62 それは出口?それとも迷路?
「おい、なんで来てるんだ……」
「呼ぶなと言っただろ!」
「誰が、洋子ちゃんを呼んだんだ?」
「呼ばないわけにはいかないだろ。」
「大丈夫なのか?」
「しょうがないだろ。たった一人の身内なのに。」
皆が黒い衣服に身を包む中、身を崩した一人の女性が棺から全く離れず、この出来事を受け入れられないでいる。
空港で倒れた女性がそのまま死亡。
どうして?
どうして道子が?
私でなく?
外国人死亡の際の手続きで追われていた正一は、他の女性たちに洋子を任せるも、洋子はもう何も見えていなかった。
当時、警察も来て検死も受けている。「死んでない!まだきれいな体にメスを入れるのは許せない」と、洋子かあまりにも嘆くため、周りが宥めるのも大変であった。
そして、空港で倒れた道子の死因は、父と同じ急性心臓死の一種と転倒時の外傷だった。
イギリス人でありクリスチャンなのでどうするか皆で話し合いになったが、急遽アメリカからやって来た叔母の京子が火葬にしてくれとお願いした。イギリスにはもう、道子の家族はいない。両親の墓もこの先管理はできないであろう。
既に妊娠8カ月に入っている洋子。
「まずいだろ、家に帰らせた方がいい。」
「家で誰が見るんだ。ここにいた方がまだいいだろ。」
「赤ん坊は大丈夫なのか?」
「……ううぅ………!ひっ、ひぃ………」
立ち上がることもできなくて、ドアに崩れてしまう。
次男と同じく身内だけの小さな式だったが、葬儀屋の男性職員が、このままでは弔いができませんと泣いてしまうほどに悲壮だった。
***
あれから、しばらく洋子は家から一歩も出なかった。
定期健診にも行かず、ずっと道子の遺骨から離れない。
食事もしなくなり、抜け殻みたいになってしまった。
あまりに状態がひどいため、時々若葉の家に息子正二を預ける。正二は母といる時、喋らない母の横にぴったりとくっ付いていた。
「洋子……」
「洋子、聴こえてるか?」
正一が、横で時々声を掛けるが、返事がない。
「少しでもいい。………ご飯を食べよう。お腹の子が、お腹が空いたって言ってるよ。」
そう言って、どうにか少しずつ、喉に何かを通す。
「聴こえてるか?道子さんもお腹の子を心配しているよ。」
「洋子、あと少しだけ頑張ろう……。この子には道子さんと同じ血も流れているんだ。」
洋子が少しだけ顔を上げた。
言葉に気を付けながら、時々道子の名を出す。一週間前よりだいぶ良くなったが、顔に生気がなかった。
周りのアドバイスで、どうにか骨壺を洋子から離し、粉を少しだけきれいなコンパクトに入れてもらい、それを渡した。もう粉になって飛ぶほどで、空気になって見守ってるよと言ってあげた。
生と死を切り離さないと、本当にどこかに行ってしまいそうだった。
死を選ばなくても、妊婦のまま食事をしないようでは、母子ともに危ない。
既に、体に変調が出ていた。
そして、ある日、いつもいい子だった正二が泣き出した。
また弟だけではない。お母さんまで行ってしまうと思ったからだ。
自分が構ってもらえない寂しさもあったが、それ以上に家族が苦しんでいるのは嫌だった。
正一も洋子を抱いて、初めて泣いた。
保健センターの女性職員に来てもらい、家でカウンセリングを受けてどうにか病院に。最初に点滴を受け、自分がもう一人の命を抱えている身だと思えるようになったのは、臨月に入ってからだ。
***
それからはきっと、道子と二人三脚で歩んでいるようだった。
遺骨を小さくしたのもよかったのかもしれない。
けれど、出産後。
みんなが喜びに包まれる中で、違和感を感じたのは洋子だけだった。
出産一週間。
この子の小さな兄が死んだ時期は乗り越えた。実質的に意味はなくともみんな一先ず安堵する。
でも、洋子は本能でハッと気が付いた。
あれ?この子は誰に似たの?
正一さんにも、道子にも似ていない。
この目、この瞳孔。
あれ?この子はどこから来たの?
勉強どころかおしゃべりもできなくて、
叩かれて、
いつも誰かに怒鳴られていた………
これは私?
