34 遠慮はしてね
少々閑話です。
「こんちはー」
と、章が金本家にお邪魔すると、居間からドタバタと音がする。
あれから数日後、この男はそれでも金本家に訪問している。
「章君!!」
顔を出したのは、お母さんと昼食の準備をしていた尚香であった。
「あれ?何で尚香さんいるの?仕事は?」
「私が私の家にいて悪いわけ??」
「そういうわけじゃないけど、土日もよくいないのに。」
「毎週いないわけじゃありません。」
「それはそうだけど……」
「あ!章君、裸足じゃない!そのまま入らないで!今日暑いのにすっごく暑そうな格好して、すっごい汗かいてる!」
「は?」
サンダルを片方脱いだ章に指示が入る。
「こんな季節なのに今日暑いでしょ?そのまま床に足付けたら足裏の雑菌が床に付着するから。足洗って!」
「はぁ?」
「はあじゃない!」
「はぁだし。」
「人んちに遊びに来てて、その家の住人の言うこと聞かないわけ?」
「尚香さん、そんなにうるさい上にこんな神経質な人だったの?
俺、この近所のゴミ拾い手伝ってきたんだよ?道さんが地元ボランティアの人に誘われたから一緒に。これ、おじいちゃんのタオル持って来たのに。」
人がいい道さんは、お父さんのウォーキング仲間に勧誘されてしまい、地域のシニアボランティアに混ざって近辺を掃除してきたのだ。休みの日に毎週20分ほど運動の意味も含めて清掃をし、時々その家族も来ている。夏は暑すぎてお休みで、もういいだろうと再開したらまだこの陽気である。若者もいたが、章は目立つのでタオルを頭に被った上に、ウィンドブレーカーもフードごと被って途中10分ぐらい手伝ってから来たのだ。
「しかもさ、ここで足洗えないしどうしたらいいの?何の嫌がらせ?」
「あ、庭の水道で洗ってきて!」
「尚香さん、自分サンダルでも庭まで行って足洗わないっしょ?それに俺、一応仕事柄、気い使ってるから朝もシャワー後もちゃんと足にデオドラントしてるし。」
「すごく蒸し暑かったでしょ?会社のママさんが、息子たちの靴下がすっごく臭いって言ってたの。デオドラントを超えるって。他のママは旦那さんがジムで水虫もらってそれがうつたっとか。ならここで除菌ティッシュで拭いて、それからお風呂で足洗ってきて!」
「…………」
ムカついた章は、何もせず玄関に上がって、四の字で右足を上げ左壁に足裏を擦り付ける。
「やめて!土壁なのに!」
土壁は水で流せないし、除菌液や除菌布巾もゴシゴシ使えない。
「今度カビが生えたらどうするの!」
「尚香、やめなさい。章君お手伝いしてくれたんだよ?」
と、お母さんが出てくる。功はお父さんに会いに来て、たまたま通りすがりで掃除を見かけただけである。二人はまだ公園でみんなとお話ししているらしい。道さんは抜けるが、お父さんはお昼は知人たちと食べてくる。
「分かった、分かった。タイ人のアスニ君は夏は家に帰るごとに、足洗って服も替えてたよ。人んちでも風呂借りて足洗うんだよ。それだね。」
と、めんどくさそうにお風呂に向かった。
「おばあちゃん、お風呂使うねー。」
「尚香、タオル出してあげなさい。」
尚香は返事もせずに、章が歩いたところを必死に除菌ティッシュで拭いているので、さらにムカついた章は一言言っておく。
「体中アポクリン腺が活性化してるから、全身シャワーしてもいーい?」
「……」
少し考えてから、顔を上げた尚香が怒ってきた。
「やめて!足だけ!」
そうして、尚香に向けてすっごい嫌な顔をした章が居間で冷たい麦茶をもらう。
「ほんと、今日、尚香さんには幻滅した。嫌味すぎる。おじいちゃんと道さんに同じこと言うの?」
「二人は靴下履いてるし、おじいちゃんもう歳だし。」
「…………靴下の方が蒸すのに……。久々に会ったのに、尚香さんのひどい性格が再露見した。」
先日、ナオと一緒に食事をした日以来である。
「章君こそ、仕事は?」
「1時半までに入ればいいから。」
「…………」
それから尚香は、先の土壁を思い出し少し考える。
「古い家だし……地震対策しないとね………。この家も頑張ったけど、もっと早くリフォームか建て直しできればよかったな……」
「この家ダメなの?」
「……地震が多いから……。補強はしてあるけど木造だし。」
「この家好きなのに。」
尚香は庭の方を見て静かに言った。
「本当はお兄さんが、お父さんたちに余力のあるうちに建て直しをしようって言ってたんだけどね……。その時期いろいろあって、結局だめになっちゃって………」
「…………」
黙ってしまった尚香は、少しして章の方を向く。
