42 言わないで
以前、飲み会をした4課営業の四谷だ。
「本部長、なんかいい感じですよね。もしかして金本さん、いいなと思ってます?」
「?」
「付き合いたいなとか。」
「?!……いい娘だなとは思ったけれど、自分がとかは考えてなかったな……」
アメリカにいた時は基本社内恋愛はタブーだったし、考えたこともなかった。尚香からも社内でどうとか、そんな感じはしない。
「……そうなんすよね。いい娘なんですけどね。」
「………日本はそういうのありなのか?」
いろんな国に行き過ぎて、感覚がバグってしまう。社内恋愛を禁止していない国でも、あまり周りには話さない。
「ダメな雰囲気のところもありますけど、基本は自由ですし。別に隠してもいいし、敢えて公にはしないことも多いですけど、いい印象を持ちたいなら不倫でもあるまいし逆に公表しますよね、少なくとも結婚するならその前には。
ただ、仕事しにくくなるし、別れたら気まずいから職場は嫌な人も多いんじゃないかな。俺は嫌です。」
「………」
「金本さん、接してみればいい人だし、多分いいと思っている人もいるんじゃないかと思うけど……、事故アリですからね………」
「……。」
「……あっ。」
事故と言葉を出してしまい、四谷が焦る。
「あの、違いますよ!自分は悪い意味で思っている訳でなくて!あの、えっと…なんというか……そういうことがあったというか……」
「……いい。知ってる。」
「……!」
それを聞いて四谷は安心する。
「なんか、個人のレベルじゃなくて、けっこう大きなことだったじゃないですか。だから、普通には手に負えないって言うか……背負えないですよね……」
「………大丈夫だ。分かるから……」
―――あの日、初めて金本という名前を耳にした。
『先輩、すみません。お願いがあるんです!』
2年前、そうやって電話を掛けてきたのは、在学は重ならなかったが経済会で知り合ったかなり若い後輩。おもしろい奴だったから、総会で出会って歳は違えどすぐに仲良くなった。
『同じ大学の先輩の加藤さんって方に頼まれた件があって。面倒見てもらえないでしょうか。』
加藤は尚香の同期の美香だ。
『……?』
『自分が介した会社でちょっと揉め事があって……。労基や弁護士とかにも入ってもらって、大分処理はできたんですが………』
『なんかやらかしたのか?日本の話か?』
その時は、仕事でミスった話だとばかり思っていた。あいつがこんなに焦っているなら相当の被害を出したとか。人身事故とかか。
しかも海外にいるはずだ。帰国したのか、現地からなのか。
『……その、説明しにくいんですけど……話が長くなるんですけどいいですか?』
久保木は、あの時のことを思い出す。
そっと、脳裏の彼方で。
***
その日の夜の金本家の自室。章からの電話がうるさい。
『尚香さん、本当にあの人と何もなかった?なんで昨日家に帰らなかったの??』
「章君、私はもう寝るの。夜に電話かけてこないで。美香の家に泊まってたって言ったよね?」
昨晩は美香の家に泊まったと話を合わせてある。しかもなぜ、昨日帰っていないことを知っているのか。
『あの人、カード持ってるからなんの慈悲も与えなくていいから。お金ないとか言って美容院だって定期的に行ってカラーまで入れてるし。カラーって高いらしいよ。』
「なんにもしてません。」
『尚香さん、今、会おうよ。』
「寝る時間です。」
『俺のことは呼び出しといて、自分は会わないの?』
「洋子さんとは何もありません。」
『なんで洋子さんとか言ってるの?』
「自己紹介して下さったから。」
『……くそっ。あいつ勝手なことしやがってっ』
「ちょっと章君、そんないい方しないで?仮にも親だよ?」
たとえひどい人でも、聴いていていい気持ちにはならない。尚香が悪くされたわけでもないのだ。
『親とか関係ないから。尚香さんは知らないからそう言えるんだよ!あいつが何したか知らないだろ?』
「知らない私に、そんな話しないで……」
それでも、章は止まらない。
『あいつが、道さんを山名瀬家から追い出したんだよ!!親戚中に遺産泥棒のレッテルを貼って!』
「………!」
『あいつら、借金がありそうだった時は寄っても来なかったのに、じいちゃんばあちゃんの介護もして会社が大変な時に父さんを支えた道さんをすぐ追い出してっ」
喪主であったのに夫の初七日が済むと追い出され、四十九日にお香を上げに来た道は、その時『章君の面倒を見させてください』と親族に頭を下げた。
妻を初七日で追い出したことに激怒した道の親族が、次の日、日本まで来てひどい騒動にもなった。
当たり前であろう。
いくら外国人で、もし道が悪人だったとしても、初七日で追い出されるいわれはない。まだ納骨も済んでいないし、少なくとも法的な妻の位置があるのだ。さすがにそれはないと親族でも話が割れたが、強い親戚に押されてどうにもならなかった。章を山名瀬の人間に預けざる負えず、道は日本に住んでいる親戚たちの家に泊まり、強制的に韓国に帰らされるところであったのだ。
でもその騒動のために、その後両親族を回って頭を下げたのも道だった。
あの日、道と5歳になってもまだ言葉も話せない章が離れ離れになっていたら―――
今の章はいなかったかもしれない。
道もひどく責められたが、章の父もひどい言われようだった。自分の元々の事業を捨てて、親の会社を見たのは父だったのに。
小さな小さな章は、意味も分からずなんだか悔しくて仕方なかったが、道に言われるとおりにしないと離れ離れになることだけは分かっていた。
そうやって一緒に頭を下げたことは一生忘れない。
実の母親洋子は、葬儀の時だけ再婚した夫と長男を連れて香を上げに来て、早々に去っていった。その後の法要の時は、おばさんの一人に長男を預けて参加させ、自分は寺にだけ行ってすぐに帰った。
『あいつが吹き込んだんだ!道さんがうちの金を海外送金する気だって!』
「章君……」
『道さんちは金に困ってる家じゃないのに!』
道の実家は、あの頃の章の家より裕福だったのだ。少なくとも財産で揉めるような状態ではなかった。
「そんな話はしないでってば!」
『でも、あいつがっ』
「章君!」
『っ………』
「それでも、私には関係のないことだよ?」
『…………』
章が電話の向こうで言葉を詰まらせていた。そうだ、尚香には関係のない話だ。
『それに、あの人はっ、…………俺の顔も、見た目も全部気持ち悪いっていつも言ってたから………あいつと、話さないでほしい………』
「……………?」
『……なんでお前みたいなのがいるんだって…………』
急に章の言葉が弱くなる。
「章君?」
『…………』
「章君、大丈夫?…………」
『大丈夫。お休み、尚香さん………』
そう言って、章は電話を切ってしまった。
……………。
なぜ?
