人でもすごいとは分かる。

でも、もっとすごいのは歌が入った時だ。


歌と、演奏の一人セッション。



尚香も仕事の会食やイベントでプロの歌を聴くことはある。けれど、そこで聴くものと全然違う。


怒涛にも、シルキーにも聴こえ、

ただ吐き洩らしたような声に、色気を感じ頬が赤く染まってしまう。



上手い、本当にうまいのだ。

そして印象に残る。


それ以外どう感想を言ったらいいのだろうか。尚香は音楽畑の人間でもないし、ソムリエでもないので、どう表現したらいいのか分からない。


この曲が、歌がレストランやパーティーで流れていたら、BGMにならない。


きっとみんなが振り向くだろう。



そして、この人自身が、

見とれてしまうほど、儚く、強く、でも艶めいている。




なぜ?どうして洋子さんはピアニストになれなかったの?


歌手になれなかったの?



そう思うほどに。






それから何となく、何事もなかったような洋子と紅茶を飲みながら話をして、洋子さんの晩御飯を確認して、棚に飾ったカチャカチャをまた見て、車に乗り、尚香は家に帰る道を走った。




何?これは。


ドグドグと打つのは、心拍音?


家に帰っても胸の高鳴りが収まらない。

客席で聴いていたらまた違ったのだろう。横にいたから?



そして思う。



どうして私に優しかったの?

幾つか音を外していたのに、時々リズムさえ崩していたのに。継ぎはぎだらけの尚香のピアノ。



道さんから聞いた。

最初に章君にヴァイオリンを教えたのはやはり洋子さんだった。


章君がピアノよりヴァイオリンに興味を示したからだ。


でも、洋子さんは章君にはひどく厳しかったらしい。

自分の理想と外れることは全部許さなかった。


生まれたときから親の音を聴いて、

2歳か3歳にはヴァイオリンを触り、


きっと足付く場もなくもがいていた小さな章君。

浮くことも、沈むこともできなくて……

着地点を求めて必死だった子供時代。



でもそこには何の足場もなくて、




『それに、あの人はっ、…………俺の顔も、見た目も全部気持ち悪いっていつも言ってたから………』


『……なんでお前みたいなのがいるんだって…………』




存在すら否定されて、そう言って電話を切った章君を思い出す。


胸が苦しい。

小さな章君が苦しんでいた、いつかの過去。


きっとかわいい手をしていただろう。

お母さんの手が、胸がほしかったに違いない。



洋子さんはいつも家にいるから、その手は近くにあったはずなのに。


小さな小さな章君が………



洋子さんが30年近くを棒に振ってしまったように、

章君も十数年のヴァイオリン生命を奪われてしまった。




どうして?


なのに………




***




「道さん!」

「あ、尚香ちゃん、お帰り。」


今日、洋子と会うと話していたので、道は金本家でお母さんとお茶を飲みながら、感想を聴きに遊びに来ていた。



そして、尚香も荷物など整理してお父さんやお母さんもいる居間に戻ってくる。

「楽しかった?洋子さんどうだった?」

実は道も数回洋子を連れ出しているが、さすがに郊外までは行っていない。関係的に微妙であったのでできることに限りがあった。


ショッピングモールでの様子を話してから、尚香はまだ少し胸が高揚したまま切り出す。

「……道さん……私。」


「………洋子さんと、セッションしました。」

「……セッション?」

「その、ペアで、ピアノ!」

「………!」

道が驚く。道は洋子が演奏家としてピアノを弾いている姿を一度も見たことがない。


「洋子さんちのピアノで……私が弾いて、洋子さんも………」

「………?尚香ちゃんピアノできるの?」

「……あの、素人ですよ!ヘタクソです!私に合わせてくれて……。

でも、でも、洋子さん、先生だって聞いたんですけど、なんか……そうじゃなくて、すごくて……!」


「……ああ、まあ洋子さんはプロの演奏家でもあったからね。」

「歌もすごかったんです!!」

道は上を向いて何か考えている。

「……」



人前でバイオリンを弾かなかった章と、ピアノを弾かなかった洋子。

人の家の人のいる空間で寝たことがないのに、この家で寝ていた章。



「………あのね、尚香ちゃん。」

「………はい……」


「洋子さんってね、すごかったの。」

「………」

「イギリスでは子供の時からたくさんスカウトが来てたんだって。

でも、横に道子さんがいないとずっと下を向いてて……。道子さんもきれいな人でバイオリンも歌もプロ級だったから、二人で売り出したいって会社やぜひ来てって言う学校もあったみたい。」