「章君は真理ちゃんちみたいな、欧米人用じゃないと狭いでしょ?真理ちゃんところ、外国人用だよね?前に知り合いの家に行った時、同じ感じで玄関ドアがすごく高くてびっくりしたら、入居者みんな欧米人だって。しかもファミリータイプだと思ってたら、けっこう広くて一人や夫婦用だって言ってて。」
真理の家はさらに広い。
「真理ちゃんも、旦那、欧米人だし。」
「え?そうなの?……え?真理ちゃん………結婚してるの?」
「真理ちゃんは学生の時にもう入籍してたからね。」
それはびっくりである。広く男っぽい家だなと思っていたが、父親の好みだと思っていた。真理の趣味も服装に合わず渋い。
「ジャズとかブルースしてる、アフリカ系アメリカ人。奴は何でも弾けるけど。」
「………別居してるの?」
「少しの間ね。1年ぐらい。」
「浮気しそう……」
思わずこぼしてしまう尚香に、章はもう一度嫌な顔をする。
「尚香さんの頭の中はそれしかないの?速攻でその言葉が出るって、俺よりひどいよ。」
「………ごめんね……」
さすがに尚香も真理に申し訳ないと思い謝る。
「日本ではそういう音楽だけで食べていくの難しいからね。何より、演奏できる機会も少ないし。」
「………」
「……尚香さん、あれから気、変わってないの?2歳くらいよくない?」
「……」
今度は尚香が嫌そうな顔で章を見る。
「2歳のごまかし自体だけでなく、実際は9歳差なんだよ。」
「………」
「章君。私がね、会社の取引先と話が盛り上がって、例えばね、自分今度結婚します。相手は9歳年下のこの前まで19歳だった20歳の男の子です!って話になったらどう思う?」
「……別にどうも?」
「………。
………そうだね。章君はどうも思わないかもね。」
「世間体を気にするの?」
「……章君にはもっと気にしてほしいんだけど。アラフォー、アラフィフの男性が20代の奥さんもらったらどうなるとか思わない?恋愛結婚でもなく。」
「いいんじゃない?」
「……っ!」
尚香はここで思い出す。章の父と道も歳の差のある結婚だ。
しかも章は、人生まだ無敵と思っている20歳。尚香も世間的にはまだ若いが、社会で年上の話をたくさん聞いているので、30代後半から人生に、健康に、体力に限界を感じる世界をなんとなく知っている。
「でもね、章君。相当割り切っていたり、思い合ってる二人じゃないと長い人生、10年20年30年後に崩壊するからね。」
「いいよ。女の人の方が健康で長生きするって言うし、ちょうどいいって、前に言ったし。」
「そう言って、絶対物足りなくって浮気するでしょ。」
「………尚香さん、ホント……思考の回路がどうかしてる?」
ついに章、怯える。そういうことに純粋で鈍感だと思っていた尚香さんが、何も起こっていないことを毎回どこからか蒸し返して末恐ろしい。
「尚香、やめなさい。はい、これ。」
と、お母さんは尚香が作った鮭のちらし寿司をカウンターに出した。尚香も急いで動き章も机をもう一度拭く。
尚香がお皿を出したいのに、章はテーブル上だけでなく、天板の側面や机の脚まで拭いていた。
「…………ねえ、上だけでいいんだけど。それ雑巾じゃないし。台拭きだよ。」
「全部拭かないと。尚香さんの異常な潔癖に合わせてる。」
「何それ!」
「まあまあ、章君のこだわりがあるんでしょ。」
章がいると、尚香はお母さんに止められてばかりである。
「尚香が味付けしたんだよ。」
「料理作れるの?」
「料理より仕事が忙しいってだけです。」
鮮やかな寿司に、お吸い物はインスタントだ。章がいるので昨日の残りの唐揚げや煮物も出す。
「うん、おいしい。これ、お弁当ちょうだい。夜も食べる。」
「お父さんの分がなくなります。」
「いっぱい作ったでしょ。」
お母さんが要らぬことを言う。
そして、章は食べながらため息をつく。
「……はあ。でもほんと、ここまで来ると、尚香さんが楽なのにな……。尚香さんも、気持ちが楽じゃない?もう、他の生活想像できない。」
「………」
無反応尚香。
「さすがにそろそろ尚香さんに親近感と、好意が湧くよ。」
「……」
「僕の気持ちの話をしてるんだよ?聞いてる?」
「………あっそ。」
「ここまで地をさらけ出せる人いないもん。」
「そうだね。私も章君といると、地を越えるよ。むしろ遠慮してほしいくらい。でも、章君はイットシーでもこんな感じでしょ?」
「………遠慮はしてるよ。」
「うちでも遠慮して下さい。そういう夫婦ほど早くダメになるからね。」
「じゃあ、遠慮もするように努力する。………でも、今日のキツくて意地悪な尚香さんを見て、たくさんのもの乗り越えたから、もう怖いモノなしだよ?」
「……………」
尚香は絶対に返事をしないのであった。




