77 こいつはなぜ
「………」
章を傷付けてしまっただろうか、怒らせてしまっただろうかと、尚香は震える。
なんだかあの部屋のヴァイオリンを見てから、どうにかしたいと突っ走ってしまった。
「……また失敗したかな………」
ボソッと言ってしまう。
『お前のせいだろ!』
と、机の上のものを壁に投げつけて怒って出て行ってしまった人。
『自分がダメだとは思わないんですか?』
と、自分を置いて行った人。
怖いけれど、そうされても仕方ないと思う。
「…………」
尚香がじっとしていると、章がやっと振り向き、不思議そうに尚香の元に来た。
「………尚香さん?」
「……」
「大丈夫?どうしたの?」
章はしゃがみ込んで尚香の顔を覗き込んだ。
「!」
バッと頭を上げる。
「尚香さん?顔色悪いよ?座る?」
「………あ……。功君……怒ってる?」
「……え?なんで?別に?」
「……章君、黙ってるから……。それに私、勝手なことして……」
「……?バイオリンのこと?
いいよそれは。バイオリニスト連れて、バイオリン持ってスタジオに向かってる時点でそれは覚悟してたし。」
「!」
「……尚香さんこそ大丈夫?」
「怒ってない?」
「……?てか、尚香さんこそ怒ってないの?」
「……何が?」
「…………うんん、何でも。」
この前のラナと時空の乱入の件だが、今言うべきでないと、章は胸に戻す。
尚香は目に溜まりそうな涙をグッとごまかし、サッと腕で拭った。
しゃがみ込んだ章は、目の前にある尚香の手を握ろうとし、でもそっと引っ込め我慢した。
「…………」
それをただ見ている他、三人。
太郎がこっそり里愛に聞く。
「リアちゃん、何?あの二人。仲いいの?」
「知らない。功君には先、会ったばかりだし。友達って聞いたけど。」
「恋人??」
「知らないってば。そんな風に聞いてないし。」
「お母さんどう思う?」
「………さあ。でも、明日学校で何も話しちゃだめだよ。」
「うーっす。」
そして、お母さんが買って来たコンビニのドリンクと間食を食べながら、太郎君の正体が分かる。
太郎くんは小学3年生。
そして自ら持って来たバイオリンを弾き出して納得。
奏者に有名なモンテの曲、『チャルダッシュ』。
即興で短縮して、それを弾ききってしまった。まだ9歳なのに、どこから来るのかも分からぬ情緒を込めて。
演奏を終えると、少し落ちついてからピースをする。
みんな拍手。
「太郎君は国際コンクールで優勝もしてるし、いろいろ入賞している、バイオリンの天才児です。」
「…!」
太郎くんまたもやピースをする。尚香が驚いて拍手するも、この男は言う。
「神童も10年経てば……10年後は何をしているか分からんぞ。家で引きこもりかもしれん。それを具現化した俺が言う。」
「功君やめてね。人生はみんな違うんだから。」
「でも俺、バイオリニストどころか、建築家にもサラリーマンにもなれなかった……」
また落ち込む。
「いや、功。ならんでいいやん。」
「大学生にもなれなかったんだぞ。キャンパスを歩きたかった……」
「歩いてこればいいし。」
どうせ大学に行っても、友達もできなかったであろう。クラス行動がないから中学高校より友達作りがムズイ。
「僕ならかわいい小学生やから功が緊張しんやろうって、リアちゃんが呼んでくれたんや。でもちょっと遅れちゃったよ。エーデルワイスから聴いとったよ。」
「功君、勝手に話しちゃってごめんね。尚香さんのせいじゃないからね。」
里愛も謝る。
「大丈夫やよ。そこまで弾けるなら、いつかどこかで弾けるよ。」
そこで尚香が気になっていたことを言ってみる。
「……ねえ、太郎君、東海地方出身?」
「え?分かるの?どこだと思う?」
「……愛知県の私が知ってるところとちょっと違う……。」
「壱宮やよ!」
「えっと……愛知県の上の方?」
「正解!」
「わぁー!行ったことある!」
と、二人で盛り上がる。
「でも、生まれとおばあちゃんちは大阪で、引っ越しも何度かして、壱宮近辺の岐阜にも親戚がおるから、混ざっとるけどね。」
言葉尻は関西に近いが、アクセントは関東だ。
そこで尚香が、安心したように言った。
「これで功君、なんか一つ乗り越えた感じがするね。」
「大きい舞台とか考えとらんなら、今度小さいセッションでいいからしような!」
「私も!」
「リアちゃんは忙しいやん。」
「えー、仲間に入れてよ!」
「……もし………。もし何か演奏するなら、尚香さん来てくれる?クリスマス前後とか?」
功がさりげなく聞いてみた。クリスマスそのものは多分ライブだ。演奏者はそれこそ儲け時であろう。
「……私?」
「……うん。高坂さんも太郎も忙しいだろうからどうなるか分からないけど。」
「僕、忙しいって言ってないけど?いい子な小学生だから家でケーキ食べて寝て、朝にサンタにプレゼントもらう予定やけど?」
「仕事しろよ!」
「なんでやの。」
里愛が確認する。
「もう弾くのは大丈夫?人前で弾けそうなの?」
「…分からんけど、世界はみんな『もずく君』って考えた。」
「もずく君?」
章はこの前ずーずーもずく君の話をされてから、もずく君を検索してみた。地方の特産品のマスコットらしく、もずくのくせに緑もなく人の形態をして中途半端な面をしていたが、もずく感がないと役所にクレームが来て再度練り直したキャラらしい。
「もずくならいいかと思ったけれど、……心に平和が訪れることなくムカついてきただけで、癒し効果がなくてほんと困った。あのもずく野郎ムカつくから、音で蹴散らす。」
「ちょっと、私のクライアントのプレゼント悪く言うのやめてくれる?」
尚香の部屋にはそのぬいぐるみが置いてある。
そして尚香は何気なく言った。
「それに功君、クリスマスなら、彼女を誘わなきゃ。」
「……?彼女?」
「………」
目を丸くしてしまう。俺にそれを言う?
