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スリーライティング・上 Three Lighting  作者: タイニ
第六章 覆いたい傷

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41 持っている中での選択肢



あの後、洋子と会ったことは道に報告しておいた尚香。


道はどんな反応をするかと思いきや、電話越しにやはりため息をついていた。けれど、章には少し黙っていてとか、ひどいこと言われていないかとか、金銭をせびられなかったかとか普通の反応であった。普通というか、もう何が普通か分からないけれど。



『道子』と、つぶやかれた衝撃。


そのことは道には言い出せなかった。

そう呼ばれていたことを知っているのか。それとも、何も知らないのか。


勘繰り過ぎか。



でももしかして洋子さんはあんな人なので、世の中不信で男性不振で人間不信で、章のようにお手伝いさんを求めているのかもしれない。道なら安心であろう。お友達もいなさそうなので、安心できる女性と暮らしたかった可能性もある。それはあり得るだろう。


けれど二人は、おそらく穏やかではない関係の前妻後妻だ。





「………はあ……」

休憩時間、会社の通路にある椅子に座り、東京の街を眺めながら気持ちを落ちつかせる。


ガラス窓の向こう下は人々が行き交う通り。

なんともない午後の風景なのに、何千何万と人の行きかう通りなのに、その全ての人にそれぞれの人生があるのだ。


ここだって東京のただの一角なのに、こんなにも。


あまりの膨大さにめまいがすると同時に、通り過ぎる全ての人が幸せだったらと願う。

もう苦しいのは嫌だから。





「金本さん。」

そこで、最近数回仕事を共にした久保木が現われた。


「本部長。」

「兼代さん、席替え嫌がっただろ。」

おもしろそうに言ってくる。

「おいしいもの奢るからと頼まれたけど断りました。」

「どっちにしても、今月受け持っている件が終わらない限り無理だけどな。」

「………。」



「……そういえば本部長。前職、ヒューマートなんですか?」

「そうだが。」

ヒューマートは専門商社で主に鉄鋼や石材、その周辺や重機も扱うアメリカの会社だ。現在は、大物の取り扱いだけでなく、事業投資や非資源分野にも手を入れているが、久保木はその中間世代だ。尚香は細かい経歴までは聞いていなかったが、社内の噂で知った。


「無粋な話ですが、仕事は大変だと思うんですけど、そっちの方がお給料とか高ったんじゃないですか?」

「……!」

シンプル直球な質問に意表を突かれて尚香を見る。他の人にもたまに言われるが、入社前後のやり取りや酒の場の話だ。


「……前も話したことだけど、少し息抜きしたくて。」

「…息抜き……」

一般的にはジノンシーも相当大変な企業なのだが、ここが息抜きになるのかと驚いてしまう。久保木は他の課の専門性のいる有名企業案件も見ているで、今もかなり大変なはずだ。



「外資って休暇が長くてゆとりがあるイメージだけど、ヒューマートは休暇以外24時間いつも連絡待機状態だったから……」

今や欧米や日本、中国だけでなく、世界がアジア各地が覇権を握ろうとする時代。商社を通さない大企業も出てきて、あらゆることを模索していた。他企業に追い越されないためには、学びながら激務をこなすしかなかったし、それがおもしろくもあった。



そして、懐かしそうに話す。


「アメリカにいた時ニューヨークからロスまで飛んで、上司の60歳の誕生日パーティーに行ったことがあってね。最初に面倒見てくれた人なんだけど。」

恩のある知り合いとはいえ、家族でもない人の誕生パーティーのために飛行機に乗るのか。すごすぎる。アメリカでも還暦を祝うのかと聞いたら、アメリカにも60歳祝いはあるし半分香港の人だったらしい。


