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スリーライティング・上 Three Lighting  作者: タイニ
第七章 進むのに進めない

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48 何悌あるの?



スーツの男性たちに、一同は止まる。一人だけオフィススタイルの女性もいた。


「加山さん!」

一番最初に目に入った男性に、尚香が驚いていた。その男性が最初に挨拶をする。

「お話中すみません。私たちも金本と同じコンサルのジノンシーで、私は同じ部の営業の者です。」

尚香がハッとし、立ち上がって礼をすると、イットシー側も立ち上がる。

そして、会計から戻って来た本部長久保木もいた。およっ?という顔をしている。



尚香としては、駅の反対側で遠いため、あまり会社の人が使わない店だと思ったのに。

「皆さん、どうしてここを?」

「兼代さんがおいしいって言ってたから。」

兼代、どこまでも尚香に踏み込んでくる男である。穴場なので、ジノンシーに気兼ねしない仕事帰りの飲みの場にしようとか言っていたのに、提案した本人が早速裏切り者である。


そこで困ったのが、イットシー側の紹介だ。社長が尚香を見てどうしようか訴えると、尚香は取り敢えずその場で繕った。

「仕事ではなくて……知り合いです。」

「……あ、そうなんですか?」

ジノンシー側は、名刺が並べてあったので会社関係だったと思ったのだ。ただの知り合いだったら、会釈だけして去ったことだろう。


困った尚香。転職準備や副業をしていると思われたらどうしようと。副業禁止ではないし、転職にもそこまであれこれ言われないが順序はある。尚香が進めている企画も多いのでどう思われるか分からない。



しかし興田が言ってしまう。

「私たちは仕事で来たんですよ。この会食も経費です。」

「!?」

これには全員が固まってしまった。ジノンシー側は、一瞬意味が読み取れない。後の一言はなんだ。


社長がすぐに場を切り替えた。

「金本さんには知り合いとして、ちょっと分野外の視点でアドバイスを貰っていただけです。時々お世話になっていて……」

「そうなんですか。」

それにしても、相手は4人だ。


「どうしましょ。午後すぐミーティングになりますけど……、金本さん遅くなりますか?」

女性社員が時計を見る。ここから会社に戻る時間も考えると、切り上げるにはすでにいい時間だ。

「あっ、行きます!」

「なら、一緒に行きます?」

久保木が聞いてみる。

「……挨拶してお送りしてから行きますので。」

「そうですか、なたらまた後でね。」


しかしさすが営業たち。雰囲気は悪くなく政木と何か砕けた話をして握手をし、それから楽しそうに挨拶をしていた。

「金本さん。」

「?」

少し気が動転したままの尚香が声の方を向くと、久保木が「じゃあ」と笑顔で手を振るので、尚香も軽く手を振り彼らを見送った。




一方、イットシー側は彼らが去るとしーんとしてしまった。


「あの、私も時間なのでもう行きますね。」

尚香が席を立つ。

「あの、尚香さん…」

「大丈夫です。功君には控えさせますし、私も控えます。ご迷惑おかけしました。」

と、慌てた感じ笑った。


ナオはこのままではいけないと、もう少し話したかったが、突然尚香が礼をする。そして、どうしたらいいか社長に尋ねている間に、尚香はサッと会計を済ませ店を出ていってしまった。




やってしまった―っと思うイットシー。


「興田……。最後のあれはいくら何でもダメだろ。」

三浦もさすがにひどいと思う。相手が意味を分らなくても、言い方からして嫌味を含んでいるし、鋭い人間には分かるだろう。何か意味深だと。

「ぬるいくらいだと思ったけど。」

興田は、もう少しいろいろ言ってしまいたかったのだ。


「………でも、尚香さんが功に全然なびかないのが分かった気がする……」

ナオが落ち込む。

いかにも手際が良く、仕事ができそうな集団。まさにシューナミュージックやエンタメの営業や企画のような者たちが、尚香の普段の仕事相手であり仕事仲間なのだ。実際にはみんながみんな、そんな雰囲気ではないのだが、今のナオにはそう見えた。


