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スリーライティング・上 Three Lighting  作者: タイニ
第七章 進むのに進めない

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50/90

50 彼らは見ている


※非常に口悪い会話があります。苦手な方はお避け下さい。





洋子のマンションの、やっと開け放たれた一室。


たくさんの楽器が三人を見つめる。




尚香と章が、帰る帰らないのまとまらない駆け引きをしていると、少し気が緩んだ洋子が怪訝に思って聞いた。


「……なに?あなたたち、お互いよく知り合った仲ではないわけ?」

「関係ねえだろ。口出しすんな。」

「尚香さんと意思疎通しているのかと。だからあんた、今、家に入れてもいいと思ったのに。」


最初は尚香との関係を章には黙っていたものの、見積もりの話ができるなら章と相談の上だろうと思っていたのだ。洋子はよくそういう勘違いをする。勘違いというのか、その時ごとに自分の都合のいいように物事を考えるのだ。


「俺が来るなら金が引っ張れると思ったんだろ?」

「下品なこと言わないでよ!」

実際、これまでの楽器のメンテナンスは、数回は京子おばさんがし、後は章のお金や章の住むマンションを貸した親戚のお金でしてきた。本当は洋子、見積書自体もよく分かっておらず、楽器名の項目はともかく、手数料や割引や消費税という言葉と数字が入ったところで一気に脳内が飛ぶ。



「尚香さん、行こ。」

「………」

一旦写真も撮った。メンテナンスのお金の目途も立った。この床に投げられたお金が何であろうと、これは親子のやり取りだ。尚香が口を出すことでもない。もう今日は引くべきか。章も尚香を急かす。

「行こうよ。」



「勝手なことしないで!!」

今度は洋子が怒った。


洋子としては、久しぶりにまた誰かと話をして寛げるという期待もあったのだ。



どんなに見渡してみても、明日になれば自分は一人だ。




「………ほんと、頭ん中何が湧いてんだよ……。

尚香さん、この人寄生虫みたいな人だから、マジ無視した方がいいから。」

「勝手に私の言葉を奪わないで!あんたが寄生虫でしょ!!」

「………」

どっちも最低な言い分である。フォローのしようがない。


「分かりました。必要なお話は済んだので、今日は帰ります。」

尚香が言い切る。

「待って、尚香さん。もう少しいいじゃない!」

「はぁ?何言ってんだ?もう夜だろ?」

「黙ってて!まだ見積もりの話をしてるの!!」


「売れよ!」

「……はあ??」

「他人の金でしか管理できないものなら売れよ!どうせ仕事だって再会しないだろ?ただのコレクションなら売れよ!!」

「勝手なこと言わないで!」

「父さんのコレクション処分したのに、自分の物は売らないのかよ!!」


「?!」

尚香が戸惑う。


「全部じゃないし!だいたい今の時代、CDなんてなくでもネットで探れるんでしょ?」

「ネットにも半分以上残ってねえよ!」

家にあった数千枚のレコードやCDだ。メガヒットしなかったもの、インディーズや現在精力的に活動していない歌手の物はもう買えなかったりする。


「二束三文みたいな金で売ってバカかよっ。」

集めるのは数百万。そして、たとえ実際に二束三文どころか引き取り処分でも、絶版したもの、初版や限定品、テスト版も多かった。半分以上は金にならなくても、買い取った人間はウハウハであっただろう。今、世界的に有名な歌手の自費制作時代のものもあったのだ。


章はアルバムの市場価値はどうでもよかった。ただ、二度と聞けない音に思いをはせる。頭の中に音はあれど耳で聞く誰かの音は声は、その人だけの特有のもので特有の空間だ。



それに、それは章の遺産でもあったのだ。大好きだった父の。


そして、現実的に既にその時点で洋子は離婚をしている。離婚時の財産の分配は曖昧なままだったが、洋子のものでもなかった。



あの後、日本に帰って来ていた章は、急いでかつて住んでいた家に戻った。せめて父の所蔵していた専門書や写真集、仕事道具だけは捨てられないように。そのころ日本にいた兄も気が付いて様々な物を分けておいてくれたのだが。


無造作に他人に入られ、棚卸しされ、大部分空になった父の本棚。それを見た、章の兄のショック。兄は絶対に章にその風景を見せたくなかった。好きなだけ音楽が聴ける場と、父の蔵書が小さかった頃の章の逃げ場だったからだ。



そして章が帰国してから見た、もう別のものになってしまった、

かつての音の部屋。


断捨離された、音のない空間。


ただシンプルな、オシャレと言えばそうなのだろう静かな空っぽの空間になってしまったのだ。




引っ越しが多かったので、章だっていつまでもそのままにできるとは思っていなかった。でも、自分の知らないうちに全てどこかに行ってしまった。


大人にはいつか整理すべき荷物で、いつか無くなるものでも、まだ世界を知らない章にとっては、それは未来を作っていく永遠に思えるような資材であったのに。




「バカとか言わないで!!怒らないで!」

「お前が怒ってんだろ?」

「お前も言わないでって言ってるじゃない!最初に怒ったのはあんたでしょ!!」

「あんたみたいな人に怒らずにいられるかよ!働かないなら売った金で、好きな服でも何でも買えばいいだろ!」

お前もあんたもどっちもひどいと尚香は思う。


そこで、バフっと章の顔に、ソファーのクッションが投げられた。


「このピアノを生活に変えろって言うの?」

事情を知ってみれば洋子の身勝手な言い分だが、今までと少し声のトーンが違う。

「!?」

尚香が見ると、洋子がひどく(いか)った表情をしていた。


「全部とは言ってないだろ!ピアノだって一台でいい!バイオリンも弾かないくせに売れよ!!どんだけ持ってんだ!」



その瞬間バシっと音が響き、尚香がビクッと身を縮めた。

「っひ!!」


章の頬に平手が飛んだのだ。


洋子が章の襟首を掴み、もう一発叩く。今度は拳で胸元を。

「そんなこと言わないで!!」

「…っ!」

「絶対に言わないで!!」

もう一発叩かれそうになり、章は洋子の手首を掴んだ。

「いい加減にしろっ、つってんだろ!!」

と、章が凄んだところで、

「ひっ!」

と洋子の方が急に章に恐れを抱く顔で床に縮こまった。



「やめてっ。」

「ああ?」


「……やめて下さい!

