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スリーライティング・上 Three Lighting  作者: タイニ
第七章 進むのに進めない

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51 いつかの過去と


※家系図をきちっと書いて、少し関係を直しました!



尚香と章。



二人は楽器部屋の整理をして、戸締りなどを確認してから家を出た。



大きめのボックスカー。発車する時、後ろの席から尚香が優しく声を掛ける。


「章君。まだ終電あるから最寄り駅まででいいよ。」

「いいよ、危ないし。うちの責任だし。」

章も静かにそう返す。

「でも………」

「今日は、ほんと、もう送るから………」

「…………。………うん、じゃあ今日は……」

尚香も急にグッタリしてきたので、素直に従った。


「章君、置いてあるひざ掛け使ってもいい?」

「いいよ。それ洗濯してあるから。」

席にきれいに畳んであった毛布は、開いてみると思ったよりも大きい。寒くはなかったが、思わず首まで覆う。



少しボーとしながら、尚香は言いたかったことを言ってしまう。

「……章君も章君の周りも最低だね………」

「………」

「こんなのみんな、呆れるよ。私も呆れちゃった。」

「………」

「……章君、……私がこんなこと言うから怒ってる?」

「…………別に………。最低最悪だったと思うし。」


章も頭が冷えてくると分かる。

普通だったらこんな場面に遭遇したら、絶縁か大げんか状態で終わっていただろう。三人とも。下手したら警察を呼ばれたかもしれない。どんなに前後事情があれ、こんなことは他人に共感させることでもない。


「……尚香さんこそ、うちに愛想尽かせた?」

「そりゃあ尽かせるよ。」

「……」

「……最初会った時から、ずっと尽かせてる。章君のひどい言葉遣い大っ嫌い………」

「…………。」



信号が変わると、動き出す車と共にサーと流れる渋谷の街灯。

車が大きくカーブすると、尚香も遠心力で大き目に揺れる。


「………章君、あんな錯乱した人に、死んだらどうとか言わないでね……」

「大丈夫だよ。あの人、あれでもすごい神経図太いから。第一、あの人が先に言ったんだし。」

「………そうだね、強い人なのかもね……。でも、そう言って本当に自傷することもあるから。」

「……………。」



章は不満だ。


自分は産まれた事さえ否定されてきたのに、今更あの人の機嫌を取るのかと。


神経質そうな顔をして、人の金で生活の質を保って、50近くになっても肌艶も血色も誰よりもいい。孤独ではあっても、言ってみれば人と会うストレスがないわけで、明日も食べられない苦労もしていないからであろう。

洋子ちゃんはいい人を選ばないと暮らせないと、二人目の夫もそれなりに高給取りの男性を周囲が宛がてがった。章と道は追い出されたのに。


「あの人、なんだかんだ言ってハッピーな欧米思考も搭載してるから。自分は限りなく神に愛されてると思ってて、自分の体も至上のものだと思ってるから。」

「……そうなの?」

「でなきゃあの性格で、こんな日本で一人暮らしで生きてこれたと思う?」

「………」

そうかもしれない。でも、外国でも暮らせなさそうだ。



「………洋子さんの実家ってお金持ちだったの?」

「……なんで急に?これ以上あの人の話、嫌なんだけど。」

「あんなピアノを買って、日本に持って来られるくらいだから。」


章はゆっくり話し始める。

「……数代前が昔の末端貴族の傍系で、時代に乗り遅れて商売はじめて、曽祖父の前に一代だけ当たったって感じみたい。普通よりは金はあっただろうけど、ギリギリ見栄張れるくらいじゃね?」

「音楽家なの?」

「じいちゃんの方は普通の商売人で、ばあちゃんの家系はそういうのもあったみたいだけど、音楽家とか言えるレベルじゃないよ。現地で有名な人もいないし。いろんな舞台に出たり楽器や裏方で、どうにか食っていけるような人たちはぽつぽつとはいたみたいだけど。」


それでもやはり、音楽や舞台をかじる人間はいたわけだ。


「ただ少し前の代に、じいちゃん側のその母方の叔父さんたちだけど、もともと領地がなくて家系の名も地名も残らないから少しでも何かにって、音楽文化に財産を寄付した人たちはいたみたい。

イギリスってカトリックを捨てた新興勢力が勝ち取ったから、未来が真っ(さら)で希望もあるけど不安も大きい荒波を行っただろ?」

「…………」

「だから文化も技術も科学も捨てて、いろいろ貧しかったんだよ。あ、象徴的な話だけどね。」



王室が残るような国だったが、自由新地を求め壮大なカトリックからくびきを外したイギリスは、フランスなどと比べ文化発展に遅れを取っていた。そして、新天地の道は開いたが、乗り切ることもできず、新しい力はさらにアメリカへと移ってしまう。


祖父の母方の数代前が、イタリアの資産家女性と結婚。大陸を旅行し雄大な芸術文化に感動した人がいたらしい。祖国のためにと資金は多くないが、有志を集って舞台芸術に寄付をしたのだ。

