12 その音は違う
ある週末の尚香の自宅。
「……山名瀬さん、何をしてるんですか?」
信じられないことに、なぜか山名瀬章が尚香の家の廊下の電気を換えている。
「おじいちゃんに呼ばれた。尚香さんにやらせると危なっかしいって。」
「それで道さんに頼まれたの?」
あんなことがあっても、道さんは章を使うのか。
「………」
椅子の上に立って少し考えているも、章は説明する。
「違うよ。僕、おじいちゃんと電話交換してるし。前に、おじいちゃんが交換してくれって言ったから。」
「…………え……」
信じられない顔をしてしまう。いつの間に。
章がササっと取り換えて台所に椅子を戻しに行くと、居間からお父さんが叫ぶ。
「章、冷蔵庫にアイスクリームがあるぞ。好きなの食べろー。」
「はーい。」
それを呆気に取られて見てしまう。孫か?
しかも勝手に冷蔵庫を開けている。おじいちゃんがいいと言ったので、勝手ではないけれど。
「山名瀬さん!」
と、叫ぶと、
「「はーい!」」
と、台所と玄関で同時に返事がした。
「!」
今、玄関から入って来た道と、章が同時に返事をしたのだ。
「………あ……」
と言って、仕方なく章の名前を呼ぶ。
「功く……、章君………」
「何?尚香さんもアイスいる?」
「………いらない………」
「おじいちゃんは何がいいー?」
「抹茶みぞれ。」
「は~い。」
「………」
「……尚香ちゃん、おは……えっ?」
章とお父さんとのやり取りを唖然と見てしまう尚香の横で、今家に入って来たばかりの道がもっと呆然と見ている。
「………章…??」
「道さんも食べる?」
「っ!!?」
あまりに驚いた道は、金本家の買い出しの荷物を置いて、一気に章に向かって行く。
「章!あなた、何をしているの!!」
と、自分よりデカい章の襟をつま先立ちして掴んで、早く出ていきなさい!と怒っている。
「うわっ!道さん、せめてアイス食べてからにして、そしたら出ていくよ!」
「棒アイスでしょ!外で食べなさい!なんで分からないの!!」
と、ポコポコ頭を叩かれていた。
「道さん、いいですよ。うちのお父さんが頼んだんだから。」
お母さんが言ってくれるも、道は立つ瀬がない。
「……でもっ……」
しょうがなく尚香も言う。
「……道さん、大丈夫です。うちからお願いしたのなら、どうしようもないし……」
「尚香ちゃん……ごめんね……」
項垂れている道を横に、この男は自分の祖父母の家にいるかのようにテーブル椅子に座ってのほほんとしている。
なぜか尚香の方が道に申し訳ない思いになってきた。
「道さんも、一緒に食べて下さい。」
「………」
そして章は思い出す。
「あっ、あと尚香さん。これ忘れ物。」
と、ライブハウスに忘れて行ったお弁当入れだ。
「あ!」
すっかり忘れていた。
「開けてないよ。女性のカバンの中を見たらいけないって、ちゃんと言われているから。」
「………」
そんなことまで親に言われるのか。紛失物になればインフォメーションや警察などに中身を確認されることもあるし、絶対に見られたくない物もないのでいいのだが、チャックを開けて落ち込む。
「………」
液状のアイスクリームが数個入っていた。
そして、あの格好でこんな物を持った状態で、夜の街に連れ出されたのと思うと、改めて目の前でアイスを食べているこの男が憎々しい。
「章君は、お仕事いいんですか?ライブだけがお仕事じゃないでしょ?そういう仕事って土日も忙しいんじゃないんですか?」
「僕?ライブは必ずで、あとは絶対来いって言われた日は行くようにしてる。でも時々自主出勤するよ。すごくない?」
「………」
「それと、家が半分仕事場だから、家でいろいろしてる。尚香さんこそ、今まで土日もいない日多かったのに、最近は仕事、干されたの?」
章の質問は無視して尚香が聞く。
「章君は作詞作曲もするの?楽器とかできるの?本当に歌うの?楽譜とか読めるの?」
何一つ出来なさそうな顔をしている。
「尚香さん、僕の事バカだと思ってるでしょ?」
「………」
「確かにバカかもしれないけどさ……」
バカだと認めているのか。
「まあ、音符とかも読めないけどさ、」
読めないのか。
「でもさ、すごいんだよ。」
「………すごい?」
「まあ、それでもどうにかなるわけよ。」
「……はあ。」
もっとすごい話をしてくれるのかと思ったが、仕事はどうにでもなるらしい。
「俺が何か言えば、ちゃんと音楽できるメンバーがあとはいい感じに全部やってくれるわけ。分かる?」
「ゴーストライターってこと?」
「違う違う!それじゃ、俺、本当に何にも出来ない人じゃん。」
そうじゃないのか。
「今、パソコンでもいろいろできるし。」
自分ではないらしい。
「パソコンできるの?」
「今時の人で、スマホやパソコンできない人いる?」
「スマホはできてもPC使えない人いるけど……」
「俺は、両方とも出来ないけど!」
「…………」
この人は一体何ができるのか。聞くだけ無駄である。
「俺が音を作ったら、与根や伊那が、適当に仕事してくれるから。音は口でもできるしさ。」
「……ふーん。」
章君が、何を頑張っているのかさっぱり分からない。全部人任せということではないのか?