ごめんなさい!!」

「?!」


洋子が突然敬語で身を守りだした。



そしてなぜか顔も体も縮こまったまま、章に両手首を出した。

「やめて………。」

「は?」


「……これでやめて!」


「?」

異物で見るような顔で章はそれを眺めるが、だんだんムカついてきて言い放った。

「そうやって人の気を引こうとするのやめろよ………。」

「あ……あ゛……」

と洋子は唸ると、床に座り込んだまま、また先の勢いに戻って叫んだ。


「ピアノは売ってもバイオリンは絶対売らない!!」

「……!?」

「……バイオリンは売らない!!」

「……」

「私が死んでもバイオリンだけは売らないから!!」

「死んだらあんた以外誰が管理するんだよ?!」

「絶対に売らないで!!」

先までと違う必死さだ。



もうだめだと思って、尚香がリビングにあった羽織を持って来て飛び出す。

「本当にやめて!やめてってば!!」

「!!?」


二人が黙った隙に、こんなに背が高いのに心許なく座り込んだ洋子の背中に、その羽織を掛けて抱いてあげた。触れると、洋子の肩が震えている。

「尚香さん!」

「章君もやめて!」

「……でも……」

「今はやめて!!」

「…………」

章が大人しくなる。


「……でも、尚香さん……」

「章君、今はだめ。章君なら分かるよね。」


「……分かるわけないから……」

「………」

「分かるわけがないし、分かりたいとも思わない………」



「正直、いい気味だと思う…………」

「……………」

尚香は何も言わずに、洋子の背を擦る。



「その女が、俺を叩いてきたんだ。」

「………」

「俺の顔も、存在もだめだって………。お前だけ普通の子じゃないのが生まれてきったって………。」



出来損ないで、普通に生きられない、そして何にもなれない子供だと。



「こいつに事情があっても、だから何だよ。」

「…………」


「………尚香さん、なんで…………」


少し潤んでいるような、訴えるような章の目。

でも、尚香は姿勢を変えない。


二人とも背が高く態度も高圧で、普通の人には怖いほどの見た目。今、どちらかに傾いたら、きっと揺らいでしまうだろう。自分も立っていられないほどに。




背中を見せて帰ろうとする章に、尚香は言う。

「章君、待ってて。」

章は振り向く。


「少し待ってて。一緒に帰るから。」

「………」

そう言われると章は黙ったまま立ちつくし、しばらくしてピアノ部屋にあった猫足の椅子に、顔を逸らして力なく座った。


今度は洋子に向く。

「……洋子さん?」

洋子が小声で何かつぶやいていた。

「…………売らないでほしいの。バイオリンは……」

「大丈夫ですよ。ピアノもバイオリンも売りません。一先ずメンテするだけです。立てます?」


尚香は洋子を起こし、寝支度をさせて部屋に連れて行った。





一人残された章は、二人から目を逸らし眉間にしわを寄せる。


数分そうしてから、顔を上げると、そこには物言わぬピアノたちが並んでいた。






***




尚香は自分のカバンに入っていたグミや栄養バーを、用意した水と一緒にトレイに乗せてベッド横のサイドテーブルに置いておく。



この前寝たベッドに洋子が横になると、尚香もベッドサイドに座ってもう率直に聞いてしまった。

「洋子さん、普段睡眠薬とか飲んでます?」

「……何それ?………」

睡眠薬を知らないわけでもない。ただ、洋子は自分がなぜ?と思っただけだ。

「病院とか行っていますか?」

「病院?……知らない。病院嫌いだし。」

こんな状態で、病院にも頼らず生活してきたのか。いや、行ったことはあるのかもしれない。でも精神科や心療内科は、相性も含め当たり外れもあるだろう。行ったことがないのかもしれないし、やめてしまったのかもしれない。



「今日、寝られます?」

「…………分からない。」

正直尚香も、眠れないと言われたらどうすべきか分からなかった。そう言われたら章を先に帰らすしかない。

「明日、起きた時に不安なことがあれば、この前おっしゃられてたおば様か、先見積もりに付き合ってもらったって言ってたおば様に連絡して見てくださいね。ここにあるお菓子はよかったら食べて下さい。」

「夜、お菓子は食べちゃダメなんだよ。」

「なら、明日の間食にでも。」


「………明日起きたらいないの?…………」

「仕事もあるし、………今日は帰ります。」


また長い指が、尚香の手に絡まる。

「…!………」


「……………行かないで…………」


「…………ごめんなさい。また楽器のことでご連絡しますから。」

「………ならしばらく手を繋いでいて……」

「……」


少しだけそうしていると、洋子は思ったよりも早く寝てしまった。まるで全てに蓋を閉じるように。それでも、寝室に入ってから20分近く経っている。章はまだいるのだろうか。



ゆっくりゆっくり、手を離す。





リビングの方に戻ると、開いた引き戸の向こうのソファーに、脚を組んで腕も組んでむっつりしたままの章がいた。嫌そうな顔以外、先の洋子にそっくりだ。


「章君……待ってたんだね………」

「…………」



尚香は章の前に来た。





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