「かつての上司が……ああ、その時はまだ同じヒューマートの上司ではあったんだけど、支店が変わって。

彼が異動先で夫婦幸せそうで、孫まで来ていて。仕事の前線にいると家に落ち着けないような会社だったから、彼が仕事量を減らしたのは、そういうことだったんだなって……」

そして、久保木がジノンシーに転職したのは3年前だ。



久保木も座って、尚香の見ていた窓の外の世界を見る。


知らない人々が行き交う、でもたくさんの人の人生が詰まった道路。



「……それを見て、なんだか気が抜けたんだ。」


「………」

「自分もこれまで数人付き合った女性はいたけれど、お互い仕事の方が大事だったし、最終的な価値感も合わなくて。仕事はやればやるほど結果になるし、販路を開拓して数字が出る世界は好きだけれど、このまま働いても自分は仕事にのめり込んでいろいろ無理だろうなって。

よく見たら、40歳前後に生活を切り替える人もそれなりにいて……。だから、上司みたいに仕事の絶対量を落とすことにしたんだ。」

「………」

ただ久保木は若かったし、役職があったのに自ら出向いてあちこち飛びまくり。アジアにも通じるのでどうしても海外出張にはなる。なので会社自体を変えたのだ。ジノンシーは出張があっても、基本滞在国内である。



「あちこち飛ぶと、時差がかみ合えば行けるところがあり過ぎて1日数時間睡眠で、延々と交渉や会合ができるだろ?南、中央、中東アジア、とくにアジアが派遣先だと、宴会がものをいうからな。開拓だと地元の有力者にも会いに行かないといけない時もあるし。

その頃、アメリカの競合や中国やマレーシアの企業も進出していて、やることが多過ぎて気になって短時間睡眠でも目が冴えてて。移動時間はすごかったからその間に寝て、起きたら即現場行くぞみたいな………。」

その分給料もすごかったが。

「………」

始発帰り、定時出勤をするような尚香でも思う。ちょっと人間の働き方ではない。既に体が悲鳴をあげていたのではないか。



「………おもしろそうですね……。現場見てみたいです。」

ただ尚香、めちゃくちゃ楽しそうと思ってしまう。20代、どうかしてでも英語を頑張って商社に行けばよかったか。


久保木、そんな尚香を驚いて見てしまう。

「これを言うと怒られそうなんだけど……金本さんが男だったらそんな仕事もいいと思うけど………」

「………?」

なんだと、尚香も久保木の顔を見る。


「正直、女性が先頭でやっていける世界ではないけどな……。少なくともヒュ-マートみたいな業界は。」

「……」

「よっぽど後ろ盾がない限り女性は難しい。それかきちんと女性向けに表舞台を作るかだな。でも、その表舞台を作るまでが自分の仕事だったから。」

まともにトイレもない、ヘルメットやマスクがないと入れない場所にも行くし、女性は交渉相手に見られなかったり身の危険もある。そして、何かあった時、すぐに助けを呼べない場所にも行く。今いるこの大きなビルより広い空間で、英語の通じない数人の現地男性にポツンと囲まれることもあるのだ。


「………」

それは分かるので、尚香は下を向いてしまう。けれど、世界の様々な交渉の場所に行きたいなとも思う。

「非資源の方なら女性も増えてきてるけどな。」

非資源は鉄鋼や石油、天然ガス以外の、繊維食品機械、不動産、サービス業も含む仕事だ。そうしたら物流に関わること以外は、ジノンシーでもあまり変わりない。




人生はそれぞれ持ったものがある上での選択だ。


女性は結婚だけでなく、望むなら出産がある。その期間動けないだろうし、地域や国越えの仕事は難しい。それに尚香はもう30だ。子供がほしかったらバリバリ頑張れるのは後5、6年ほどだろう。けれど、あと5年と思って仕事ばかりしていても結婚はできないし、その時になって子供が授かるとも限らない。結婚相手の思いや事情とも擦り合わせていかないといけない。


結婚できるかは諦めも入っているが、そうしたら子供も持てないであろう。


お父さんとお母さん、二人とも赤ちゃんや子供が大好きだ。兄が海外に行ってしまって孫の赤ちゃんの時期を見逃し、写真やスマホの画面ごしにしか会えない二人を思うと胸が痛んだ。