そこで、道が止める。
「章。いきなり人の名前を出さない。与根君や伊那君って急に言われても、初めて聴く尚香ちゃんには誰かもどういう人かも関連も分からないでしょ?初めての人には順を追って説明して下さい。」
相手にとって知らない人でも、相手も知っているかのように、お互いの身内のように話してしまうようだ。道が補足してくれる。
「与根君と伊那君は、バンドのメンバーです。とくに、与根君は中学から唯一ずっと一緒にいてくれている同級生です。与根君がいなかったら、章はバンドもできなかったんじゃないかな……」
お疲れ気味の道さん。
中学時代。
同級生ともすぐぶつかってしまい、日本の学校にも居られなくなり、逃げるように向かった韓国で一度はアイドルになった章。
また失敗して戻って来た時、過去トラブルを起こした章を、それでも拾ってくれたのは与根だ。
小学校もまともに通えなかったけれど、甘々の自宅学習と、継ぎはぎだらけの出席でどうにか小学校を卒業した章は、学区の中学校に入学するもほとんど馴染めない。
中1の夏。
そんな中、たまたま学校に来て通りかかった軽音部の音に、誘われるように章は部室のドアを開けた。
心地よい低音。
そこで、ベースを弾いていたのが与根である。
外で年上の人間たちと既にバンドを組んでいた与根には、学校での音楽活動は必要なかった。でも部活は参加自由だったが、週一のクラブ活動は授業の一環で参加必須だったため、軽音部には通っていたのだ。与根はそこのメンバーと校内でバンドを組むことになる。
ギターと似ているのに違う、不思議な楽器。
ベースの形や音に興味を持った章は、与根にちょっかいを出すようになった。穏やかな性格で、もともと癖のある友達が多かった与根は、章を嫌がらずいろいろ教えてあげることになる。章は遠慮して時々遠目に見に来るだけで、最初はなかなか話しかけられなかったが。
けれど、見学していたそのバンドでも、章は嫌われてしまう。
自分たちで学校外にバンド部屋を確保できず、ライブハウスも使えず、値段の高い音楽教室にも通えない中学生のメンバーたち。
そんな中、毎年恒例の学祭でバンドを披露する時期になったのだ。
当日は体育館で各クラスごとの発表会だが、クラブは各場所で空き時間に好きな発表ができる。
音楽系は大きな舞台ではなく椅子を並べただけの小会場が設置され、見るのも席を立つのも自由だ。退屈ならみんな席を立ってしまうだろうし、通りがかりの人や知り合いしか見に来なさそうである。空き席も当たり前。ずっと座っている子は、身内かただ座って休んでいるだけか、男女が行き交う学校の雰囲気に浸っていたい、ませた小学生や近隣の女子たちが殆ど。
その学祭に向けて、時間外も練習をするようになった軽音部。練習風景を時々見学だけしていた中1章は言ってしまう。
中学生。
ちょっといきがりたい歳の男子たち。
なのに、指摘してしまった。
「あのさ、歌ってる人。音おかしいんだけど。」
「は?」
歌っていたのは3年生のいなかった軽音部で一番の先輩になる2年生。しかも、部活はバスケ部で、学年でも目立ち周囲にもカッコいいと言われていた男子。
「なんだよ。お前。」
「音、おかしいだろ?ドラムも雑音が多い。」
「っ………」
この言い様に驚く全員。
そして、指を指す。
与根に向けて。
「お前、お前だけだ。
プロでやってけるの。」
「!!?」
このセリフに場が固まる。
「………あ……」
与根はこの歳で既に音楽の道に進むことを決めていたが、だからと言って、部活でもない週1のクラブに自分の至高を求めているわけでもない。必須選択なので、音楽が好きな誰かの間に居たかっただけだ。彼らも多分だが、そんな将来のことまで思ってバンドを組んでいる訳でもないだろう。
自分に向けられた評価にうれしく思うも、同時にこれはヤバいと思う。
「まず、楽器の音がおかしいだろ。テンポだって変だ。声だって……なんていうんだろ。なんか上擦ってる。それから………」
章が話すほど、みんなの空気が悪くなるのが分かる。
やばいやばいと思いながらも、与根は言葉が回るタイプではないので、どうこの場を収めていいか戸惑ってしまう。
しかも、目の前にいる小さくて尖った章は、自分が思っていたバンドの全てを明確に指摘していたのだ。ちょっと面白い。
ただ、ここでそれを言うのは良くない。やんわり伝えて変わらなければ、与根が敢えて放置してきたことばかりだ。
「うるせーな、なんなんだよお前!楽譜もコードも読めないどころか、ベースも知らなかったくせに!」
章はギターとベースの形が似ているので、同じ楽器の違うタイプだと思っていたのだ。
「音楽のこと、分かんねー奴が言うなよ!!」
ボーカル以外の他のメンバーも怒りだす。
けれど章は絞り出す。
「俺、バイオリンやってた……」
「………」
「………バイオリン……」
「は?バイオリン?弾けるのかよ?」
「あ??もしかして、そこで抱えてるカバンか?」
「バイオリンとか、部室間違えてんだろ!」
「ああ゛?だったら弾いてみろよ!」
「弾く?」
「偉そうなこと言うなら、お前がやってみろよ!」
「………………」
そう言われると、威勢のよかった章は、俯きがちになって動かなくなってしまった。




