45 素直な章君
「はい、そう。そこ手を添えて。」
そう言って、章の手の角度を合わせるのは、尚香が半年習っていた日舞のお師匠。
既に挨拶とスリ足を覚え、一番初歩の踊りを覚えた章は、様々な角度を合わせてもらっている。
「ストップ、そう。腰を落として………」
一通り終わると、周囲から拍手が起こる。みんなきれいに着こなした着物で、自分だけそのままのTシャツ。章はそんな中でも美しく目立つ。全員が感嘆した様子で魅入っていた。尚香もあのライブ以外で章が何かを披露しているところを初めて見るが、これは文句がない。きれいでかっこいい。
生徒さんたちにも、一応章のことは少し話している。歌手をしているけれど、あまりそこは触れず何もない普通の生徒として見てほしいと。多少身内には話が広まるかもしれないが、みんな合意してくれた。
「中江先生、細かい所合わせてあげて。」
「はい。」
若い男性の先生に指導を任せると、60代後半の年配夫人であるここの一番の先生が、見学していた尚香の元にやって来た。
「先生、章君どうですか?これからできそうですか?」
「尚香ちゃん、すごい子連れてきたね。こんな子、家元の方でもそうそういないよ。」
朝10時にここに来て他の生徒さんが復習をしている間に基礎の基礎を習い、最初の音合わせを数回見てから大きな動きは次のリピートで既にできてしまった。雅楽や日本の民謡は知っているが、日本舞踊は初めてらしい。
「表情が硬いし、ちょっと背が高過ぎるけどね。あの背丈だと猫背になりやすいのに、やっぱりダンスやアイドルをしていたからかな……。立ち姿がきれいだわ。何センチなんだい?」
「……180越えてるとは思いますが……」
「もっとあると思うけど……」
一応、先生には章の詳細は伝えてあるし、性格の困った部分や心配事も言ってある。
尚香は、洋子を思い出す。洋子も175センチの身長でヒールまで履き、それでも背筋が美しく堂々と歩いていた。
……洋子さん元気かな……。
すぐに電話が掛かってくるかと思いきや、意外にも洋子からは何も連絡がない。一人で沈んでないか心配したが、全く一人でもなさそうなので誰か見に来ている人もいるのかもしれない。
「ねえ、尚香ちゃん。この子、腰を据えてやらない?多分、一気に次のに行けるよ?」
「でも、仕事がありますからね……」
「家元に紹介したい気分なんだけど。」
と、先生も笑っている。
驚いたのは、現場でああだこうだごねるかと思っていたのに、章は無口で至って真面目である。話したのは挨拶と名前だけ。あとは、時々「はい」と言うのみ。
ずっと真顔で、全く私語をしない。そして、先生の言うことを全部素直に聞いている。
こんな寡黙な男ではないだろと言いたいが、ものすごい緊張しているのだろう。他の生徒さんたちはクールでかっこいいいと思っているかもしれないが、先生は見抜いているらしく、「ほんと、顔が固いね~、最初だから仕方ないか」と言っている。場に慣れたらもう少し大丈夫だと思うのですが…と、笑って返した。
1時間半のクラスが終わると、先生が章に聞く。
「章君、どうだった?」
「あ、はい。ありがとうございます。」
…………。
と、そのあと話しが続かない。
「章君、どう?今度も来られそう?」
すると章は、普通に話せばいいのに小さな声で尚香に聞く。
『………今度尚香さんは来れるの?』
「……会社がある時に何度もは無理だなぁ……」
そこで先生が言う。
「夜7時の部があるよ。今度は着物着ましょうか。ちょっと裾が間に合わないかもしれないけど、うちに男物いくつかあるからいけるんじゃないかな。足は?足袋はそのサイズあるかな……」
「でも、夜は章君がダメだよね……」
『…………日にもよる………』
と、なぜか尚香を通すが、先生も聴こえてたので先生が質問をした。
「章君は一人では不安?お稽古どうだった?」
「大丈夫です………」
と、だけ言って黙ってしまう。
そこで一人のおばちゃんが入って来た。
「尚香ちゃん!他の日に来たらウチらが見てあげるから。」
四軒茶屋の奥様である。
「金本さんとこの、道さんの子でしょ?うち、道さんとも仲いいから安心して。この前、ゴミ拾いしたでしょ。」
「……」
章は無言で驚く。
「他の曜日にも私みたいな世田谷のおばちゃんたちがいるから、分からないことがあれば任せて!今度も来なさいね。」
そう笑うので、不安がっている章をそのままにして尚香がお願いしてしまう。両親と仲のいいご近所さんたちだ。
「じゃあ、貴世さん。章君が来るとき、一緒ならよろしくね。まあいなくても、徐々に慣れてちょうだい。時間にここに来て、先、説明したことまで順番にして後はお部屋に入っていればいいから。あれば今度は着物着せてあげるからね。一つ一つしていきましょう。」
先生も優しく言う。
そこに先、指導していた男性の先生も入って来た。
「金本さん、ほんと、お久しぶりです。」
