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スリーライティング・上 Three Lighting  作者: タイニ
第六章 覆いたい傷

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40 まだ迷路の中



洋子さんはなんというのだろうか。

目鼻立ちがくっきりしている分かりやすい美人ではない。少し冷たそうで好みの分かれる顔であろう。


でも、これは章君の顔だ。


章君よりもっと大人っぽく、章君よりもっとクールな顔立ちをしているのに、

女性の顔。


不思議だ。


重なるのに重ならない。でも近い。




「…………」

一体自分は何をしているのだろう。



「?!」

その時、急に手を乗せられていた尚香の左手に、洋子の指が絡められた。


……ひょぇっ!

と、また心の声がする。


自分の短い指に、洋子の足の長さのようにスラっとした指が入り込む。


~っ!!



洋子はお化けが怖くて神様に悪霊退散をお祈りするらしいが、尚香は「神様、この人をど~にかして下さい!!」と、心に叫んでしまう。




「………私ね………」


そして洋子は話し出した。



「私ほんとはね。あいつじゃなくて、道さんが私と暮らせたらよかったのにと思うの。」

「っ?!」

それはもう、なんと言っていいのか。つっこみどころが多過ぎる。しかも否定対象が自分の子供だ。


「………でも、みんながダメだって。」

それはダメであろう。何かとダメな気がする。



「それにね、今日、尚香さんに会えたことなんだけど、本当は私、何度かあいつの家に行ってるの。」

「……?」

「何度か行っても全然いなくて。昼もいないから最近夜にも行くようになって……。夜は3回目かな?それで見付けたの。そしたら尚香さんもいて………」

「………」

どうやら偶然ではあるけれど、確率の問題でもあったらしい。ただ、電話すれば済む話である。

「道さん、最近忙しくて先月も来れてなくて………。電話してもいいのかも分からなくて……。一応カビは拭いたんだよ。」

話が突発だが、楽器のことだろう。



「最初にカビだけ拭いて、そのあと違う布巾で全部拭いたけど。あれから生えてはこないけど、パンのカビは1か所でもあったら、袋の中全部カビなんだって。きっとピアノの中やこの家はカビに侵食されているの……。楽器がダメになったら………私も肺炎になったらどうしよう………」

尚香が見る限りファンも回しっぱなしであるし、この家はきれいである。楽器のことまでは分からないが、その心配はほぼないであろう。大人の会話とは思えない。


「昔は、パンもお餅もカビだけ取って食べていたので大丈夫じゃないですか?」

「そう?」

「最近の猛暑だと分かりませんが。」

「ウソっ!怖い!!」

あまりに身勝手なので、少しだけ意地悪をしておく。

「でも、大丈夫ですよ。ウチよりよっぽど涼しくてキレイです。少し外も涼しくなったしもう大丈夫ですよ。」

「………ほんと?」

「ほんとです。」

この暑さ。何でも気を付けるべきだし、どうかは分からないが、それにしても過剰に心配性なのだろう。


「あのバイオリンがダメになったら、私もバイオリンと朽ちるしかないかも………」


??何を言い出すのだ。


「ヴァイオリニストなんですか?」

「……違うけど。私はただのピアノ弾き。趣味の。趣味にしかならなかった………」

「…………。ヴァイオリンは?」

「………うちには幾つか楽器があるから………」


尚香は少しだけ身を縮めて、洋子の方に体を向けた。

「…………大丈夫です、表面に何かあっても、本物の木でできたものはだいたい復帰できますから。」

「ほんと?」

洋子の顔が心配と期待で揺れている。中まで侵食されていなければだが、時々見ているものならばそこまでのことはあるまい。



楽器はおそらく大丈夫だ。

多分、章は楽器を見捨てたりしないだろう。



「私ね、贅沢だって言われてるけど、もう何年も服も靴もカバンも買ってないし、化粧だって京子おばさんが送ってきてくれるものなの。それに、ちゃんとスーパーでご飯も買えるし、コンビニだって行けるし。」