バリバリ仕事がしたいという思いと、やっぱり子供がほしいなという思いが重なる。




「……人生の選択って、本当に狭いんですね………」

「……狭い?」


「怒らないで下さいね。男性の久保木さんより、女性には期間も選択肢もありません。1つ選んだら、1つの選択肢が大幅に縮小されます。悩める時間も少ないです。


それで1つ選ぶと、自分もすごく悩んだ選択なのにそれはそれで文句も言われます。自分でも自問するし……

若い頃はいろいろ無限に思えたけど、今見渡すと、そんなにたくさんのものってないんだなって。」


出産育児を選ぶとこの時代共働きだ。生産性がない、早く働けと言われ、仕事を選ぶと家庭は?とか、お局とか言われる。職場にもよるが、そういう女性の先輩たちをこれまで何人か見て来た。けれど出産育児は大仕事だ。スムーズに仕事復帰できる場合と、そうでない場合ともあり、人生何も思い通りにはいかない。


「金本さん、20代だよね?20代で言う話じゃないだろ?」

「もうアラサーですし、本部長だって30半ばで気が早いですよ。折角仕事に関して脂の乗った時期だったのに。」

「そうか?」

「そうですよ。私が男ならなら50過ぎるまで突っ走ります!で、結婚もします!」

出産を考えなければ、どこまでも走れそうだ。尚香も放っておくと危険なくらいのワーカーホリックである。

「………すごいな。」



「でも、男も更年期とかあるからな。4、50代前後の節目にある日突然、鬱っぽくなるのもいるし。女性ほど変化がないから、自分にも変わり目が来てるって分からないのも多い。それで、相手に変わらない生活を求めて婚期を逃したり、離婚するとかもあるぞ。

気持ちや体に変化を感じて、悩むことを後回しにしにくいっていうのは、女性の利点だと思うけど。」

「………そうですか?」

「……男も変化しないといけない時代だしな。」

「……そうですね……」

実際のところ、尚香も家庭部門の創設などに関わって来たので、その状況はよく分かる。




けれど、以前尚香が付き合っていた男性は、付き合っても結婚しても変化するつもりはなかった。


女は男の仕事に口を出してはいけない、付き合いで帰れなくてもあれこれ言うなと言い、尚香には基本残業はせず、定時以降はスケジュールを全部報告するよう言い聞かせていた。尚香の年収は聞いても、自分の年収は1000万くらいだと曖昧に言い、本当のところは絶対に教えなかった。子供を持ったら3歳までは家で育て、それからはまた働くようにとも言っていた。

尚香が独身のうちから家事をこなしきれないのを見て、ならせめて働けと言ったのだ。


働いてほしいのか、主婦になってほしいのかも分からない、でもいつも何か主張していた。


何はともあれ、それは一旦は二人で話し合うべきことなのに。

お互い対等の立場で。


今思えば、本当にあのまま付き合わなくてよかったと思う。尚香が担当した企業には、女性たちのいろんな現実があった。



彼はきっと、そのどれも考慮してはくれなかっただろう。


あの男性を思い出すと、胸の中がジグジグ痛い。





「…………男も変化と言えば、受け入れられないのがいっぱいいたな。俺の友人にも。」

久保木の言葉で、現実に返る。


「自分の収入を見て結婚したと思ってた妻が、子供見ろ、仕事セーブしろって言ってきたり。乗りたい車も趣味の道具も好きに買わせてもらえないって、嘆いてる奴もいたし。ゲームも買えないってっさ。」

「本部長の周りにもそんな人いるんですか?兼代さんみたい。」

「結構いる。アメリカも同じだぞ。お金はあるのに、毎週末行ってた釣りにもキャンプにも行けないって嘆いてる。お金のあるのもないのも妻が妊娠してからは結局は子守だってさ。」

「どこも一緒なんですね。」

「お前はフリーでいいなってみんな愚痴に来るけど、自分は休暇以外ほぼ仕事だったからな……。」

「はは。でも、その人たちも子供が大きくなったら釣りに一緒に行ったらいいですよ。」

「そうだな。」

そのためには、家族関係の維持も必要であろう。楽になった時期に家族分裂でもさみしい。



少し話して尚香が部署に戻ると、久保木の座っていた場所に、営業の男性が来た。





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