彼らが独身なら、年齢からも功は相手になりそうもない。


あんなスーツを着こなしている集団。尚香が、ラフな私服で血気立っている面子と仕事の相談をしていると聞いてどう思ったのだろうか。一体金本さんは何をしているのだ、仕事ってなんだ、くらいは考えたのかもしれない。

こっちが何か訳アリそうでも、敢えてにこやかに接してくれたのであろう。大人だ。



そして、後々これはイットシーの思いがけない後悔にもつながる。





同じ頃、急いで店を出た尚香はまた駅を越えて、先の営業とは出会わないあろう道を歩いて会社に戻る。

正直尚香もどうしていいかなんて分からない。最近の章とは、なんだか本当に親戚のお姉さんみたいで、ちょうどいい距離感なんじゃないかと思っていたのも確かだ。

けれど先のように言われると、このまま章と近過ぎてもお互いのためにならないのも分かる。でも、今となっては、全く身を引きますとも言えない。



洋子とも関わってしまったからだ。



章が怒鳴って、怯えた洋子の姿も頭から離れない。

あの顔、あの目はフェイクではなかった。



まだ連絡がないことだけが一線を引ける理由だったのに、



その日の夕方、

あの日以来初めて洋子からの着信が来てしまった。




***




「尚香さん!」

一人暮らしには贅沢な都内のファミリータイプのマンション。


オートロックと玄関も開けてもらうと、そこにはスラっと背が高く、前より少しだけ崩した格好の洋子が嬉しそうに迎えてくれていた。



けれど、尚香には分かる。洋子の顔はただ嬉しそうなわけではない。ずっと誰にも合わず、でもやっと人と会えてほっとしたような、やっと誰かと話せたような、待望していたような、少し病み上がりのような感じ。



それが当たっていると分かったのはリビングに入ってからだ。


前のように整理されていない。部屋自体はきれいだ。不潔な感じはしないし匂いもない。でも、物が片付いておらず、服がまとめてソファーの背もたれに掛けてある。台所にはグラスやコップがあちこちに置いてあった。

「ごめんね。一応ここには集めたの。洗うのは後でしようと思って……」

尚香を呼んだので、片付けるには片付けたらしい。


「何か飲みたい物は?」

「大丈夫です。コップ洗いましょうか?」

「気にしないで。食洗器があるから。でも時々ボタンを間違えて洗えてるのかどうなのか不安で……。この前は切れてたのにずっと洗剤を入れ忘れて……。私、洗剤も付けなかった食器使ってみたい。」

そしてまた、ズーンと落ち込む。



それでも尚香は様々なコップやお皿を洗い、それからお茶を入れて座る。


「ごめんなさい……。しなきゃとは思うのに。でも、一日に何度か水を飲むとあっという間に溜まっちゃって。」

何かに怯えるように言う洋子を、尚香はたしなめる。

「気にしないで下さい。あの、楽器ですけど修理や調律はできました?」

「……ま……あ……、まあ。見積もりまでだけど……」

章が知り合いを通じて頼んだらしい。

「立ち合いに、誰か来てくれたんですか?」

「引っ越しちゃったんだけど、若葉(わかは)おばさんが、ここまで来てくれて……」

わかはって誰だ。前に言っていたおばさんとは違うのか。

「おばさんには頼らないって、決めてたのに………」

頭を抱えている。



「あの……、業者さんが見たこともないピアノで、全体の修復もするなら一度会社に戻って見積書を改めるって言われて。それで届いたんだけど、見積もりを見てほしいの。これでいいのか分からなくて……」