「……いないけど?」
そんな功を見て、太郎君も口が滑ってしまった。
「……二人行き合ってるんと違うの?」
「……今の子って、本当にすごいこと言うんだね…。」
尚香、引いてしまう。
「そりゃ、大人の作った曲を、大人に囲まれて、大人に歌うからね。マセるよ、僕。」
「功君はまだ20歳だし。いろいろステキな子が周りにいるから。ね。」
「…え?ステキな人って?サリカちゃん??」
功は困ってしまう。サリカちゃんは、フォロワー数250万人いるkpopアイドルグループの日本人メンバーだ。功も直接会ったことはない。
「功君の周りにはできる女性がたくさんいるからね。いい人に決めて章君が落ち着いたら、私も安心できるよ。」
「え?そう?」
功、また分からなくなる。ニコニコしている尚香さんが、知らない人に見える。
「なら、功。がんばらんといかんね。僕も功見とると不安やわ。尚香ちゃん、安心させたり!」
太郎も応援団だ。
「…………」
出会ったばかりの二人に変な段差を感じ、同じぐらいよく分からない顔で見ている里愛とお母さんであった。
***
次の日のイットシー。
1人用のソファーに横向きに丸く座りながら、ボーとネットを見ている功。
「……なんで尚香さんは、俺をすり抜けていくんだろう……。何かが違う。」
「何、哀愁に浸ってんだ?」
いい加減、功が鬱陶しくなってきた伊那。
「……鬱の末期の一つが、ニコニコ笑ってることなんだって。」
「は?だからなんだよ。」
「で、お前はなんで昨日、あの後レインを送らなかったんだ!もしかして、美女とどこかに行ったとかじゃないよな?」
スタッフの一人が食って掛かる。
「接客しながら文字を打つには限界があった……。あの場で音声出せないし。」
「言い訳すんな。」
「……なんで尚香さんには、あんな美人の知り合いがいるんだろう………」
「だからどんな美女か教えろ!」
「……ヤダ。」
バイオリン関連だと会社に知られたくない。ドン引きされそうだ。
「コウカさんて、ほんと、どういう人なんだ?」
「普通人。」
「普通人がなんで功に美女紹介できるんだ!」
「社内の仕事で名刺もらったって言ってた。」
「おい、SNS見たか!」
そこに一人スタッフが走ってくるも、メンバーは誰も興味がないし、功もSNSを禁止されているので「いいね!」もできず、聞いたところでおもしろくない。
「バズってる!!」
「…?サリカちゃんが?」
「サリカは、最初からバズリまくってるだろ!お前だよ!!」
「……ふーん。」
今までも数回バズっている。何なら、掲示板でも燃えている。それに自分の動画など見たくない。
「80万だ。いいね。」
「……それいいの?」
「いいだろ!再生数じゃなくていいねだぞ。」
「そんで、LUSHのフォロワーが一気に増えてる。リアルタイムで……。」
「…………どの動画?ニイナちゃんとチェキした動画?」
コラボすると、相手のファンからももれなくいいねがもらえるし、ニイナちゃんはかわいいのでその写真はちょっとお気に入りだ。
「マキタちゃんもかわいいよね。」
「違う!お前の、1年前の歌だ。そのサビがバズってる!2曲も。」
「……?」
縮こまっていた体を起こしてソファーに正座し見せてもらう。
「…………」
それは、功が去年歌ったバラードの切り抜きだった。歌を歌うアップのMV部分。
そしてもう一曲、少し後の歌。ノリのいい曲の冒頭とサビの部分の、功が即興で踊ったダンスのショーツだ。それを皆が真似をしているダンス動画も広がっていた。
「……??なんで今さら?」
「人気が出たから掘り起しされてるんだろ。過去曲が流行ることはあっても、こういう形はけっこう難しいぞ。世間ではずっとアイドル上がり、アイドルからの堕ち扱いされていたしな。」
一度ノれないと、過去曲がここまでバズることは難しい。今の時代、いい曲はできないと言われているが、ミリオンヒットでも現代の曲には負ける。
「世界がやっと俺に追いついた?」
「調子に乗るな。でも、まあそういうことでもあるな。」
「一度言っててみたかったセリフだから。……俺の顔、嫌われてたし。今世紀に流行る顔だったのかな?
……でも……ふーん。そうなんだ。」
そして、どうしたらいいのか分からない。
自分のアップの顔を見れば見るほど、なぜこの動画がバズったのか分からなくなる。でも昔は考えられなかった、塩顔やミルク顔が流行るので、そいう時代もあるであろう。自分は何顔だか知らないが。
曲は与根だ。歌もいいのだろうとは思うが、いろんなバージョンがあるから、このMVじゃなくてもいいだろうに。功は歓声が聞こえるライブ動画の方が好きなのだが、自分の好きと世間の好きは違うのだろう。苦しい。
でも、スタッフは思う。こんな時に、ボーと横になって寝ているなと。普通、弾けた時に一気にメディアに出て顔を広げるのに。オファーだって来る。相手から来るのだ。他の歌手が休みなく必死に顔を売り込み活動しているのに、こいつはなぜ動かないのだ。
でも、功としては最近SNS用の動画を撮りまくっていて、今まで出ていなかった収録にも出て、目まぐるしくいろんな人と会って、挨拶しまくって、ものすごい仕事をしている気がするのだ。
ライブやコンサートより遥かに疲れる。