***
朝の始発電車に揺られて、コトコト帰る尚香。
結局昨夜、道の家に泊まってしまった。章の実母だけでなく継母の家にまで泊まって、自分どうする。
「…………道子さん…………」
『道子……』は、道子さんだったのだ。
長い長い旅に出て、長い、長い夢を見ていたようだ。
昨日、尚香は道にこれもはっきり聞いてみた。
「道さん。道さんは、洋子さんが憎くないんですか?頭に来たりしません?」
なんと言っても、遺産泥棒にされたのだ。
「……あのね、私、これ、洋子さんの意志でしたとは思えないんだよね……」
「………」
「洋子さんにそんな知恵があると思う?弁護士まで出てきたんだよ?」
「へ?弁護士??」
「あんな性格だから、いろんな人が洋子さんを唆したんじゃないかな……。いろいろ都合のいいように。」
「………」
なんだか納得してしまう。プニクロで買い物もできず、見積書に自分の名前も書かないような人が、遺産くれ以上のことができるとは思えない。電話すら自分でしないのだ。手の内も透けて見えるので、今度はどの親戚がけしかけたのかと、むしろ前もって推理してしまう。
「それに、章にそっくりだからね……。することなすこと。怒りたくなることはいっぱいあったけれど、知ってしまえば、嫌いにはなれないし……。」
「…………」
それはなんとなく分かる。
「もしかして、道子さんが『道』なのも……」
なぜ、この道子さんは『道』呼びなのだと思っていたが……
「正君のお父さんがね、もう一人の道子さんが重なるから『道子』とは結婚したくないっていうから………」
「へ?」
洋子さんが思い出すからだと思っていたが、違うのか。
「『道子』はやめて下さいって言うから、子を抜いただけだけど、それで道になりました。」
と、笑う。旦那の方が嫌がったのか。
道も尚香も、当時そこにいたわけでもないし聞いただけだから輪郭しか分からない。道も様々な人から当時を聞いて、なんとなく知っているだけだ。
けれどきっと、洋子さんは戸惑ったのだろう。一番厄介だと思っていた「自分」がまた産まれて、今度は自分が「自分のような子」を育てていかなければいけなかったのだから。
そして道には言わないが、道さんが来た時、洋子さんは本当はホッとしたのではないだろうか。名前も同じ、道子さんのように面倒見のいい、優しい女性が現れたのだ。
「………それにしても……。うちも両親が死んでるんで、あまり他所のこと言えないんですけど………」
なあに?という顔で、道が見る。
「すごい死んでますね……」
「!」
「両家。」
「!!!尚香ちゃんそれ以上言わないで!」
「あ、ごめんなさい。」
あまりの核心に道がおののいている。
それ以上のことを言ってしまうと、この後、章の父まで亡くなってしまうのだ。
「………そうなの……。そうでしょ?…………」
図星を突かれて、力なく答える。
「私、いろいろ見てもらったんだけど、なんか運気が悪いんでしょうね。早死の多い家系ってあるもの。
それで、京子おばさんにイギリスの方の家系も少し調べてもらったら、堅苦しい家って結構そういうのが多くて。精神病みたいな人もいるし……。気も籠るのかな。それで、洋子さんのお母さんの方も辿っていくとね………」
洋子の母は、歌手であり奏者だ。
「病死で若死が多くて………」
「!」
今度は尚香が驚く。ただ、祖母の時代以上を遡れば、戦争やまだ世界が貧窮した時代。どんな家系にも荒れた人がいて、亡くなる人も多かったであろう。それにしても。
「しかもね。多分芸術畑の人たちでしょ?」
別にスターがいるわけでもなく、売れはしなかったし、そこそこ食っていける程度だったらしいが。
そんな世界で出会いを繰り返してきたのだろう。洋子の母はそこまで過去の人ではないはずだが、そのため余計に時代に乗り遅れた夫との関係が崩れたのかもしれない。ただ、家を飛び出してしまうほどの人でもなかったのだが。
「情のもつれや、芽が出なくてあれこれ思いつめて自殺もした人も、ちょこっ、ちょこっといるみたいだし………」
「!!」
尚香。もう、ちょっと泣きそうだ。
「病死も、恋多きゆえの性病とか………」
「!!!」
恋なのか、ただの情欲なのか、今となっては誰も分からないが。
心配する尚香に、道は力強くガッツを与える。
「もうね、うちの家!」
道の実家である。
「びっくりするくらいみんな長生きだから、そのために私が来たんじゃないかって、思ったくらい!!」
「!!」
道の祖母の家系は半島の北から軍に追われて南下したらしく、世界大戦後の様々な動乱を経験しても、ほぼ全員元気に生きてきたらしい。日本が高度成長で復興していた時代も、時に草や木の皮を剥いで食べ、まだ電気も水道も家電もまともになく、少ない味噌汁を皆で囲って分け合い、窯の底の飯粒1つまで水でふやかして食べ、必死に働いて、近所の世話もして、そしていつの間にか祖母家はまあまあのお金持ちにはなっていたらしい。
道の父だけ早死したが、好き勝手生きて、酒を飲みまくって身持ちを崩しただけなので、みんなそんなもんだろうと思っている。
激動に激動を重ねた韓国で強すぎる。尚香もその運というか、強さを分けてもらいたいと思ってしまった。
でもきっと、道さんのような人が生まれて育った家。
たくさんの優しさや、誰かが積んだ数えきれないの忍耐や愛情があったのだろう。
「……はぁ………」
電車を降りて、家に着いて、朝支度をしないとと尚香もどうにか気合いを入れる。今日も、会社で悶々としそうだと思ってしまうのであった。
やっと現在に戻ってきました。少しお休みしながら、ゆっくり更新していきます。