どれも目立った業績ではないが、地方音楽の保存に力を入れた人々もいたらしかった。


「昔は大陸に比べて、そんなに舞台も音楽も凄いわけじゃなかったし。

俺のおばあちゃんも、ずっと大衆向けの楽団で歌手や奏者で生きてきて、急にちょっといい家に嫁いで、舞台上がりだってバカにされてたみたい。」

先祖たちはそこで出会って、知り合ったって結婚していたという感じだろうか。


章の祖母、洋子の母親は脇役でもロンドンの大舞台で歌えるほどの歌手ではあったが、嫁ぎ先でいい扱いを受けなかった。



それにしても、これだけ親族のことが分かっているのは、やはりどこか、きちんとした家系だからだろう。

最近は親も祖父母のことすら知らないし、子供も自分のルーツに関心のない人も多い。

それに祖父の代でイギリスにいたということは、戦時中か戦後だ。曽祖父が日本人だとすると、その前の代からイギリスにいたのか、それともそれなりの仕事についていたのだろうか。日本人は海外に行くことも難しかった頃である。



でも、章君がこんな話ができるなんてちょっと驚く。

歴史や過去なんて何も知らないし、何でもいいっしょ!というタイプかと思っていた。リンカーンが電話を作ったとかと言ってそうなのに。



そして少し安心する。


章は楽器をてきとうに扱ったりはしないだろう。

もし売るにしても、きっときちんと道を見付けてくれると思う。




「なら、見積もりに名前があったんだけど、『京子・サンドレス』さんっておばさん?」

「……京子おばさんは、俺のじいちゃんの妹。」

洋子の母の妹ではなく、父の方であった。

「子供がいなかったから義姉が死んでから、義姉の子であるあの人を自分の子みたいにかわいがったみたい。」


「日本のスマホ持ってるの?日本に時々来られるの?」

書類にはちゃんと日本の電話番号があった。

「まさか。スマホ番号は若葉(わかは)おばさんのだと思う。今東京に住んでないけど。」

「若葉おばさんって?」

訳が分からな過ぎる。でも尚香、一応見積もりに関わるので聞いておきたい。

「昔、近所に住んでたおばさん。俺も少し面倒見てもらってた。」

「近所のおばさん??なんでそんな複雑にするの?」

「………」

信号で夜景を見ながら、章はめんどそうだ。


「あの人が、自分の名義で小難しいことするわけないし。」

「………でも、業者さんが来る時とか、電話に出ないと困るんじゃ………」

「知らない人からの電話が大っ嫌いだから、川崎市にいるおばさんをわざわざ通すという、鬼畜みたいなことをしている。」

「………」

さすがにそれなりのお金のものを、知り合いのおばさん名義であれこれできないので、名前は親戚の京子おばさん、その他のやり取りは距離が近い若葉おばさんにしたらしい。

普通にこの話を聞けばありえないと呆れてしまうが、あの洋子さんを想像すれば分かる気がする。電話越しにお金のことを言われて、大混乱している姿が想像できてしまう。いったいどうやってピアノ教室を運営していたのか。


「まあ、あの人に電話持たせたら、あっという間に詐欺に引っ掛かっていい様にさせられるよ。あんなに人を警戒してるのに、なんでもすぐ信じるから。」

電話は持っているが、最低限の知り合いや美容室などしか入っていない。実際、洋子は乗せられてあれこれ契約して、あとで人が入ってどうにか解約ということを何度かやらかしている。

「………」

言わないが、洋子さんよりは多少マシでも、章君も似たようなことしそう……と、尚香は思ってしまった。



「……章君、でも、お金ありがとうね………。封筒の………」

「……?」

メンテ代か?とを思いつつ、なぜ尚香が洋子の代理みたいなことを言うのかと、顔をしかめた。


「昔、中学校の音楽の先生が言ってたんだ。ギターが好きな先生で、1本学校に持って来てて。70年代のギターで、今はなかなかいい木が採れないから、最近のギターみたいにオシャレで凝ったものではないけれど、それだけで貴重なギターだって。

あのピアノも昔のいい木を使ってるって言ってたよ。きっと楽器もうれしいよ……。大事にしてもらえて。」

洋子の足元に投げてしまったお金だが。


「……でも…、ドアは蹴らないでね……。物は何でも大事にしなきゃ。あの空間が………全部…音楽の場所なんだよ。」

「………」

「章君は日本の血も流れているんだよ。物にも心みたいなのがあると思うでしょ?………物を、大事にしないと…………」




章は思う。尚香さんは、どうしようもないほどの、胸が抉れるほどの、怒りや悔しい思いをしたことがないのだろうと。世の中の全てを壊したくなるほどの怒りも感じたことがないのだろうなと。


自分や人を壊すより、まだ物に当たった方がいいではないか。マシというくらいだが。


それに、ここ数年やっと安定した収入が入り、生活のために様々物を立て替えてくれた親戚にお金を返すまでになったのだ。


章は本当に思っていた。

洋子の生活をぶち壊したいと。せめて道くらいのアパートに住み変えろと。道や兄が止めなかったら、多分そうしていただろう。



あの家は章にとっても思い出の家で、そして苦い記憶の家でもあった。でも、洋子は離婚をして他の男性と再婚までしたのに、何食わぬ顔であの家を丸々全部持って行ってしまった。




そう思いに浸っていると、そういえば後ろから声がしない。


「………………………」

「……尚香さん?……」


「尚香さん?」

「…………」

寝てしまったようだった。




もう世田谷の下町に入ってしまい、家はあと少しだ。

早く家に着いて起こした方がいいのか、遠回りして少し寝させてあげた方がいいのか。



けれど尚香は、家族でも恋人でもない。子供でもない。


章はそのまま、まだ明るい灯が灯る金本家に直行した。






※この物語はフィクションです。

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