「………」


「大きなショッピングセンターに行って、服だって買いに行ったし。名前も知らないお店なんだけど。

でもね、そこでは買えなくて……」

聞いてほしそうなので聞いてみる。

「……どうしてですか?」

「だって、お店の人が声を掛けてくれないから………」

「……?」

「どれを買ったらいいのかも、何を選んだらいいかも分からなくて。着れるサイズも分からないし……。

昔、家族でお店に行ったら、いつも店員さんから声を掛けてくれて、フィッティングしてくれたのに……」

そんな話をする洋子の眉間に苦痛のシワが寄っている。


「お店も広くて、同じ商品なのにいろんな色があるから何色を選んでいいかも分からないし、ハンガーじゃなくて畳んであるから開いていいのかも、その後どうしたらいいかも………。周りの真似をして開いてみてみたけど、きれいに畳めなくて。困ってたらお店の人が来てくれたけど、服だけ預かって…………。私、独りぼっちで……」

プニクロかDU系の店だろうか。最近の店は、客から声を掛けない限り接客を控える店の方が多い。洋子もこんなふうなので、上手く会話ができなったと思われる。姿勢はよく堂々としているので、店員も困っているようにも見えなかったのか。


そして話から推測するに、洋子は高級ブランド系か、昔ながらのデパートのような店にしか行ったことがないのだろう。しかも誰かと。



「それにね、私がどこかに行くと目立つの………。いつも誰かが見てる………」


「………」

目立っているのが想像できる。尚香も初見の時はじろじろ見てしまった。

驚いたのと見惚れただけでなんの他意もないのだが、こんな人が近所のドラッグストアやスーパーにしょっちゅう来ていたら、どんな人かどんな生活をしているのか気にはなってしまうかもしれない。東京でなければ、もっと目立っていたであろう。


「あの……失礼ですが身長おいくつですか?」

「……身長?」

「……あ、ごめんなさい。聞かれたらいやでしたか?!」

「別に?昔事務所で測った時は174か、5だったと思う。」

「!」

日本人女性の中では非常に高い部類である。先まで章と一緒にいたので感覚がバグってしまうが、思った以上に高い。ヒールまで入れたら180前後だろう。


「事務所って………」

「モデルをしたらいいって言われて連れていかれて。顔を見られるの嫌いだし、向いてなかった………。」

「……」

立ち姿だけでも目を引くのに、勿体なさすぎる。でも、なんとなく、モデルが出来ないというのは分かる気がした。知ってみれば、章のようにポーズを決めたり、多勢に愛想を振りまける感じではない。


「いろんな人にすごく嫌なこと言われたから………。一気にあれこれ言われてもお話なんてできないのに………。シャッターがもったいないとか、体面だけの役立たずだとか、お前は何も生かせない、神様が配分を間違えた勿体ないだけの女だって……」

「………思い出させてごめんなさい……」


「別に………」



なんだか辛くなってきた。章の話を聞いた時も辛かったが、それとは違う悲壮感がある。


章のこれまでの話は、根暗な人なのかなと思いつつも、エネルギーでどこまでもそれを突き破る開放感があった。


でも、洋子の話は聞けば聞くほど閉塞感に包まれる。


そして実際、完全な引きこもりではないけれど独りぼっちだ。

二回も離婚を経験し、しかもこんな年齢まで、まともに買い物もできず。



お金がなかったらどう生きてきたのだろう。尚香は思わず先までキッチンや居間にいた記憶を探る。そして、寝ていて見える範囲で寝室を見渡す。もしかして睡眠薬や鬱の薬など飲んでいるのではないか。頭痛とかはないのだろうか。



「…………」

気になってしまうが、一旦、心を落ち着けた。

今、自分がそこまで関わることではない。


そして、この女性がどうしたらきちんと生きていけるのか考えそうになってしまったが、そうではない。


そもそも今の状況がおかしいのに。



なぜ私はこの人と一緒に、このベッドで寝ているのだ。



それが問題である。



気が付くと、横の洋子は寝息を立てていた。

少し見つめて、そっと手を離す。



「……………ふぅ…………」

と、ため息が出た。


少し丸まって横向きに寝ている目前の人の腕の間から、それなりの胸が見えている。特別大きくもなければ小さくもないけれど、全部がきれいだ。細く見えたけれど、骨格はしっかりしているし肉もそれなりについている。