「道子?」

お母さんが目を丸くする。

「あ、章のママの昔のパートナーです。歌の。」

道がごまかす。



『道子』の話はタブーになってしまい、道も京子と若葉(わかは)に聞いたこと以外はあまり知らない。

夫の正一(しょういち)もあまり積極的に教えてはくれなかった。



洋子さんのもう一人。


双子で、美人で、モデルのようだというだけで既に売りになる。



でも父親が保守的で、親の目の届かない場所には絶対に連れていかなかった。

ある意味それは正解だったのかもしれない。





扉の向こうで、


誰も触れられない、あなたと私。





でも、その間にその片割れが自分の人生を決めてしまった。

音楽とは全く違う道を。




だから二人は、歌っては目をくらませ、歌っては消えていく幻。


似ていないのに、双子の双子より、もっと双子。

一人が二つになったかのように。


全然違う音色なのに、全然違う絃と鍵盤を奏でるのに、二人は双子とみんな分かる。




回る舞台。


全てが回る。



回っているのは舞台。それとも二人?



二人が弾むそのステージは、どちらがどちらか分からなくなる。


だからこそ聴きたくなる、誰も知らない二人の会話。




でも二人は、チェシャ猫のように気まぐれで、


チェシャ猫のようにおしゃべりしては消えていく。





「……洋子さんみたいな歌は、日本ではまだ大衆が聴くって感じの音楽でもなかったしね。今はラップもR&Bもアイドルが歌って、ポップスのトップに来るような当たり前の時代になったけど、昔はそうじゃなかったし。」

シャンソンやブルースも歌いこなす、不思議な音色。


「それに、どんなにうまくても主軸がクラシックだからね……。

……パートナーが性格も声も溌溂(はつらつ)として明るい感じだったから、デイズニアニメな感じもいけるし、彼女が音楽を目指せば多分日本人も聴きやすくて好きな感じになったとかは言ってたけど、京子おばさん。」

「………」

尚香、洋子さんがもう一人いて、明るい性格、想像できない。



道がため息ながら言った。

「『ダムティー』………だったかな……。私も聞きたかったのに。」

「へー……。私も聴きたかったな。」


尚香が感心して道の話を聞いていると、お父さんが高座椅子からみんなの輪に加わった。

「『ダムディー』?それなら尚香、聴いただろ。」

「?」


みんなの視線が、ミカンをむいていたお父さんに集まった。


「尚香、行っただろ。お母さんとホテルで。」

「??」

「あ!」

お母さんが思い出す。

「あはは。そうだ!双子のコンサートでしょ?」

「……」

「……尚香、覚えてないの?!ほら、尚香、二人と握手したんだよ。」

「……え?」


「お母さんの作ったワンピース来て!」


え?それ、すごく覚えがある。

でも、歌った人の顔までは覚えていない。


「お母さん!まだチラシあるだろ。」

「そうだね……。全部取ってあるからあると思うけど………」

と、ヨッコイショと立ち上がって、これまで見た公演のチラシを挟んだファイルを見に行く。お父さんは自分が見たものは全部ファイルしている。



え?え?


と、なっているのは尚香だけではない。道も横で固まっている。


「尚香、ほら。片方妊婦さんだっただろ。」

「へ?」


「お腹触らせてもらったじゃないか。」


「………?……え?」


隣りの部屋から戻って来たお母さんが、楽しそうにファイルをパラパラ開いた。

「あら、懐かしいのがいっぱい。」

「………」

「ほらあった!」


「!!」


そこで驚愕してしまう、道と尚香であった。









*ダル・セーニョ(D.S.)…………楽譜のフィーネまで戻って繰り返し。

*セーニョ………楽譜のダル・セーニョからセーニョ記号のある場所まで戻る。

*スキャット…………音に意味のない歌詞。ラララやダヴァ、ウォウなど。

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