章君が、洋子さんに育てられたのはいつまでだったのだろう。
洋子さんは、初めは自分にも子育てができたと言っていた。長男のことかもしれないが、離婚前までは章のことも育てていたのだろうか。
いつもということは、一緒に暮らしていた時もあったのだろう。
ああ、なぜ章君はこんな中途半端なことをして、電話を切ってしまうのかと思う。
章のことだけ考えると、章の親との接触は避けるべきだ。
でも、尚香は思い出してしまう。
『道子』
と言って、寝たまま涙を流していた洋子を。
洋子さんのような章君に、章君のような洋子さん。
章君のような顔で握られた手。
そして、あの、長く艶やかな指。
「はあ~~~っ!!」
時間を見てみるとまだ11時だ。全然眠くない。
どうにもならない思いだけを抱えさせ、電話を切ってしまった章を恨めしく思った。
***
その次の日のライブハウス。
「功、お前お見合い相手、美人じゃないらしいな。」
機材をいじって端にいる章にそう声を掛けるのは、頭にバンダナを撒いてチェックのシャツを着た、いかにもな典型的オタク、照明の山本さんである。
「…………」
かがみ込んでいた章はジトっと山本をにらむ。
「みんな、功の相手は美人ではないがいい人だと言っていた。イコール不細工ということだ。そうだろ?」
「………」
「おい、何か言え。お前の性格が悪すぎて、性格のいい美人は寄ってこないんだろうな。」
「……山本さん。」
急にスクッと立ち上ががる。
「うおっ、何だっ。」
「………」
山本さんも背は低くはないが、功が立つとそれなりに威嚇にはなる。しかも功は、機材に肘をつくふりをして山本さんを壁に攻める。
「山本さん、写真や映像の見過ぎですよ。人の実物を見れば、正直大して誰も変ではありませんから。そこら中に言えますか?そこのスタッフの菅ちゃんにも不細工だと。」
セッティングしている管ちゃんが睨む。
「は?!なんだ!!」
こんな業界にいてそこそこの美人を見慣れている山本さんは、人に手厳しい。けれど、正直普通に付き合ってみれば人の顔など多少しわくちゃだろうが、顔の形がおかしかろうがたいして気にならないことは分かっている。
じ~っと迫って、山本の顔を見つめる功。
「なんだ?なんなんだ??」
「……山本さんも不細工だけど、じっと見つめていると僕は山本さんの全部がステキで、何もかもが魅力的に見えてきます………」
「は?!なんだ!変態か?!」
功は目を逸らさない。
「やめろ!近付くな!!」
と、山本は迫って来る功から逃げるように床に座り込んでしまう。そして、機材を倒さないようにゆっくり床から抜け出し正気に戻る。
「アホか!」
と、置いてあった冊子で山本は功を叩いた。
すると、功は痛くないだろうに叩かれたところを押さえ、ブツブツ言いながら出口に向かって行く。
「………どうせ俺なんか、不細工だし……どうしようもないんだ………」
「あ?」
「尚香さんだって、俺のこと気持ち悪いって思ってる…………」
「だから何だ?功じゃなくて、そのお見合い相手の話をしたんだぞ?」
山本は言うが、功は勝手にしゃべっている。
「……なんでもっと普通に生きれるように生まれなかったんだろ………。せめて損しない生命保険の入り方くらいできる男になりたかった………。山本さんもそう思う?」
と、急に振り向く。
「うわっ?知るかよ!まだ若くて結婚してないなら、医療保険の方が大事だろ?」
「……何それ?1個じゃないの?それって、健康保険とは違うの?」
章は保険の違いが、スマホのプランぐらい分からない。
「若いから気にすんな。どうせ道さんが入ってるだろうし。というか、普通の人でも損しない保険の入り方なんぞ分からんぞ。損しまくってる奴もいくらでもいるだろ。」
「そうなの?」
「そうだろ。あとお前、毎回毎回覚えたての用語出してくんのやめろ。物知ってるアピールやめろ。何も理解してないだろ。普通になりたいアピールやめろ。意味がない。普通っぽい話をして普通っぽい言葉を言ったところで、普通ににはならないからな。どうせどっかで聞き耳立ててたんだろ。」
「…………じゃあ、何ができれば気持ち悪くないんだろ………。普通に普通のことが分かる人間になりたいだけなのに……」
「??お前、ほんと根暗だな………。それが気持ち悪いんじゃないか?明るく生きろ!」
「……そう?ならそうする………」
と、落ち込んだまま出て行ってしまった。