普通の女性なら多分なんとも思わないが、彼に似ているこの人ゆえに変な感じがする。無防備過ぎて心配だ。あんなに怖がりなのに、尚香自身をもっと警戒してほしい。


もうこの時間は涼しい。そっと薄い掛け布団を掛けてあげると、洋子がモゾっと仰向けに動いた。




すると、寝言なのか。




突然消えそうな声でつぶやく。



「道子………」


と。





??

道子??



道さんの本名は道子だ。


「??」

へ?それはどういう意味??



とにかく今日は、何もかもが心臓に悪い。



そして、ブロンズの奥の、そのきれいな頬にツーと涙が伝った。






***




その翌朝。


起きてみると、やはりここは洋子の家。



まだ不思議の国のアリスなのか、朝からミルクティーを飲んでいる。


少し寝坊し始発に乗れる時間ではなくなってしまったが、基本始業は9時で11時までに出社すればいいので、まあいいだろうと朝食をいただく。尚香は冷凍庫に入っていたパンを焼き、洋子はドンブリいっぱいのオートミールを食べていた。

「煮込むくらいはできるけど、笹井さんみたいにおいしいお粥にならなくて……。今日は海老のお粥にすればよかった……」

と、嫌そうに腹に詰め込んでる。

「これは修行なの。8時までには食べられるかな……」

今7時である。



「ねえ、やっぱりタクシーで帰って。」

「大丈夫です。チケット大切にしてください。」

「最寄駅遠いんでしょ?」

「歩いて20分ほどなので大丈夫です。」

きっと、朝の空気は気持ちいい。



章には絶対に内緒ということで、尚香は洋子の家を出た。




***




「金本さ~ん。なんで疲れてるんですかー?」

「…………」

「あの後、功君に会って、なにかありました?いつもより出勤遅かったですね!」

疲れきっている尚香に、キラキラ柚木が楽しそうに話してくる。


「……別に……。功君とは何もない……。」

「功君()()?」

「別件で、違う人と会ってた。知り合いの女性だから、柚木さんのおもしろい話は何もないよ。」

「えー、つまんない。」


本当は柚木、「俺が聴くとセクハラになるので、やんわり昨日の話を聞いてください」と兼代に言われたのだ。あまりやんわりではないが、尚香の頭が冴えていないのでセクハラにはならなかっただけである。



考えれば考えるほどげっそりしてくる。こんな時に忙しければいいのだけど、午前は久々に社内で少し暇だ。する仕事はいくらでもあれど急ぎではない。

「………複雑なことに複雑な何かが重なって、複雑な気持ちが収まらなくて悩んでる………」

「何ですかそれ!!」

急に楽しい柚木さん。こんな尚香さん見たことがない。いつもは何でも冷酷なほどパッと処理するのに。


「……複雑すぎて、出口がない。

今、アリスの迷路を漂ってるの。」


「はい?!スパダリに目覚めました?!!」

現実路線だった尚香が急にファンタジーなのかファンシーになって、川田も反応してしまう。反応せざる負えない。入社以来初めてである。

なにせ、バンドのボーカルとお見合いしても安定ルートを選ぶつまらない女である。なんのドラマも生まれない。しかも報告が必要な家の用事以外、今まで私用は会社に持ち込まなかったのに。


そして尚香が一言呟く。

「スパダリ?……ダーリン?あれはダーリンなの?」

「!!?」

「誰?!!」

柚木に川田、新参が登場したのか聞きたい。



そこで急に、バッと尚香が柚木たちの方を見るのでみんなビビる。

「っ?!」

ついでに後ろで聞き耳を立てていた、やじ馬たちもビビる。


そして、ものすごいため息をついてから、通常金本さんに戻っていくのであった。





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