「中江先生。今日はありがとうございました。」
「すごく筋のよい方ですね。」
と、章を見て褒めるも章は固まっている。
「金本さんもまた習いに来てくださいね。いつでもお待ちしておりますので。」
「はい、仕事が忙しくてまたその内ですが。」
と、笑い合い二人は稽古場を出た。
***
「章君、君大丈夫?」
車の中で、後ろの席から尚香が聞いてくる。
「……………」
「……もしかして無理?だったらもう少し間を取って、返事を遅らせてもいいよ。少し考えてからお返事ちょうだい。」
「………尚香さんがいたら行くけど……」
先のテンションのまま、煮え切らない返事をする。尚香は思う。章は変なところでイキるのに、他評価が高いところで自己評価がやけに低い。それとも嫌だったのか。
「日舞自体は大丈夫?」
「うん。」
本格的なものでなく、一般人が身内で楽しめるほどの内容だ。昔の尚香のピアノ教室のように、公民館での発表会が一番の催し。もちろん人によっては気持ちや向上心で進路をもっと上に変えていくこともある。
「……章君、兼代君と飲みに行ったのに、知らない人とお話しできないの?」
「………………」
実はあの日は、兼代が9割喋っていた。
「真理ちゃんのライブの時はみんなとお話ししてたのに。」
「………」
それは顔見知りたちがいたのと、慣れた空間だからである。
「……先生方いい人たちだし、少し通ったらいいと思うよ。先生が褒めてたし、生徒さんたちは私のいた頃と違う人もいるけど、おばさんたちもいい人だから。」
「…………尚香さん、あの先生何?」
「機河先生?」
「違う、中江先生。なんで尚香さん誘ってるの?」
「………?」
よく分からなくて考えるも思い出す。
「……?…ああ!そりゃ、生徒さん増えれば申し分ないからね。誰か連れていけばみんなに言うよ。」
尚香が笑うが、章はムスッとしていた。
「尚香さんもそのうちまたするの?」
「……その内って……いつか余裕ができた頃かな?今忙しいし。」
「じゃあする。」
「本当は私、お茶したいんだけどね。踊りは恥ずかしいから。」
「じゃあ、お茶する。」
「章君は両方しなよ。いろいろできたらかっこいいよ。」
「じゃあ、両方する。」
「ねえ章君、雅楽知ってるって言ってたよね。私もあんな感じのゆっくりした音楽ならしてみたいな。」
日本の古典音楽だ。
「派手な和太鼓とかかっこいいけれど、今の私には無理だし……」
運動にはなりそうだが、今の自分には想像しただけで疲れる激しさだ。
「……………」
章からは何も反応がない。
「………………章君怒ってる?」
「………怒ってないよ。」
はじめての分野のプロに見られて、たくさんの人に囲まれて、自分を取り戻せないだけである。
***
「おーーー!!功、どうだった?」
「お前、何、人形みたいな顔してんだ?!」
「またやらかしたのか!」
イットシーの事務所でみんなに迎えられ、LUSH以外も何事かと注目していた。
昨日の時点で本当は何人か同行したがったが、仕事でないし稽古場も困ると却下されたのだ。
「本格的にやらないかと言われた。」
「おおおーーーー!!!」
「家元に紹介したいとまで。」
「本末転倒ーーーー!!!!」
それはバンドどころではない。
「……それで悩んでるのか?」
「……うん。」
そんなわけがないが、気が抜けてしまう。
「それに伊那、尚香さんに余計なこと言っただろ。」
「あ?」
「俺がテンちゃんと結婚したいと言っていたと。」
「………ああ?」
と、言って思い出す。昨日の飲み会の話だ。
席が分かれて、なおかつ功がトイレに行った時だ。
テンちゃんが結婚すると決まった時、功が「なんで、俺と結婚してくれないの?」「テンちゃん、俺と結婚しようよ」と、本気で焦っていた話をしたこと思い出した。
「あいつ、絶対保護者ほしいだけだよな」という話になり、また白い目で聞いていた尚香だが、テンちゃんとお手洗いで話した後だったので、「私もテンさんとなら結婚したいので、章君の気持ちが分かります!」と、尚香が訳の分からないことを言い出した。尚香的にテンちゃんはすごくツボだったのだ。なんだか尚香も安心する。テンちゃんは誰と結婚しても、いい家庭を築きそうだ。
テイクアウトしたご飯を食べながら車内でそんな話をするも、章は伊那のクソ野郎と思う。余計なことを言うなと。
尚香に『章君は頼りになりそうな人みんなに言ってるんだね』と言われ、『いいスタッフさんに囲まれてるんだね』と褒めてもいた。こんな章でも、これは尚香さんに呆れられたか、完全に子ども扱いに振り戻ったかどちらかだということは分かる。
確かにあの頃章は、テンちゃんが結婚してくれるならテンちゃんでいいと思ったし、その後尚香さんがしてくれるなら尚香さんでいいしと思ったが、そこに何か違いが発生しているのは気が付いていた。
何かが違うとは。