「……」

尚香も、楽器関係の見積もりなど分からないものの、スマホで検索はしてみる。


「おばさんはその日帰って……、電話したら大手だから大丈夫だって言ってたんだけど。」

調べてみると、まずピアノは相場よりかなり高い。

「二十年間ほとんど使っていないし、表面も手入れし直すって。カビが心配だって言ったら、全体の掃除もしてくれるって。」


バイオリンはピアノを見てくれた方におばさんが頼んでくれ、5(ちょう)をお願いした。

「これもずっと使ってないから………。」

そちらの見積もりも相場が分からないし、文字で見てもどんなヴァイオリンか尚香にはさっぱり謎だ。

「この2挺、高いですね……」

「業者さんが、この2挺は多分元々の値段が軽く100万越えるって言ってたから、ちょっと手入れも高いみたい。こっちは今の査定なら30万から50万くらいだって。だからこれより安い。」

「………」

推定100万以上が2挺、それ以外が数挺。尚香、めまいがする。


「お金のこともあるし、すぐに弾かないなら、もう少し眠らせて奏者が現れてから完全なメンテをしたらどうですかって言われたんだけど、来年カビだらけになったらと思うと怖くて……」

「ウチも湿気が凄い時、家の壁と家具に去年カビが生えたけど、漂白剤を付けて拭いたら今年は大丈夫だったので、そこまで気にすることはないと思いますよ。」

多分だが。

「ひょうはくざい?」

「洗剤の一種です。はは……高級な木材の楽器には使えないかもしれないですね……」

軽く万越えの楽器にそれはないかと思うも、尚香、もう拭くだけいいじゃないかという気分だ。この家の温度湿度を保てばカビなど生えまい。


「他に家にあるのは一旦拭いてくださいって、サービスで布巾を貰って……。一応全部拭いたんだけど中までは拭けないし。ケースの布部分はなんかこのスプレーで少し湿らせて拭いてって。それから乾かしてから蓋をしたの。拭くだけでカビ、大丈夫なのかな……」

よほどカビが気になるらしい。


それに、まだ家にあるのか。なぜそんなにあるのか。



「……それで、おばさんに、もう、その5挺を残して全部売ったらどうかって……」

「……!」

尚香は思わず洋子を見た。


「……………」




思う。

章君に譲ってあげればいいのでは、と。



章もおそらく40万円のケースにふさわしいものを1挺は持っているのだろう。


けれど安いものはケース込みで2万円と言っていた。



尚香の日舞のように、続くかも分からない()だしや趣味の範囲ならそれでもいいのかもしれない。

でも、章は音楽を糧にする人間だ。たとえみんなが言うようにヴァイオリン自体の才能がないとしても。



すぐ壊すから?

違う。章はきっと音に敏感だ。


もしかして、章君自身にお金がなかったから?





そして尚香、思い出す。

「あ!」


何?と、洋子が見た。


「そういえば私、知り合いにヴァイオリニストの人がいるんです。修理まで詳しいか分からないけれど、教えてもいいならこの見積もりでいいのか聞いてみましょうか。」

「そんな人がいるの?」

「向こうから見たら本当にただの知り合いの一人だし、長らくお会いしていないし、忙しかったら迷惑かもしれないので、一旦聞くだけです。ピアノのことも分かるかもしれないし。」

昔の仕事で関わった人だ。ちょっと図々しいかもしれないが、これだけいろんな楽器があるなら興味を持ってくれるかもしれない。売られる可能性のあるヴァイオリンも、どうしたらいいのか聞けるだろうか。



「……あ、そういえば洋子さん、私、これだけ話をしても、この家でヴァイオリンもピアノも見たことがないです。見せてもらってもいいですか?」

宙に浮いたような話をしていて落ち着かない。



「………そうだっけ?」

「はい。見たことないです。」


洋子、ポカーンと考えている。これは章と同じ症状ではと、またしても思う。人が自分の状況を知っている前提で勝手に話をするのだ。


そして、ピアノを見られるのを嫌がると思えば、何もなく洋子は姿勢を変える。


「ならあっち、あっちの部屋だから。」

と、しなやかな手で閉じられた白い引き戸を指した。





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